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56 ドイツの軍需生産を飛躍的に増大させたといわれ、各方面から評価の高い軍需相のアルベルト・シュペーアですが、彼の何がどのように高く評価されているのでしょうか。生産現場に対する党や軍の各部門からなされる介入を防いだとか、兵器の部品の共用化、種類の削減に力を入れた、などは、どこの国でもなされていることです。また、当時のことですから、VEやABCシステムといった原価管理の手法を採用したというわけでもなさそうです。わかりやすい解説をよろしくお願いします。
なんでや?

  1. テイラーとか、それに近い考え方は、戦中の日本にも応用されていたはずですが、それはさておき、スターリングラードの空中補給が途絶えても、ノルマンディに飛ぶ空軍機が無くても首にならなかったシュペーアは、政治家として御指摘の事柄をかなり徹底して実施したというのが大きいのではないでしょうか?実際に独の試作機は夢のような研究機を除くと英米より各段に少ないのですから彼の功績もそうした点に反映されているのでしょう。He219といったそこそこの性能の機体の生産を止め、「悲劇の名機」としたことも彼の英断の一つでしょう。
    BUN

  2. 事故死したトッツ博士の後任として軍需相になったシュペーアはより広範囲な権限を与えられ、強い政治力を持っていました。また、空軍に関しては41年に航空相になったミルヒが航空機生産の合理化努力を進めており、シュペーアと協調するとともに、資源の無駄使い排除と大量生産方式への改善を図ったそうです。
    なお、別の資料によると、43年春頃までドイツは国民の窮乏生活への不満を恐れて本格的な統制経済体制を取っていなかったとのこと。大戦後半になって総動員体制による軍需生産拡大を図ったことも関係しているのではないでしょうか。

    アリエフ

  3. 上の一段目はW・マーレイ著「ドイツ空軍全史」(朝日ソノラマ)の記述に基づくものです。
    アリエフ

  4. 当時は大量生産のため、生産の効率化が重視されていました.ですので、BUNさんご指摘のテーラーの科学的管理法(生産能率向上のための,生産現場における管理の合理化)や、ファヨールの管理過程論(企業全体を視野においた、上位管理者による管理権能の必要性)が当時既に用いられたようです.しかし、これらについてはアメリカの方が進んでいたようです.
    私見ですが,アリエフさんご指摘の通り、大戦後半になってようやく総動員体制をとったこと。および、それに関連してシュペーアの提案により外国人労働者の徴用(ウクライナ人労働者の強制徴用について、後に戦争裁判で責任追及されています)その他の措置により軍需生産の拡大を図ったのであって、「特別な」手法を用いたわけではないと思います。
    いんとう

  5. >テイラーとか、それに近い考え方は、戦中の日本にも応用されていたは
    >ずですが、

    これは、豊川海軍工廠が日本能率協会の指導を受けていた云々って話
    のことかなあと思うのですが、それ以外の海軍工廠や民間企業に積極
    的に導入されていた考えかといわれたら、ちょっと「?」というのが
    私の見るところです。ちなみに、私は専門が経営工学(さらに細かく
    言えばオペレーションズリサーチが専攻領域)ですが、上記の話はあ
    くまでも趣味の本から得たものです(^^;)。
    今泉 淳

  6. 生産管理では戦艦大和の艤装等を担当した、西島大佐(大佐じゃなかったかも)がやっていたようです。彼はあの巨艦の建造の効率を上げるため、工数と完成度などをグラフにして「西島カーブ」といわれる効率曲線をもとに船殻の組立から艤装にいたるまで、「○○が出来てないから、これの組立が出来ない。」という状態を極力なくすように心がけて監督したそうです。ちなみに造船の老舗三菱長崎造船所謹製の武蔵とくらべ、工程数、組立に要した費用の差が大問題になったそうです。(もちろん大和のほうが少ない)他にも彼は巡洋艦等の部品の共用化に努め、補修、修理のために取っておく部品の無駄を減らすよう努めたそうです。戦後、彼の生産管理の手法(西島カーブ)はコンピュータでの管理を行う際の基本データになったとか。
    kazu

  7. >「○○が出来てないから、これの組立が出来ない。」

    ORが専門が表看板で、実は私の専門の裏看板(?表裏一体だからどっちが表
    とか裏とかないけど)は生産管理だったりしますが、特に西島さんの名前が
    生産管理の歴史的経緯において登場するという記憶は無いので、今度留意
    しておきます。まあ、私の生産管理って、基本的には確立された方法論に
    対してなので、日本のその手の歴史を追いかけたことはないというのも事
    実ですが。

    ちなみに、上記の引用部分に対して最も有名なOR的手法としては、PERT(
    Program Evaluation and Review Technique)というのがあります。これは、
    作業工程をネットワーク表現し、始点から終点までの最長経路と長さをみ
    つけて、最もネックになる工程をみつけるというものです。コストがから
    むと、CPM(Critical Path Method)というのもあります。

    私は「生産管理史」についてはあまり詳しくないのでこの程度しか書けま
    せんが、西島さんのやっていたことは、もうちょっと抽象的な意味で体系
    化されて、さらにもうちょっと早く定着したら、非常に良い方法論の確立
    につながったのではないかなあと思います。

    今泉 淳

  8. 私はこの分野は門外漢ですが、日本におけるテイラーシステムの導入は意外と早期に見られます。テイラーの提唱した科学的管理について、その著書が翻訳出版されたのは1911年、テイラーシステムの日本初の採用工場は新潟鉄工蒲田工場で1915年のこと。また農商務省が能率化を設置して啓蒙活動を開始したのは1920年。その後呉工廠、三菱電機神戸工場、芝浦製作所等でのテーラーシステムの完全実施が見られたとのことです。戦時中の日本能率協会はこうした戦前からの流れの中で広く活動しており、豊川の25mm機銃の飛躍的生産拡大の他、中島飛行機等でも生産拡大に貢献しているようですね。
    BUN

  9. 追記。じゃあ、テイラーシステムって一言で何だ?と言われると、んん、と困るんだな。上記の件間違ってたらごめんなさい。。
    BUN

  10. そういう意味じゃ、先駆的に技術導入していたところはあったのかも
    しれませんね(豊川海軍工廠だけって私の知識がある意味で誤り。そう
    いえば中島飛行機で云々ってのは聞いたことあるような気がするこ
    とを思い出した)。

    でも、それが「当たり前」までは至ってなかったのは多分それほど嘘で
    は無いと思うのですよ。それからテーラーの著書というのは「科学的管
    理法」だと思いますが、こいつは未だに訳書が買えます。で、テーラー
    の後の管理技法の発達があって、米国はその流れに乗っているのだと思
    うのですが、日本がそれに追随できたのか、それともテーラーイズムの
    段階で留まっていたのか、それが問題のような気がします。「科学的管
    理法(テーラーの方法)」は1920年代までで、それ以後はインダストリア
    ル・エンジニアリング(IE)の時代なわけです。

    テーラーの科学的管理方法ってのは、私の認識する限り、個々の作業と
    か家業に対する、時間研究(time study)を基礎とする方法論が中心だと
    思ってます(こいつの実習というのを随分やらされたなあ)。要するに、
    テーラーの方法以降の管理手法の発達とそれへの追随度合いの問題かな
    あとも思います(まあ、先進なのは米国なのですが)。

    ってことで、テーラーシステムの件は間違っていても、なくても大丈
    夫ですよ。私も、何かのついでに調べられればと思いますので、留意
    しておきます。私も勉強になりました。> BUNさん

    あ、そういえば、私の出身学科(工業経営学科=経営工学)って、創設が
    昭和15年だったと思うから、その当時日本でもその手の学問の必然性
    が高まりつつあったのかもしれないですね。ということで、その当時
    の先端管理技術やその導入度合いに関しては、折に触れて留意してみ
    たいと思います。
    今泉 淳

  11. 「家業」→「課業」です。

    今泉 淳

  12. 生産管理史などに西島氏の名前がでていないのは当然です。彼は生産管理などを重視し広げようとしましたが、広げることは失敗しました。戦時急造型の商船なども彼は早期に多数、安く作れるよう努力しています。そして敗戦後、多くの造船会社から誘いを受けましたがそれをすべて断って、広島の実家に引退しました。戦時中の日本のやりかたについて、批判はおろか一切口を開かなかったそうです。
    kazu

  13. ↑ようするに自分の仕事場では出来た(行った)、けど日本全体に広めることは出来なかったということです。
    kazu

  14. 上記の件、記述してある文献を入手しました。まだざっとしか目を通し
    ておりませんもののそれなりの感想はあります。が、なかなか興味深い
    話なので、学術的側面からも考察するために文献調査などもしてみよう
    かと思います。
    今泉 淳


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