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ナチスの技術者たちは戦後どこへ行ったんですか?
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- 民間に行ったりもしましたが、軍事系の技術者の大部分は研究中の資料と一緒にアメリカとソ連に行きました。V2を作ったフォンブラウンなんかはアメリカでアポロ計画のロケット作ったりした話は有名です。あとFwのクルト・タンク氏は中華民国から「来ないか〜」って誘われたけど、中華民国が台湾に逃げちゃって「あんな小島行きたくない!」って言ってインドに行ったと聞いていますが、その後はどうしたんでしょう?飛行機作ったのでしょうか?・・・・・・・・・・(秋田谷)
- タンク氏は南アメリカのどこかの国でジェット機造りませんでしたっけ?(あ)
- 確かその南米の国はアルゼンチンです。 タンク氏はインドに行ってなかったかな?(私の聞き間違い?)・・・・・・・・(秋田谷)
- タンク氏はインドで”マルート”って言う戦闘機を作ってますよ。
- タンクはアルゼンチンではプルキT、Uという2種類のジェット戦闘機を設計したそうですが、実用化はされなかったらしいです。
- インドのマルートは印パ戦争で使われたらしいけど戦果はどうだったのかな?
- ベンツ、BMW、オペルなどで車を作ってます。
- エレファントやマウスなどの戦車を造ったポルシェ博士は戦後スポーツカーを作りました。・・・・・・・・・(秋田谷)
- 民間会社に移ったり、アメリカとソビエトに行って引き続き研究を続けたり色々です
- あまりにも、有名すぎて誰もまだあげてませんが(^^; コメートのリピッシュ博士はコンヴェアに行ってますね。その後のコンヴェアはデルタ翼機を作りまくってます。ところで、便乗質問なんですが、メッサーシュミット教授とハインケル博士はどこへ行ったのでしょうか?
- メッサーシュミット社とハインケル社は戦後スクーターを作ってます。メッサーシュミットの3輪スクーターのボディが横開きなのはBf109の影響だとか(^^;
- ↑はランプピリダエとかいうステルス機を作ったそうですが?
- ポルシェ博士といえば、シトロエンC2Vもそうでしたっけ?フランスに騙されて強制労働(強制設計?)させられていたとか。
- 2CVではなくてルノー4CVでなかったかしら?
- 何を言うか!(笑)我がシトロエン2CVはフランス自動車技術の粋を集めて開発された万能車である。ちょっと力借りちゃったのはルノーですよ。日本でもライセンス生産した日野ルノーの4CVです。
- やーフォローどうも有難うございます。でも「騙して呼び出して拘束して強制労働」は「ちょっと協力」と違うとおもふ。普通(^^;;
- すみません、ホルテン兄弟はどうなったのでしょう?
- クルトタンク博士はアルゼンチンでプルキT、Uを作りました。その後、インドに渡り、国営のヒンダスタンと言う航空機会社でマルートと言う戦闘機を作りましたが、どちらも失敗でした。タンク博士の責任ではなく、どちらの国もエンジン開発が出来るほど、技術が発達していなかったためです。何だか、2000馬力エンジンの早期実用化に失敗して敗戦への坂道を転げ落ちた東洋の某国に似ているような気もしますが。やはりエンジンというのは、その国の技術が発達または成熟しているかどうかを判断する一つの指標みたいですね。(ぱんてる)
- ホルテン兄弟ですが、たまたま見つけた全翼機サイト( http://www2s.biglobe.ne.jp/~FlyWing/FlyingWing.html ←資料価値高し )にホルテンさんの戦後の記述有り。そこの記述ではアルゼンチンで全翼機数種類を製作・試験をしているようです。ちなみにホルテン兄は98年に弟は94年に亡くなられてます。(次男坊はWW2で戦死)
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