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私の叔父は重巡「青葉」の乗組員で、中曽根少尉(元首相)のことも覚えているそうです。ところが、中曽根氏の回顧録によると、当時中曽根氏は内務省に勤務していて「青葉」に派遣されたと書いています。陸海軍に他省庁からの人間を派遣する制度があったのでしょうか? |
経理学校に補修学生としていた後、青葉乗組になっているはずです。当時す
でに中曽根氏が内務省に籍があったかどうかは知りませんが、短現制度はそ
ういうものだと私は理解しているので、籍があった可能性はありますね。も
し籍があったとしたら、それをして「派遣」と回想に記したまでで、当時内
務省(あるいはそれ以外の省)の役人(文官)を海軍武官として派遣するような
制度はないと理解しております。
ちなみに、短現の主計士官は原則としてみな主計中尉任官して補修学生にな
っているものと思いますので、彼が主計少尉であった期間があったかどうか
に関しては懐疑的です。
また、青葉乗組は、多分補修学生直後の最初の艦隊配置のはずで、このとき
はダブル配置あるいはトリプル配置の庶務主任だと思います。
今泉 淳
高専出身の場合はそうじゃないかもしれません。これは、他の二年現役の
士官(軍医科なんかがそうじゃないですかね)も同じだと思います。その場
合の扱いに関しては、ちょっと調査が行き届いてないので断言はできませ
んが、少尉任官後に教育、あるいは見習尉官などと呼ばれて教育を受ける
などではないかと想像しております。
今泉 淳
二年現役主計科士官の第一期出身者35名中、2名が高商卒でした。大学卒が
主計中尉に、高商卒が主計少尉に任官して、その後補修学生課程を修了して
部隊配属になっておりました。なお、この35名のうちすでに就職をしていた、
あるいは就職先が決まっていた者が少なくとも22名いた模様です。
今泉 淳