20 |
神重徳 |
主だった経歴は、海兵48期、軍令部部員(作戦班長だったかな)、
第八艦隊参謀(首席参謀)、多摩艦長、教育局一課長(二課長も兼
務だったかも)、聯合艦隊参謀(首席参謀)、第十航空艦隊参謀長
といったところでしょうか。戦後、連絡飛行中、乗機が津軽海峡
に墜落し機外に脱出、救助を待っていれば助かった状況だったそ
うですが、結局そのまま殉職(という扱いでよかったのかな)した
と思います。
海軍大学校は、たしか優等卒業だったはずですが、受験は三度
目かなにかでうかったはずで(海大の受験は3回までしか許され
てなかったと思う)、もし落ちたら「海軍を辞めて、家業の芋焼
酎屋を継ぐ」とか言ってような気もします。ちなみに、この人
の出身は鹿児島だったかな。
勇猛果敢、良く言えば積極的ですが、一方で「神さん神がかり」
などとも言われ、一種の精神論者と見ても良いかもしれません。
また、教育局課長の際、上司である教育局長の高木惣吉少将を
謀って、当時の総理大臣東条英機を暗殺しようとした(TM計画)
こともあります。その実行直前にGF参謀への転出があり、また
内閣も倒れたので実行はされませんでしたか。
捷号作戦や水上特攻の話には必ず登場しますよね。捷号作戦の
ときはともかく、大和の水上特攻はこの人の性格やらその他諸
々の要素が大きな影響を与えているかのように見ております。
まあ、第八艦隊参謀のとき、第一次ソロモン海戦と後に呼ばれ
るガ島殴り込みの経験もかなり影響が大きいのではないかと思
いますけどね。
ちなみに、この海兵48期というのは他に、大石保(真珠湾作戦の
時の第一航空艦隊首席参謀、航海)、小野田捨次郎(海兵を2番で
卒業したが、クラスヘッドが事故死して、事実上のクラスヘッド、
軍令部部員、高雄艦長、第十方面艦隊参謀副長)などが著名なと
ころでしょうか。
今泉 淳