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2003 ここで聞いていいことなのか多少疑問なのですが、質問します。
よく年始等にテレビで「流鏑馬」を行っているところを見ますが、
私が見た限り全て「的が幾つか並んでいて、そこに平行に馬を走らせ
「横に」矢を放つ」という形式でした。ここから生まれた疑問なのですが、
実際の戦場での使用の場合も弓矢は「前」ではなく「横」に打つもの
だったのでしょうか?
(ヨーグモス)

  1. 正面に射るとすると馬の頭部が邪魔になります。
    弓の構え方からも、通説では左方に射るのが普通だとされます。
    ただ、前方(斜め前)にも射る事があったのではないかとの説もあり、
    あるいは状態によって横以外に変えていた可能性はあるかと思われます。
    町田

  2.  左斜め前から左斜め後ろまでが、日本の騎射の通常の射界でしょう。
    和弓の騎馬射法には正面(馬の首の上から射つ)、斜め右、真後ろ(おお、パルティアン・ショット)の射法もあるそうですから、
     参照 http://www.yabusame.jp/budou/kisya.html
    左以外の方向へは絶対射てないということもないのでしょうが、正面や右側に射たざるをえない状態になった段階で、すでに戦術的敗北を喫しているといえそうです。
     騎射については、下記サイトの「アーチェリーと弓道:その2」も参考になるかも知れません(上のサイトと大分ニュアンスが違う点もあって面白い)。 
    http://www.net24.ne.jp/~lv1uni/ken/w_swords2.html#sento
    カンタニャック

  3. なるほど、ありがとうございました。
    (ヨーグモス)

  4. 私、弓道の心得が多少あるもので。
    まず「前」か「横」かですが、馬の横というよりも、人体の横方向に弓は引く
    ものです。前に突き出した腕(肩部で直角に曲がっている)と横に伸ばした腕
    (肩部でまっすぐ)と荷重がかかった状態で、どちらが安定(弓の力を体で支
    えやすい)でしょうか?体を斜めにして弓を引くのは応用動作です。カンタニャッ
    クさんが探し出したページでも、体を捻じ曲げてますよね。少しでも、体の横
    方向で弓を引きたいからです。
    無論、実戦では、どの方向にも矢を向けるでしょうが、基本は横ということで
    す。

    派生してきたトピックスの左か右かですが、弓を引く場合、鹿皮の手袋を着用
    します。歩射の場合は当然、右手に着用しますが、騎射の場合、両手に着用し
    ます。これは、歩射の場合は、方向転換が容易ですが、騎射の場合は、馬の向
    きを変えずに左右どちらにでも矢を放てるようにするためです。最も、現在は、
    よっぽどのデモンストレーションでもない限り、左だけです。
    あるエンジニア

  5. 便乗質問になります。
    実際に騎射するような状況が日本の合戦においてあったのでしょうか。私はこれに類する記録を見た事がなく、流鏑馬は一種のスポーツと割り切っているのですがどうでしょうか。
    山奥の人

  6. >5
    確かな記録かといわれると、やや疑問もありますが、『将門記』では騎射が戦いの中心になっているのではないでしょうか。蒙古来襲絵詞でも、日本騎兵(竹崎季長だったかは覚えていません)は刀ではなく弓を手に突撃しています。



    カンタニャック

  7. ごみレスです。
    『1億人の昭和史10 不許可写真史』毎日新聞社 昭和52年 に

    「昭和12年10月15日 上海戦線で火矢を放って敵陣地を焼こうとする陸戦隊馬場部隊 不許可の説明はなかったが さすがに元亀・天正時代の戦法をもちだしたのが恥ずかしくなったのか」との説明文を付けて、和弓の火矢を引く高官らしき人物の写真が掲載されています。
     
    ところで、これって本気なのでしょうか???
    roht

  8. 5>.6>
    自分で書いていて忘れていた屋島の合戦時の那須与一の扇の的(笑)
    でもあれって騎射というよりただ距離を詰めるだけのような気が…。

    山奥の人

  9. 文献名が思い出せないのですが、源平の頃の話で「一騎打ちのコツは、相手を左側に、相手から見て右側に回ること」と騎射を前提とした話があります。射やすい左横への騎射が基本なのは確かのようです。ただ「最近はすぐ組討をしかける礼儀知らずがいる」ともあって、源平頃には廃れ始めていたのかもしれない。
    をぐに

  10. 川合康”源平合戦の虚像を剥ぐ”(講談社メチエ 1996年)に紹介されている
    逸話だと思います。
    ”吾妻鏡”の引用で、老いた武者が若武者にかつての戦のあり方を
    語っているのを筆録した内容であったかと思います。
     他に、近藤好和の”弓矢と刀剣”(吉川弘文館歴史ライブラリー 1997年)でも
    この記述を手掛かりにして当時の騎射戦の実相を考証していたと思います。

    他の例には、保元物語の為朝の戦闘描写などです。 
    ホムンクルス


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