1980 |
第二次大戦中日本軍の航空機搭乗員は長距離飛行の際に「航空食」物が配給?され、いなり寿司やサイダーを飲んだり食べたりしていたと言う話をよく聞くのですが 1,航空食には他にバリエーション(例えばI型がいなり寿司、II型が乾パンと言う風に)はなかったのでしょうか? 2,ないのであればどうしていなり寿司になのでしょうか?そのまま手に持って食べたのでは手がべとついたりして機器の操作がしづらいと思うのですが 3,当時他の国の航空機搭乗員ではどんなものを食べていたのでしょうか? 4,現代の自衛隊の航空機搭乗員も航空食はやはりいなり寿司を食べているのでしょうか? ポトリオット |
- 1・所属部隊の主計科がありあわせで作るものだったようです。片手で食べられるもの、というくらいの基準でした。のり巻が多かったようです。
3・手前味噌ですが
http://www.warbirds.jp/truth/lf5.html
にドイツ空軍での例があります。
まなかじ
- 4ですが、航空自衛隊のパイロットには通常の食事にプラスする形で『航空加給食』があります。空中勤務で肉体や神経に受ける多大なストレスへの抵抗力を高める目的で、タンパクやミネラル、ビタミンを主体とした食品(果物やヨーグルト等)を追加の一品として用意しています。戦闘機搭乗任務を基準としているため、プロペラ機パイロットよりジェット機パイロットの方が多めに設定されているとか。
ブラック・タロン
- http://www.warbirds.jp/ansq/6/F2000036.html
http://www.warbirds.jp/ansq/11/A2001737.html
御参考に
過去ログ
- 航空糧食は不時着時等に食べる非常用食料のことですが、ここで言われているのは長距離飛行時に食べる航空弁当のことだと思います。
航空弁当はメニューから言えば現在のコンビニ弁当のようなもので、ビーフステーキもあれば煮しめもあり、佃煮もつくといったものでした。主食も精白米を炊いた普通のごはんから、まぜご飯、五目飯、チキンライス、カレーライス等、かなりのバリエーションがあり、隊ごとに特徴もあります。
海苔巻が有名なのは台南空/二五一空の航空弁当が海苔巻中心だったことによるのでしょう。海苔巻も普通の海苔巻の他、チキンライスの海苔巻やハムライスの海苔巻、五目飯の海苔巻などがありました。しかしこのメニューバリエーションは航空弁当としてはかなり地味でしかも何ヶ月もの長期にわたりほとんど変り映えのしないメニューではあります。戦闘機だから片手で食べなければならないという縛りはあるにせよ、きっと隊員も飽きていたのではないでしょうか。
稲荷寿司は手が汚れるとの疑問もあるかもしれませんが、稲荷寿司が多用された理由は隊員の間で人気があった為です。
BUN
- 稲荷寿司
手、汚れますけど、気になりませんよ。
仕事でテンテコ舞いの時や、ウルトラ長距離ドライブ
(ちなみに絶対レンタカーです)の時、
作業やら運転しながら、海苔巻き稲荷の類を食べますが、
ズボン(もちろん作業用)の膝で
拭いてお終いです。
その頃の戦闘機パイロットって、操縦席に座ったまま
ションベン(小便袋を使わない人の場合)やらウンコ(これは誰にとっても本当の非常時)
を垂れ流してたんですよ。
それにくらべれば、些細なものだと思います。
無頼庵
- 無頼庵さん、航空弁当の人気、不人気はその些細な点にあって各航空隊はそこを工夫しているようですよ。
BUN
- 了解しました。考えれば、手のべたつきや弁当の出来が生死を左右し、
今日食べた航空弁当が最後の食事となるかもしれない・・・。
おっしゃる通りですね。
駄足ですが、僕、
東京の大学を受験したおり、泊めて頂いた親戚のおばさんが「敵に勝つ!!」
とビフテキ+トンカツの弁当を作って下さり、大変美味しかったのですが、
緊張して胃が弱っているおり、脂っこいもののオンパレードで
午後はお腹が変になって往生こいたのを
思い出しました。
空戦の緊張って受験の比ではないですもんね。
無頼庵