1904 |
初質問です。よろしくお願いします。 中学校の歴史の教科書に、ビルマの油田を攻めるという写真があるのですが、その写真の中に写っている十一年式軽機の左右に、鉄板のようなようなものが張り出しているようなのです。これは何なのでしょう。ご教授お願いします。 えむえっくす |
- 防盾(機関銃等の銃架の左右に装着される対弾・破片用の防護板)でしょうか? 11年式軽機関銃が防盾付き銃架に装着できたかどうか知らない(苦笑)&当該写真がどんなものかわからないので断言できませんが・・・
ブラック・タロン
- 私、回答できるほどの知識はございませんが。
中学校用の歴史教科書と言われても多数あるわけで、えむえっくすさんがその写真を発見なされた本がどこの出版社のどんなものなのか、明らかにした方がみなさまも調べやすく、つまり回答をよせやすいのではないでしょうか?
井中かえる
- 私、回答できるほどの知識はございませんが、気になって検索だけしてみたら、
写真によって「鉄板のようなようなもの」が見えたり見えなかったりですね。
↓見えない
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki6/gunpaku/gunpak.html
↓よく分からない
http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage419.html
↓見える(十一年式軽機関銃の項目をクリック)
http://www.d-b.ne.jp/t-key/army/rifle/jp_96lmg.htm
闇鍋
- >2、井中かえるさま
東京書籍、平成13年2月10日発行の、歴史760という教科書です。(今の教科書のひとつ前のものです。)その259ページにあるものです。資料名はしっかり書いておくべきでした。すいません。
>3闇鍋さま
その1番下のものと同じものだと思います。
えむえっくす
- 記憶モードですが…
十一年式はキャリングハンドルが無いので、射撃後の移動時等に焼けた銃身を
素手で掴まない様に(確か)皮製ガードの設定がありました。
最初からピッタリ銃身に付けておくと放熱を妨げるので、
射撃時等は左右に別れて(写真の様に)開いており、
いざ突撃と云う時に左右を合わせて手で掴む(支える)構造だったと思います。
papanambu
- 私も記憶モードなのですが・・・
十一年式軽機には、3年式重機のように、右側方からの給弾が可能なものが存在していたと思います。
3.>闇鍋様が御提示してくださった「見える」の資料写真では、右側の「L字型の板」が給弾板、左側の曲線形状のものは薬莢回収箱であると思われます。
暇人
- >1、ブラック・タロンさま
どうも銃架という立派なものではないようです。資料をしっかり示さずすいませんですか。
>5&6 papanambuさま、暇人さま
うーん、確かに写真は突撃前のようですし、かといって左側のものが箱状のものに見えなくもありません。どちらなのでしょう。
3年式銃機が、右側から給弾可能だとは初めて知りました。銃砲関係はまだまだです。
えむえっくす
- どこかにこの皮製ガードの説明記事があった筈―――と一生懸命探しましたが、見付からな〜い。。。
しかし「左右に別れて…」と云うのは記憶モードの混線だった様です。
これは「握皮」と云い、U字型の牛皮の内側に金網で包んだ石綿の断熱材が入っています。
固定位置には上記サイトの様に銃身基部(後ろ側)の物と、前側の2種類がある様で、
両タイプが一緒に写っている写真もあります。(これを左右と間違えたかな?)
暇人さんの言われる薬莢回収箱は本来の弾薬ホッパーの様に(私には)見えます…
銀河出版の「日本軍実戦兵器」と云う書籍に色々な角度・タイプの写真があります。
papanambu
- 結局あまりはっきりしませんが、みなさんの回答を元にして、いろいろ調べていきたいと思います。みなさん、本当にありがとうございました!!!
えむえっくす