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1766 おねがいします。
ナポレオン戦争時代、鉄砲・拳銃は火打石で発火させたと記憶していますが(フリントロック式…でいいのですよね?)、雨や雪の時、また海軍などは濡れると発砲できなくなると思います。でも、そうなると当然発砲できるように防水する事を考えると思うのですが、当時の人はどのようにこの問題をクリアしていたのでしょうか? お教えください(火縄銃などに思いを馳せると、もうアタマグルグルです)。
まるき

  1.  日本の火縄銃に限って話をすると、火皿(点火孔)自体に防護キャップである火蓋が付いているほか、火蓋とは別に火皿の上に被せて雨水等を避ける『火皿覆い』という道具があったようです。火皿覆いの形状は確か和傘のミニチュアみたいな代物だったように思うのですが情報不足(;^_^A あと、火縄にも防水対策として漆を塗った『雨火縄』があったそうです。
     ヨーロッパにおける火縄式〜パーカッション・ロックの防水・防湿対策については情報不足です。

     19世紀頃までの銃砲の発射薬は吸湿性の強い黒色火薬で、しかも金属薬莢が登場するまでは発射薬をいわば丸裸の状態で装填していました。よって、どんなに銃の点火機構が進歩し、また防水対策を厳重にしても、環境的要因等によって発射薬自体が吸湿してしまえば発火性能は格段に落ちたものと思われます。金属薬莢の登場は防水・防湿という点でも画期的だったわけです。
    ブラック・タロン

  2. >しかも金属薬莢が登場するまでは発射薬をいわば丸裸の状態で装填していました。 ヨーロッパの場合割と早くから日本で言う早合(一回分の弾と弾薬を紙に包んだもの)が普及していたのではないでしょうか。それでも火薬ケースを持っている兵がいるのは、点火用の黒色火薬の中では感度が高い物と発射用の安全性の高い物が在るため点火薬は別在したからです。あと、早合が尽きたときの発射薬を別に持つこともあったそうです。
    紙も直に濡れれば何の効果もありませんがペットのお茶に入っているビタミンCのごとく変わり身となって吸湿剤代わりになるんじゃないかな、と思います。

    あと、フリントロックの銃は引き金を引くと火蓋が開きハンマーが落ちるダブルアクションな代物だったためいったん詰めちゃえばあとは注意するだけかと思います。火打ち石の方は一人数個持っていたはずですので発射に支障が出たら交換すればいいと思います。

    >海軍の銃砲
    そもそもその頃の船って砲が波かぶるほど荒れているところで航海、あまつさえ戦闘なんて出来たんでしょうかねぇ、ここら辺船に詳しい型のお話を期待しております。個人的には出来ないから船体の砲門には扉が着いているとおもうんですが。
    紅葉饅頭

  3. >2
     いわゆる紙(皮)薬包ですね。この手の薬包は装填手順を早めるのには役立っても防水・防湿対策としてはそれほど有効ではなかったのでは?と愚考して、1のレスではあえて記述は省いておりました(^^ゞ
     日本では火縄銃の頃に同じようなアイデアの早合があったわけですが、ヨーロッパにおいてこの手の紙薬包や皮薬包が登場した時期は資料不足で不明です。ただ、これらの薬包がもっとも普及した時期は南北戦争の頃だそうです。

     弾の防水ネタで思い出した余談。イサカM37ショットガンは装填口が排莢口を兼ねていることで有名ですが、この方式を採用した理由の一つがショットシェルの防水対策(レシーバー側面に開口部を作らないことで雨水等の侵入を防ぐ)でした。昔のショットシェルは紙製だったので、濡れると膨らんで薬室に入らなくなり、発射薬も当然湿気てしまいます。今のプラスチック製シェルでも防水性には難があるそうですが、未だにイサカM37以外で下方排莢のショットガンはない(はず)のです。
    ブラック・タロン

  4. >3 http://www.sanynet.ne.jp/~imperial/Napoleon/weapon.html
    をちょっと見てください4カートリッジ・・・のところです。といってもこれしか主張できるものがないんですが。
    紅葉饅頭

  5. >2
     フネですかい。
     フネの場合でも、普通は装填をしていません。大荒れの場合は、戦闘も普通はしませんが、大荒れでも出航する事はありますし、外洋で荒れちゃったら根性で頑張ります(これは実例が幾つもありますが、まあ航海そのものが冒険ですね)
     また砲門に扉がついてるのは紅葉饅頭さんの考えのとおりです(やばい時には閉めます>これは20世紀初頭の艦艇までそういう構造です。機会があったら横須賀の三笠でもご覧になってください)この問題があったので風上を取るとかの戦術運動が有利不利に繋がる事もあり、近代戦闘艦では甲板上に砲を備えるのが普通になっていくのですな。

     でもって、戦闘中でも場合によっては波飛沫が飛ぶので、状況によっては装填時に蝋や油紙を砲口から詰めたりして対処しています。
     艦船で怖かったのは被弾による火災ですので、波被る程度ならかえって安全だったりする事も場合によっては有りました。また着火に関しては、火打ち石のみならず、火縄も準備されています(その程度の設備は艦船は抱えられますので)よって多少砲が濡れても発砲できるようにはなってました。


    SUDO

  6. 1.和銃(火縄銃)の雨中対策
      銃のカラクリ(機関部)全体を覆う、皮製筒状の”雨覆”を考案・使用するも、
      無いよりは増しな程度と考えられます。 強風雨の中では役立ちません。


    2.フリントロックについて
      吸湿性の高い”黒色火薬” と、打撃機後バッテリー(発火板)が起き上がって、フラッシュパン(火皿)を
      露出させる”フリントロック(スナップハーンス含む)”の組み合わせも、雨中の使用に適していない事は明白です。
      例えペーパーカートリッジ{紙(皮)薬包}に於いても、雨中の着火性の改善にはなりません。 
      和銃(火縄銃)の様な”雨覆”的な物も見聞しませんね。

      雨中着火性の改善は、パーカッション(雷管)方式が登場して実用となったと言えるでしょう。
      よほどの暴風雨でなければ確実に発火出来ます。 
      又、パーカッションは、火縄式&フリントロック式共通欠点⇒遅発(火皿点火から発射薬着火jまでの一瞬の間)の
      改善にも役立ちました。 それ以前から較べれば、引き金を引き瞬間的にドンと撃つ事が可能となりました。


    3.大砲について
      面白い逸話を紹介します。 以下、岩波新書”火縄銃から黒船まで” 奥村正二著より要約。

     {ペリー黒船艦隊が浦賀に来航する10年前の1843年(天保14年)に江戸表より長崎代官に宛てた、
      防備に関する書状が残っており、その中で・・・・

     江戸表−問:(大砲の)風雨の折りも発射に支障はないか?
     長崎代官−答:高木大四郎が専門に砲術を学び、その家流として風雨にも支障無き火信管・火門蓋などを用意済み。}

      という、やり取りが有るそうです。小生の薄学ではこの火信管・火門蓋の詳細は不明ですが、当時の日本に於いても
      雨中発火性の問題意識を持ち、改善努力をしていた事が伺えます。

    軌跡の発動機?誉

  7.  憶測になりますが、当時のヨーロッパでは防寒具兼雨具としてマントを装備している事が多かったようですからマントの裾を被せたりしたのでは無いでしょうか。またおそらくそういう視界の悪い天候で戦をする時は互いに発見が遅れて白兵戦になる事も少なくなかったのではないかと思われます。
    HCN

  8. 小説中の記述ですので、いまいちゴミです。

     ナポレオン時代のマスケットやライフルは、雨の中では事実上装填不能。従って大きな会戦には滅多にならず、小競り合い止まり。HCN様の推測通り、一部のベテラン兵士がマントやフロックコートの陰から発砲することもあったようですが、後は銃剣やサーベルでの切りあいになったようです。

     大砲の場合、とくに海軍の場合、タールを塗ったキャンバスまたはサージ製の薬包で装填し、点火口からスティレットなど錐状の刃物で穴を開け、導火線の類―鳥の羽軸に火薬を詰めたもの、中空の木栓に火薬を詰めたもの?―を差込、フリントロック式の発火装置か火縄で点火したようです。


    タンジェント


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