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「坂の上の雲」という小説を読んでいると、日本軍が露西亜軍へ、露西亜軍が日本軍に向けて撃ったたった数丁の機関砲が“おもしろいように”という形容詞を用いたくなるほどに簡単に何千単位の損害を敵に与えていますが合点がいきません。 そりゃあ第一次大戦のように対機関銃作戦を採る(又の名を塹壕に隠れる)訳ではないのでしょうから“雲霞のごとく”突撃を繰り返すためでしょう。が、日本軍が採用したホ式は空冷でしかも銃身交換が苦手です、的があっても物理的に不可能なはずです。ぜったい変です。 なんか思いっきり文がまとまってませんが教えてください、何故にそんな少数の第一期機関銃(砲)がそんなにも強かったのでしょうか。あと、なぜ機関銃は第一次大戦の新兵器と見なされているのでしょうか、教えてください。 紅葉饅頭 |
- 「坂の上の雲」はやはり小説として読み、小説として楽しむのが一番なのではないかと思います。
「坂の上の雲」以外にも日露戦争の陸上戦闘について触れた本は山ほどありますから、まずはそれらを読み比べてみる事をお勧めします。
BUN
- まずは接近行動を考えてください。紅葉饅頭さんは歩兵操典持ってるでしょうから、それを参考にして下さい。
密集した整然とした隊列で進んで、適当な距離で散開して、その後に匍匐したりしてゆっくりと接近して、思い切り近づいてから敵陣に射撃を加えて制圧し、その後突進というのが、まあ基本的な歩兵の前身攻撃スタイルです。
言うまでも無い事ですが、散開して接近運動を開始すると、部隊間の連絡は難しくなり、また移動速度も大きく低下します。よって可能な限り整然とした隊列を維持して目標近くまで移動したいのは判りますね。
機関銃や砲はこの密集した集団に打ち込むわけです。機関銃の恐ろしいところは歩兵銃とは別次元の有効射程を持つという事です。歩兵銃は制圧射撃と称しても数百m以上から放つ事は先ず有りませんし、防御陣地側も早々撃って来ません(歩兵が持つ弾薬数の関係とか布陣を読まれやすいとか、射撃を開始すると指揮官の号令が届きにくいとかの要素が、下手な遠距離射撃を戒める訳です)
ところが集団に対して点射をする機関銃や歩兵直援の大砲は1kmとか数百mから兵員を殺傷できます。これをボコボコ叩きこまれたら、散開する前に酷い損害を受ける事がお判りになるでしょう。
また、その本来想定していない損害は例え接近突撃に持ち込めても、攻撃戦力の不足に繋がります。考えて見て下さい。1kmの距離から機関銃がバーストでボコボコ撃って来たら、走って突撃するのに何分かかります?たどり着く前にヘロヘロになりそうですよね。また匍匐前身で・・・進めますか?機関銃はチラリと見えた奴を正確に点射で始末しながらゆっくり待てばいいのです。
機関銃を想定して早めに散開して、静かに隠れながら接近するという浸透戦術が後に出てきますが、この時期には無かった訳ですから、多くの兵士は突撃の前に酷い目にあってるわけです。
SUDO
- 日露戦争時の英国の観戦武官、Ian Hamilton卿は、ロシア側の戦線を見下ろす丘に進出した6丁のホチキス機関銃が、(昼食を採っていた、とされている)ロシア兵を1分以内に数百名、続く攻撃で最終的には約1300名もの兵員を殺傷した、と記録しています。 この記録からも伺えるように、「数丁で数千人」とは、自動火器にとって理想的な条件下で記録されたものであり、又、観戦武官達が残したこれら記録は、当時懐疑論が払拭されきれていなかった機関銃の有効性について自国にアピールする目的で書かれているという事情も勘案して評価する必要もあるでしょう。
「機関銃は第一次大戦の新兵器」とみなされているかどうかは良く判りませんが、少なくとも参戦各国に大量に配備され、戦術・戦略の変化を迫り、戦車の様な兵器の出現を促した、その程度の意味合いではないでしょうか。
みなと
- ありがとうございました、すっきりしました。
紅葉饅頭
- エリス『機関銃の社会史』という書物が、ご質問の点について非常に詳しく述べています。この書物によれば、イギリス軍自体、日露戦争に先立つブーア戦争に機関銃を投入し、大きな効果を確認しているにもかかわらず、ヨーロッパ人(文明人)同士の争いはまた別、と考えていた節があります。
つまり第一次大戦は「ヨーロッパ人同士が機関銃を打ち合った最初の戦争」であり、ブーア戦争や日露戦争を無視することは「人類で初めてアメリカを発見したのはネイティブアメリカンでなくコロンブス」という主張に似た一種のゆがみを含んでいます。
池田潔『自由と規律』はイギリスのパブリックスクールで少年期を過ごした著者の本ですが、その出身者であるイギリス陸軍士官がフットボールをドイツ軍の陣に蹴りこみ、「さあ続け」と真っ先かけて突進し、戦死したことがつづられています。機関銃が登場するまで、弾雨の中を突撃することは勇気の象徴であり、ときに報われる努力でもあったのでしょう。逆に言えば、機関銃の存在を意識しない軍隊は、我々の想像もつかない無防備な姿を自動火器にさらしたのではないか、ともいえます。
マイソフ
- 気になったのですが。
機関銃の活躍と日露戦争から第一次大戦頃にかけて発展した有線通信との間に関連性はあるのでしょうか?
モーグリ
- 結論から言うと、なかったでしょう。
無線機も野戦電話班も、第2次大戦開戦当時のドイツ歩兵中隊にはありませんでした。中隊規模の戦闘群を作る場合や、砲兵との連絡などに必要な場合、砲兵連隊の通信班、歩兵大隊本部、通信大隊などから臨時に通信手段をあてがったようです。1943年ごろの歩兵中隊編成表を見ると、中隊本部に無線班がいます。
つまり、中隊に行き渡るかどうかもわからない有線電話や通信機と、分隊に1〜2丁あった機関銃とでは、決まった支援パターンはなかった、と思われます。
むしろ、通信兵であったグデーリアンに「これならチームプレイが出来るんじゃないか」と思いつかせたところに、通信技術の影響が大きく関係していると思います。模型ファンの方々はご存知と思いますが、装甲兵員輸送車には当然無線機があるので、装甲擲弾兵に関して言えば半個〜1個分隊にひとつ通信機があったわけで、機関銃レベルの連携も現実味を帯びてきます。
第一次大戦は機関銃の戦争であると同時に、野砲の戦争でもありました。正確な弾着誘導のために有線電話は大きな影響があったのではないか、というのは私の推測に過ぎませんが、影響があるとすれば機関銃より砲であったと思います。
マイソフ