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日本の38年式歩兵銃は海外に輸出され、ロシア革命でも使われた、と聞きましたが本当でしょうか。 内田 |
- 記憶だけなので不確かかもしれませんが、
余剰の38式を日本は菊の紋を削ってフィンランド等に輸出していたようです。
国産/松
- 第一次世界大戦時に、ロシアに大量の三八式歩兵銃が輸出されています。
数量は手元に資料がないので正確なことはいえないのですが、余剰の三十年式小銃
とあわせて、百万丁以上が輸出されたと記憶しています。
また、弾薬もそれにあわせて大量に輸出されていました。しかし、ロシア革命により代金の回収は不可能となったようです。
ライフルマニア
- 出典が判らないのでなんですが、イギリスにも当時輸出され、海軍で使われたようです。(海軍地上部隊用?;海兵隊とともに西武戦繊維投入された物があると栄光の海兵隊シリーズというダグラスリーマンの小説のあとがきにでていましたがこれで使われたのですかね?;使われた云々は全くの憶測でデタラメの可能性大)
フィンランドの物はスイスから輸入されているらしい(「冬戦争」大日本絵画社?)とでていましたのでそっちの可能性で有るかもしれません。
よだんですが同じくフィンランド海軍の陸戦でつかった日本製12センチ砲もスイスかららしいですがこれはフランス海軍の民族型駆逐艦(日本製)の備砲?という説を何かで読みました。
なおここの過去ログにも有るはずですが、ロシアで38式実包を用いた突撃銃が作られ内戦で使われたそうです。(私はむか〜し、丸で知りました)
素人の空耳モード
- ロシア、フィンランド、イギリス各国に38式歩兵銃がかなりの数輸出されています、またタイ他各国にも輸出されています。
数なんですが、先日借りっ放しにしていた「日本の軍用銃と装具」を図書館に返却したんでわかりません(−−;
ooi
- 半ばゴミ。(^^;
ロシア革命がらみとともに、かのアラビアのロレンスが使用したのも三八式だったと読んだ記憶が。
MB
- ありがとうございました。
意外な事実に驚きました。
質問者
内田
- ロシアには火砲に砲弾まで輸出もしくは譲渡されていますが、その砲弾数は800万発だそうです。もっとも、これでもWWI当時の英仏の1ヶ月分の生産数だってんだからたまりません。
あと、小銃はロシアだけでなく英仏にも多数譲渡されてまして、合計97万丁余り。うち56万丁が三八式です。残りは三0式みたいです。
国ごとのはっきりしたかずは分かりませんが、開戦直後にロシアに三0式20万丁、フランスに三八式5万丁引き渡したとあります。以降もかなり引き渡してるはずで済んで、あまり参考にはなりませんが。
tomo
- >7 97万丁ってのは連合国側に引き渡された合計数です。
tomo
- 数についてちょい詳しくメモってきました、出典は「日本の軍用銃と装具」です、ただ、数については推定との事ですのでご注意あれ。
1.英国への輸出数
30万〜50万挺(1915年〜1917年)6.5mm弾使用タイプ
(うち128,000挺がロシアに再輸出)
主に海軍、予備役、国内警備等向け。
2.中国
20万挺 6.5mm弾使用タイプ
各軍閥などへ輸出された模様
3.メキシコ
36,000挺 7mm弾使用タイプ
メキシコ政府支払不能の為最終的にロシアへ転売
4.タイ
43,100挺(1925年)7.62mmモーゼル弾使用タイプ
5.ロシア白軍
600,000挺(1914年〜1916年)(30年式含む)
6.フィンランド
1万挺
エストニア独立支援の為購入
その他にも中古を購入、配備しているとの事。
その他
オーストリアでの使用記録を確認
総量は150万挺近くになるが、再輸出、30年式、35年式の輸出量も含むと見られるため、おおよそ100万挺(推定)を輸出用に生産したと見られる。
ちなみに30年式の生産総数は歩兵銃騎兵銃合わせて60万挺(推定)35年式は36,000挺(内26000は輸出用に生産されたものと推定)38式は224万挺を1609年〜1923年までに生産(以降も生産されていますが)されているようです。(くわしい記録などがすべて残っているわけでは無いので、シリアルナンバー他より推定したそうです)
ooi