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以前こちらでお世話いただきました星野と申します。 またぞろ、愚問ですがよろしくお願いいたします。 日本陸軍の機関銃の給弾方法ことですが、陸戦用の重機関銃は保弾板が主流でしたが 欧米のようにベルト給弾のものは考えられなかったのでしょうか? やはり弾丸の供給の問題からできなかったからでしょうか? 皆様、よろしくおねがいいたします。 星野 |
- 過去にここでも何度か話題になっていますが、保式(ホチキス機関銃コピー)に始まる旧陸軍の国産重機関銃が保弾板を使い続けた理由の一つとして『弾を浪費させたくなかった』というのが挙げられています。この辺は諸説紛々なところがありますが・・・
ベルト給弾機構は当時の日本の工業技術でできなかったわけではないと思います。
ブラック・タロン
- 帝国陸軍の重機関銃に、保弾板(英:strip)が採用されているのは、持続発射速度(発射弾数/分)と関係が有ります。
ホチキスを元とする帝国陸軍の重機関銃シリーズの1つの弱点は、銃身空冷式でありながら、銃身交換が容易に行えない事でした。
かといって、作動方式が、ガス圧利用構造の為、水冷方式にも出来ませんでした。
その為、ベルト給弾式は、あえて採用せず、30発保弾板を採用し、一度の連続発射弾数を30発程度に抑え、
銃身過熱を防ぐ事としました。 撃ち終えれば、次の保弾板をいちいち装填したわけで、この繰り返し動作により、
銃身過熱寸前の 200〜300発/分の持続発射速度を維持させてたわけです。
これは、元祖、仏国 M1897 ホチキス機関銃も、全く同様であります。
なお、帝国陸軍の30発保弾板は、とりあえず、連結可能な構造には、なっていました。
軌跡の発動機?誉
- 元々は、軌跡の発動機?誉さんの仰るとおりなんですが、
日本軍の重機関銃はそう無茶苦茶な連射をする射法を用いてないというのも理由の一つです。
歩兵操典あたりを見れば判るように、薙射でも数連(保弾板数)を指定して射撃します。
飛行機を撃つ訳ではないのですから、大事なのは充分な密度の弾丸を持続して投射できるか否かであり、また投射量を制御できる事な訳ですから、実用上保弾板で問題は無かったのではないかとも考えます>つまり銃身交換機能、水冷銃身、無数の弾丸といった事をしてまで射撃速度を上げる必要性は特に無かった。
SUDO
- 要塞防衛用の拠点装備として少数生産された98式(だったかな?)重機は水冷銃身+ベルト給弾を採用していますね。
ささき
- 九二重機に関しては、戦記の中でも褒める記事こそあれ、けなす記事にはほとんどお目にかかりません。
重機班はともかく、それに支援される歩兵中隊が不満を覚えていない、というより非常に信頼を置いている、というのは重要なことではないでしょうか。
実際に戦場で出くわしたヴィッカースやブローニングといったベルト給弾(水冷)で連射の利く重機をうらやましいとは思っていないのです。
あ、豊富に弾丸をばらまいてくる、という意味じゃなくて、あくまでそうした性能を持っているという点に関しては、ですが。
日本の重機は「今撃って欲しいところを的確確実に撃ってくれる」ことが売りの兵器で、それについてはSUDOさんが触れられているように、長時間の連射ではなく、高精度の照準器と頑丈な三脚、重くて安定した銃本体にモノをいわせた精確な点射の連続で行なうものでした。
この目的には従来の保弾板で十分(一枚で三点射10回、五点射6回が可能ですね)であり、それをわざわざ変える必要性を感じなかったのではないかと思います。
また、布ベルトにしてもメタルリンクにしても、弾薬供給だけではなく面倒なことが多く、補給体制や輜重部隊の編成そのものの変更魔でも要求されてきます。
手軽な保弾板で間に合うならばその方が入手性生産性整備性の面でもよかったとも言えます。
まなかじ
- >3.歩兵操典−−−−
明治42年制定の以前より、ホチキス、38式機関銃は、保弾板方式ではありますが、制定後、幾度の改定後にても、
歩兵操典の内容自体が、白兵突撃主義、精神主義、火力軽視、速戦即決などの攻勢主義が主体で、
弾幕を張る必要が往々に有る「防御戦闘」に関しては、非常に消極的であります。
この帝国陸軍の歩兵戦闘思想が、弾幕を張るのには適するベルト給弾式を考慮しなかった理由の1つ、
とも言えるのではないでしょうか。
〜?誉
- >6
まあ、ここで日本陸軍の白兵が如何のという論戦をするつもりはないのですが。歩兵装填は作戦要務令ではないので、攻撃するべきか防御するべきかを述べた所ではありません。攻撃時はこうして使え、防御時にはこうして使えと述べた教科書です。ですから、そこには攻撃偏重の防御軽視という思想は私には特に感じられませんし、此処は読書感想をする場でもないでしょう。
さて、歩兵操典の、白兵突撃における各兵士・兵器に対する項目を見れば、突撃時に歩兵部隊には重機関銃しか火力が無い事が判ります。
小銃は安全装置、擲弾筒は装填してある場合は弾を抜く事とされており、反復・連続する突撃の場合は手榴弾を支援火力として用いる事とされています。白兵に頼る場合、重機関銃の火力が突撃時には非常に重要な要素になる事が読み取れます。
これは重機関銃の用法においても、常に最前線歩兵部隊に密着する事を再三述べた上で、突撃行動時の射撃に詳しく触れられています。
第三百四
第一戦歩兵突撃ヲ準備スルニ至レバ機関銃ハ最モ有利ナル位置ニ進出シ準備ヲ周到ニシ第一線歩兵ニ密接ニ連絡シ我ガ突撃ヲ妨害スベキ敵特ニ側防機能ヲ撲滅若シクハ制圧スベシ
突撃の機熟スルヤ機関銃ハ火力ヲ最高度ニ発揚シ歩兵ノ突撃ヲ誘起スベシ側防機能ノ射撃ニ専任スベキ機関銃及自動砲ハ地形地物ヲ利用シ予メ周到ナル準備ヲ整フ
機関銃鉄条網ヲ破壊スルニ方リテハ突撃部隊ニ密ニ連絡シ勉メテ敵ニ近ク進出シ短時間ニ目的ヲ達スルヲ要ス
第三百六
第一線歩兵敵陣ニ突入セバ小隊ハ機ヲ失セズ最前線ニ進出シ陣地内ノ攻撃ニ密ニ協同スベシ特ニ自動砲ハ行動ヲ機敏ニシ対戦車射撃ニ遺憾ナカラシム此ノ際一地ニ蝟集シテ無益ノ損害ヲ被ラザルヲ要ス此ノ時機ニ於ケル幹部以下ノ勇敢ナル動作及戦機ニ投ズル射撃ハ戦闘ノ成果ヲ特ニ大ナラシムルモノナリ
どうでしょう?
白兵突撃する日本軍とは、つまり限界まで前進した重機関銃の火力を背に受けて突進するものであり、突撃の成否・戦果は偏に重機関銃部隊の能力に依存するものだったのです。
また防御軽視と述べられてますが、重機関銃の防御戦闘の項目を見れば、求められていた能力は何か容易に理解が可能だと思われます。
防御においては『猛射』という言葉が使われているほどであり、手加減なしの全力射撃を前提としている事が容易に理解できるでしょう。予め設定してある火網点でなくても撃てるなら撃つ事、陣地を変換しつつ常に敵に火力を浴びせつづける事、例え陣地に突入を許しても撃ち続ける事。
防御戦闘に関する項の方が攻撃よりも多い程です。
また突撃失敗からの退却の時は、損害を顧みず自ら友軍の犠牲となり云々として最後までその火力で歩兵部隊を守る事とされています。
これを精神論とだけで切って捨てるには、判断を間違えると個人的には考えます。
日本陸軍歩兵部隊において、最も頼りになるのは重機関銃であり、あらゆる局面で最も有力な武器であったのです。
果たしてベルト給弾は持続射撃時間に益するのでしょうか?
弾があっても過熱で撃てなくなるなら、持続射撃時間は稼げませんし、そこで銃身交換を容易にしたとして、今度は弾がつきます。
果たして毎分1000発と500発で、突進する敵歩兵部隊に対する打撃能力が変化するのでしょうか?
変化の度合いは倍以上の弾薬消費に見合うだけの効果をもつのでしょうか?
必要充分な弾幕密度を可能な限り長い時間保持する事ができればそれで良いのではないでしょうか?
単なるカタログ数値の優劣ではなく、どういう組み立ててで戦闘をするつもりであり、その組み立ての中で、それぞれの部隊や火器はどういう役割を担っていたのを見れば、日本軍が重機関銃に何を期待し、どういう性能を与えようとしていたのかは理解できると思います。
それは精神論とか白兵主義とかの、何処の国にもあるような(そいや赤軍の教科書にもありましたな)何かを言ってるようで何も言ってないような言葉ではなく、実際に如何しろと書いてる部分を読む事から理解が進むのではないでしょうか。
SUDO
- (ヨタ話)今件に関しては具体的な情報を持たない為コメントを差し控えておりましたが、僭越ながら感想をひとつ。SUDOさんのご意見を読めば読むほど、帝国陸軍もベルト給弾・軽量且つ銃身交換容易な近代的な機関銃を欲していたのではないかという感想を抱いてしまいます。次世代の機関銃には、そのような開発指針が示されていたのではないでしょうか。
みなと
- >8
92式の次の重機関銃は一式で、92式から軽量化されて運搬しやすくなり、弾薬互換性を確保したもので、保弾板を使用しています。
SUDO
- でもって、まなかじさんが述べられたように、その猛烈な弾薬消費をどう考えるかなんですよ。
歩兵操典の重機関銃の項目には、随所に弾薬集積と補充に関して述べられてます。
機関銃分隊(一丁)は分隊長に8名の人員で構成されてますが、運搬時はこの半数の4人が弾薬を運ぶんです。
これに加えて機関銃中隊には弾薬小隊があり、大隊弾薬班と前線機関銃の間を結んでおり、必要に応じて、機関銃運搬用の馬も弾薬輸送に用いる事も記されています。また、弾薬小隊は機関銃の陣地転換等にも機敏に対応する事が求められており、これは機関銃分隊がそれだけ完結した(所要弾薬等を確保している)ものでは無く、戦闘時にも常時後方からの補給を受ける存在であった事が見て取れます。
そして防御戦で各陣地は可能な限り弾薬を溜め込んで置く事を要求しています。弾薬小隊の支援がないと直ぐに立ち枯れしてしまうわけで、弾薬小隊の能力を当てに出来ない、補給能力よりも消費が多い事も容易に想像がつきます。
兵士がたすき掛けする程度の弾薬は屁のツッパリにもならないのです。
いざ事が始まったら、重機関銃部隊は人員の半分を弾薬運搬に使って陣地を推進しながら撃ちまくり、中隊の抱える馬の殆どまで掻き集めて弾薬小隊が前線と大隊弾薬班の間を駆け回る事で弾薬補給をする事で、重機関銃の戦闘というのが成立するのです。
もし倍の弾薬の消費に耐えられる弾薬小隊・供給組織を用意出来るなら、従来型機関銃の数を倍にした方が有効なのではないでしょうか?
SUDO
- 早い話が、兵器というものは、その軍隊が置かれている様々な状況と、その軍隊が持つ運用思想に基いて開発されるものだということです。
それに合致していなければ、一見スゴイ性能の兵器であっても使いにくくて仕方がないということにもなるわけです。
日本軍が求めていた重機関銃というのは、実は軽機に負けないくらいのイキオイで第一線で激しく運動・機動すべきものです。三脚に搬送桿を突っ込めば、射撃姿勢のまま安全装置と緊定桿をかけるだけでひょいと移動できるという日本軍重機の「機動性」「即応性」の高さを見逃してはいけません。
米英ソの水冷重機はここまでの運動性は要求されていません。使い方、運用思想がちょっと違うのです。
理想をいえばMG34/42なのでしょうが、重機用のラフェッテ(三脚)と300発弾薬箱、つまりシステム重量を考えれば、MG34でも九二重機とたいして変わらないことが理解できるかと思います。しかもMG34重機仕様をまともに移動させるには三脚をたたむ必要があったりします。九二重機と比べて不便この上ないですね(笑)
もちろん、MG34の場合は部隊の前進についていく軽機もまたMG34だという事情があってそれで良いということなのですけれどもね。
弾薬そのものの供給不足というよりも、その輸送能力、とくに段列から銃側までの最末端の部分がその運動に追随し得るものなのかどうかという点に問題があったのです。
また、メタルリンクのベルトは工場で作るものですし、布ベルトでも急に用意はできません。たくさんの予備ベルトを前線の歩兵大隊に持っていき、保管管理、あるいは布ベルトならば装填作業をしたりというのは、日本陸軍の作戦思想からすれば迂遠で大隊の運動能力を束縛するものだと思えたのでしょう。
日本陸軍はドイツの機甲部隊と同じくらいか、もしかするとそれ以上に非常に機動を重んずる攻撃的な軍隊ですから、教科書はそのようになっていますし、もちろん装備もそれを実行できるものでなくてはなりません。
SUDOさんが仰るように、日本陸軍の歩兵火力の骨幹は重機ですから、重機の運動性能=部隊の運動能力です。
何が何でも重機の運動性能を下げるようなことはしたくないし、重機が撃てないという事態も避けなければならない。
重機の支援なしに突撃することは考えられないことなのです。大戦中にそれをやったからといって、日本軍がそれで良いと考えていたということでは絶対にありません。
機銃のベルト給弾の技術に関しては問題なかったはずです。
ささきさんが触れられている九八式もそうですし、もちろん航空機銃ではふつうに用いられています。
けれども一式重機に至っても保弾板を使用していたということは、とりもなおさず陸軍はそれに満足していたということでしょう。
保弾板に不満があれば、弾薬小隊を改組してでもベルト給弾にしているはずです。なにしろ、重機は戦闘力の中心なのですから。
保弾板は軽いし、再装填が極めて容易、しかも手作業のみで可能という大きなメリットがあり、重機一挺に何枚かの保弾板を持たせてやれば、あとはバラ弾を前送すれば済みます。
保弾板での射撃でも一線歩兵は絶大な信頼を重機に置いているのですから、これ以上の改良は改悪にしかならないでしょう。
日本軍重機は兵の突撃前進・敵一線突入を見るや、すかさず陣地を変換推進するという運用をしたい、そのための弾薬輸送能力(というか部隊自身の弾薬携行能力といった方が良いか)との兼ね合いから保弾板を使用しているのです。
まなかじ
- 逆に、欧米で保弾板が廃れた理由は何だったのでしょう?第一次大戦で米陸軍が使ったフランス製オチキス空冷重機はえらく不評だったそうですが、具体的に何がどういう風に不評だったのかよく知りません。水冷ベルト給弾のマキシムに撃ち負けたのかな?
ささき
- >ブラックタロンさま、ささきさま、SUDOさま、まなかじさま、みなとさま、〜?誉さま(順不同)
皆様、ご丁重なご回答ありがとうございます。感謝いたします。
弾の補給の御意見や、重機の運用に関わるご意見、構造に関するご意見等とても参考になりました。
皆さんのお話を総合して思うに、自軍の重機への信頼性の高さが特に印象的でした。
ありがとうございました。
星野
- 久しぶりにのぞいてみたら、中々盛り上がってるじゃないですか!こりゃ面白い。
まとめて頂いた後で恐縮なのですが、もう少々続けさせてください。>星野さま。
SUDOさんと、まなかじさんの「日本軍の機動性を重視する重機関銃の用法と、
その用法に見合った弾薬供給の都合上、保弾板の使い勝手が良く、継続使用した」との御意見を拝見して、
この結論に到る過程の推論で少々誤解に基づいていると感じられる箇所がありますので指摘させていただきます。
1. 保弾板の使い勝手について
保弾板は真鍮/鋼製の薄板を打ち抜き加工したもので、一枚ずつ変形を避ける為厚紙製の箱に入れて支給される程、
非常に変形し易い代物です。又、装弾が非常に容易である、とは、言いかえれば実包の保持力が低い、
ということでもあります。変形、乃至、実包の脱落は直接、作動不良の原因となります。
又、保弾板の重量は一般に、同容量のメタルリンクに比して軽量ではありません。
2. メタルリンクのアンモベルト供給形態、及びベルト給弾の火器のマヌーバビリティーについて
>11.の「また、メタルリンクのベルトは工場で作るものですし、布ベルトでも急に用意はできません。」
の一節、少々不明です。メタルリンクが工場で生産されるのは保弾板同様当たり前のこと、
メタルリンクのベルトが実包をはめ込んだ状態で工場から出荷される、というご趣旨でしょうか?
だとするならこれは誤解です。 リンクベルトへの実包の装填作業は多くの場合前線においてなされ、
装填機(弾薬箱に入れて携行できるサイズのものが多い、例:独 Gurtfuller 34/41)を用いたこの作業は
非常に迅速なものです。(無論手作業も可能ですが、時間がかかります。)
>11.重機は戦闘力の中心なのですから。保弾板は軽いし、再装填が極めて容易、しかも手作業のみで可能という
大きなメリットがあり、重機一挺に何枚かの保弾板を持たせてやれば、あとはバラ弾を前送すれば済みます。
本当にそのような方法で「戦闘力の中心たる重機関銃」の弾薬を補給していたのでしょうか?非効率に感じられます。
ベルト給弾の火器のマヌーバビリティーについて、古くはWW1時のMG08/15がKasten 16と呼ばれるベルト
収納ケースを付加することによって、標準250連のベルトにある程度の機動性を付加することに成功しています。
またWW2時には、ドイツの機関銃のメタルリンク標準長は50連、ここでもベルト収納ドラム(Gurttrommel 34)
のアイディアは再度使用されました。 このような収納ドラムを用いない場合でも、ベルト給弾が機関銃の
マヌーバビリティーを大きく妨げないことは、WW2後各国のGPMGが十分証明しているのではないでしょうか。
3. 機関銃の発射速度と、実用発射速度について
例えばMG42は1500発/分という猛烈な発射速度で有名ですが、この機関銃の実用発射速度もやはり毎分300発程度、
発射速度が2倍の機関銃を運用することによって、弾薬の消費量が2倍になる、というわけではありません。
ではドイツは何故、陸上用に1500発/分もの発射速度の機関銃を採用したのでしょうか。
答えは、ショート・バースト(3〜4点射)の集弾性・命中率を重視した為です。従ってロング・バースト、
7〜12連射、或いはそれ以上の連射時の命中精度をその犠牲にしている訳で、このことからも基本的な射撃法が
ショート・バースト中心であることが推察できるでしょう。
(大戦後もこのショート・バーストの集弾性の研究は続けられ、有名なH&K社のG11、
3点射 2200発/分はその成果を盛り込んだものです。)
さて、これらを踏まえた上で個人的な見解を述べたいと思います。
日本陸軍の重機関銃(三年式、九ニ式、及び一式重機)はホチキス系の作動方式、及び給弾方式をほぼそのまま受け継ぎ、
従って初期抽出不良の欠点も改善されずに残っている。この為、戦場に於いては塵埃を集め、作動不良を誘引しかねない
塗油機を給弾機構上部に残している。
塗油機構は、同様の欠点を有するホチキス、ブレダ系に見られるが、保弾板は主にこれらの機関銃採用されている機構である。
これは上部から塗油すれば薬莢のほぼ全面に塗油できるというレイアウトも関係しており、事実ベルト給弾で
塗油が必要な場合は、弾薬をベルトに差し込む前に塗油しなければならなくなる。
→日本陸軍の重機関銃は、ベルト給弾が採用しにくい機構である。
日本陸軍の重機関銃の発射速度について、前述の初期抽出不良の問題から、連射速度を向上させることが難しい設計
(連射速度を上げようとすると、抽出不良/薬莢切れ等が頻発する)ながら、一式重機に到って連射速度がそれまでの450発/分
から550発/分に向上。
軽機関銃に目を転ずると、やはり塗油機を有し初期抽出不良に悩んだ九六式の550発/分から、初期抽出の問題を解決し、
塗油機を廃することに成功した九九式では一躍発射速度を上げ、連射速度は850発/分に向上している。
僕が8.で述べたのは、以上の事実関係から演繹された感想、「できれば欲しかったのではないか」だったのです。
重機関銃の更新が顧みられなかったとするなら、現行の製品すら生産が間に合わないとか、予算が無いとか、そういった
理由だったのではないかと想像してしまいます。
尚、戦前の日本がベルト給弾の機関銃を自主開発するのに十分な技術的蓄積を持っていたとする、まなかじさんの
御意見には幾つかの理由から同意しかねますが、本題からいささか離れるため別の機会とさせていただきます。
みなと
- > 保弾板は真鍮/鋼製の薄板を打ち抜き加工したもので、一枚ずつ変形を避ける為厚> 紙製の箱に入れて支給される程、
> 非常に変形し易い代物です。又、装弾が非常に容易である、とは、言いかえれば> 実包の保持力が低い、
> ということでもあります。
> 変形、乃至、実包の脱落は直接、作動不良の原因となります。
実包が脱落しないほどの射撃時の安定性・・・というのは単なる結果でしょうね(笑
保弾板を変形させないように扱うだけの器用さとか丁寧さ、それに伴う「保弾板を変形させないような取扱法」みたいな、どうでもいいような猛訓練を要求でき、やってのけられるのは日本軍だけかもしれません。
しかし、ここでは一般論ではなく、帝国陸軍の九二式/一式重機について考察している部分ですので、そこはご容赦を願いたいものです。
実戦において日本軍の重機が黙るのは弾切れか敵弾を喰ったときくらいなもので、無故障に近い高い信頼性があったのは記録が示すとおりなのです。
> 又、保弾板の重量は一般に、同容量のメタルリンクに比して軽量ではありません。
同容量のメタルリンクに対する入手性についてはどうでしょうか。
また、重量に関して言えば、
2. メタルリンクのアンモベルト供給形態、及びベルト給弾の火器のマヌーバビリティーについて
>11.の「また、メタルリンクのベルトは工場で作るものですし、布ベルトでも急に用意はできません。」
の一節、少々不明です。メタルリンクが工場で生産されるのは保弾板同様当たり前のこと、
メタルリンクのベルトが実包をはめ込んだ状態で工場から出荷される、というご趣旨でしょうか?
だとするならこれは誤解です。 リンクベルトへの実包の装填作業は多くの場合前線においてなされ、
装填機(弾薬箱に入れて携行できるサイズのものが多い、例:独 Gurtfuller 34/41)を用いたこの作業は
非常に迅速なものです。(無論手作業も可能ですが、時間がかかります。)
> 本当にそのような方法で「戦闘力の中心たる重機関銃」の弾薬を補給していたのでしょうか?非効率に感じられます。
全くそのとおり、ふつうに考えたら非効率的だと思います。
しかし、日本軍重機の機動的運用における弾薬の輸送・補給の方法はバラ弾を前送することで成立するのです。
重機班が通常携行する弾薬箱(甲)は装弾済みの保弾板を収納しますが、弾薬小隊が運ぶ弾薬箱(乙)はバラの弾薬を収納するものです。
> このような収納ドラムを用いない場合でも、ベルト給弾が機関銃の
> マヌーバビリティーを大きく妨げないことは、WW2後各国のGPMGが十分証明> しているのではないでしょうか。
少々論点がずれているようです。
給弾ベルト自体は問題にしていません。
そんなことはそれこそMG34を見れば明白じゃありませんか(ぉ
MG34のLaffete34のマニューバビリティが悪いのは、絶対にベルト給弾だからではないですね(笑
問題は、やたらと動き回る重機中隊8挺の機関銃に対して34名の弾薬小隊(と担送馬)が駆けずり回るという日本軍の弾薬補給体制に対する、弾薬補給の最適解はどうなのかということなのです。
この弾薬補給がうまくいかなれば、九二式重機、そしてそれを更に追求した一式重機のせっかくのマニューバビリティの高さも宝の持ち腐れになってしまいます。
弾薬小隊はできるだけ多くの弾薬を運び込み、急いで他の銃のところへも走らなければならない。
できるだけ多くということは、できるだけかさばらないかたちで運び込むのがよいわけです。ベルトリンクに作ればそれだけ重量も嵩も増え、実包の数量そのものは減ります。
もちろん、ベルトの回収、再装填など戦闘時にやっている暇がないし、では戦闘間の全需要に応じられるだけの予備ベルトを集積し、戦闘中に配給できるかといえば・・・大きな疑問符がつきませんか。
列国の重機は、この多量の予備ベルトという点をクリアしているからこそベルト給弾にできるとも言えますし、また日本軍ほど重機に機動を要求していないからそうできるという側面もある、というのはこのことを言っています。
保弾板であれば、バラ弾を運び込まれても重機班に4名いる弾薬手の誰かがその場で素早く再装填することができます。
> 3. 機関銃の発射速度と、実用発射速度について
この点に関しては、わたしの方からは異論ありません。
> 日本陸軍の重機関銃(三年式、九ニ式、及び一式重機)はホチキス系の作動方式、及び給弾方式をほぼそのまま受け継ぎ、
> 従って初期抽出不良の欠点も改善されずに残っている。この為、戦場に於いては塵埃を集め、作動不良を誘引しかねない
> 塗油機を給弾機構上部に残している。
これは、古いままの加速抽出をやらない方式だったからです。
ガス圧作動でも例えばチェコのブルノのようなやり方であれば、ZB26やブレン、Vz30のような傑作機銃はできますよね。
それはともかく、遊底が重くて、かつ速度も力も十分に与えられている九二式、一式は塗油機構を持っていなかったと思うのですけれど。
> 軽機関銃に目を転ずると、やはり塗油機を有し初期抽出不良に悩んだ九六式の550発/分から、初期抽出の問題を解決し、
> 塗油機を廃することに成功した九九式では一躍発射速度を上げ、連射速度は850発/分に向上している。
九六式の抽出不良はある意味初期故障とも言えるもので、昭和十三年度以降の製品にはそうした不具合は見られません。
ノモンハンの戦場でも期待に応えてよく戦っています。
九九式の場合も、工作精度を高めただけですから、九六式や十一年式に見られる不具合は作動機構によるものではなく、6.5ミリ薬莢の薄いボトルネックを切らずに抜き出すには工作精度が不足だった、ということではないのでしょうか。
また、6.5ミリ弾では必要なだけのガス圧を得るのが難しかったという点も大きいように思います。
三年式重機に故障が多く、九二式になってぱったり故障しなくなった、また九九式軽機も信頼性が高かったというのは、7.7ミリ弾を使用することで利用ガス圧が増大し遊底に与える力も増大しているという部分があるのではないでしょうか。
> 重機関銃の更新が顧みられなかったとするなら、現行の製品すら生産が間に合わ> ないとか、予算が無いとか、そういった
> 理由だったのではないかと想像してしまいます。
ですから、各歩兵中隊に1挺宛ての重機を配備しましょうという新しい配備計画、新しい戦闘要領に基く、九九式小銃、九九式軽機と並ぶ新型重機として一式が選定されたのはなぜなのか、ということでしょう。
> 尚、戦前の日本がベルト給弾の機関銃を自主開発するのに十分な技術的蓄積を持> っていたとする、まなかじさんの
> 御意見には幾つかの理由から同意しかねますが、本題からいささか離れるため別> の機会とさせていただきます。
自主開発とは言ってませんて(笑
九八式もヴィッカーズが原型、つまりマキシム式反動利用の機関銃です。
どうしてもベルト給弾の水冷機銃が良ければ毘式ならばすぐにでもできるし、フランスやイタリアがやっていたようにホチキス式ガス圧作動でもベルト給弾にはできます。
まなかじ
- >15. 実戦において日本軍の重機が黙るのは弾切れか敵弾を喰ったときくらいなもので、無故障に近い高い信頼性があったのは記録が示すとおりなのです。
九ニ式が高い信頼性を有すると伝えられているのはまなかじさんの仰る通りです。しかしながら僕の手許には具体的な故障率を示した記録がありません。
米軍の捕獲兵器用のマニュアルの記載には信頼性に関する具体的な評価はありません。捕獲兵器の調査報告書を機会があったら調べておこうと思いますが、
機構的な問題点から、例えば戦線で対峙したブローニング系に対してどれほど高い信頼性を有したかは疑問符が付きます。まなかじさんは何か具体的な資料を
お持ちですか?
〉同容量のメタルリンクに対する入手性についてはどうでしょうか。
入手性とは、なにをお尋ねでしょうか?
>少々論点がずれているようです。
>給弾ベルト自体は問題にしていません。
>そんなことはそれこそMG34を見れば明白じゃありませんか(ぉ
>MG34のLaffete34のマニューバビリティが悪いのは、絶対にベルト給弾だからではないですね(笑
ベルト給弾の機関銃のマニューバビリティについて言及した意図は、機動性を損なうために日本の重機関銃がベルト給弾を利用しなかった、という見解を予め封ずる為です。
それはともかく、遊底が重くて、かつ速度も力も十分に与えられている九二式、一式は塗油機構を持っていなかったと思うのですけれど。
あります。給弾機左上の箱、あれが給油タンクです。詳細は「重機関銃取扱上ノ参考」等、当時のマニュアルをご覧ください。
それと抽油機を必要とした理由について誤解があるようですが、時間が無い、ちょっと出掛けなければならないので続きはまた後ほど。
みなと
- 思ったんですが、MG34の50発ベルトと、日本軍の30発保弾板では、結果的には利点って顕著じゃないような気がします。
ベルトの利点は連射しても弾が切れない事でしょうから、短いベルトにした時点で、新たに整備補充教育体系を組みなおす程の利点にはならないと思いますが、その辺りは如何なんでしょうか?
翻って利点を追求して200発近いベルトにした場合は当然ですが弾薬供給の手間が拡大しますよね。
また連続射撃が事実上困難な空冷機関銃では長いベルトの利点を有効活用できないのもまた重要で、それこそ簡単に銃身交換のできるMG34等まで進んで漸く利点を生かせるわけですが、そこまでして、ではどれだけ効力差があるのでしょうか?
みなとさんが仰られたように、MG34でも点射するなら、ベルトである必要性は特に無い訳ですよね?
少ない人数で扱う軽機関銃と異なり、戦闘時には弾薬を銃に途切れることなく供給してくれる人員の存在が前提となる重機関銃では、装弾数の多さはそれほど重要な要素ではないのですから、ベルト供弾の利点は何処にあるのでしょうか。
勿論、保弾板ではなくベルトであっても実害は大きくないかもしれませんが、それは既存の運用体系を刷新しないと出来ない訳で、そこまでする必要性は果たしてあったのでしょうか?
SUDO
- 正直申し上げて、わたしはあまり銃のメカニズムそのものには興味がありません。
ブローニングのショートリコイルと、ホチキスのガス圧作動の間の絶対的な信頼性の差などはどうでも良いと思っています。
兵器としての実用性が問題なのであり、九二式もブローニングM1917A1も戦場において十分使えて、あたりまえに手入れをしておけば問題なく撃てる、兵士の信頼に応えるだけの性能を有し、実用性能として問題ない能力を発揮できる銃なのは明らかなのですから、それを超えた次元で強いて機械そのものとしての優劣を競うのは無意味だと思っています。
入手性というのは生産の容易さであり価格であり、要するに数を揃えられるかどうか、数を揃えるとしてその費用はどうかということです。
なるほど、塗油機構はあるんですね。
しかし、塗油機構の有無もこの際本質的な問題とはなり得ません。
塗油機構があるから故障するとは言えないです。とにかく、九二式は北満の冬の広野でも、蒙疆の黄土高原でも、はたまたニューギニアのジャングルでも、インパールの泥濘でも、立派に戦っています。
繰り返しますが、機関銃としてのメカニズムとか、故障率予想などはどうでもよいのです。
ここで(あくまで「ここで」はですが)大事なのは、とにかく日本軍はアジア全域でこの銃を使って戦い、実用性能として問題なく使いこなすことができていたという事実なのです。
戦術上さして違わないというのに、重機をベルト給弾にするためだけに従来慣れ親しんだホチキス式を捨て、弾薬輸送体系を刷新する理由というのはどういうものなのでしょうか。
確かに、日本軍の重機運用法は保弾板を前提に組立てられているように思えます。
そうしたいから保弾板を採用したのではなく、保弾板を使う保式や三年式があったからそういう戦術にして、それに見合った編成にしたという部分もあるでしょう。
はじめに導入していたのが仮にマキシムだったとしたら、またかなり違ったやり方で戦術や編成の組立てをやったことでしょう。
とはいえ、保弾板+ホチキスは日本の国情にはよく合致していて、また日本軍の好む高い機動性にマッチするものでもあったのです。
まなかじ
- >15. まなかじさんへ
>しかし、日本軍重機の機動的運用における弾薬の輸送・補給の方法はバラ弾を前送することで成立するのです。
>重機班が通常携行する弾薬箱(甲)は装弾済みの保弾板を収納しますが、弾薬小隊が運ぶ弾薬箱(乙)はバラの弾薬を収納するものです。
これは非常に重要なポイントですね。
>この弾薬補給がうまくいかなれば、九二式重機、そしてそれを更に追求した一式重機のせっかくのマニューバビリティの高さも宝の持ち腐れになってしまいます。
>弾薬小隊はできるだけ多くの弾薬を運び込み、急いで他の銃のところへも走らなければならない。
>できるだけ多くということは、できるだけかさばらないかたちで運び込むのがよいわけです。ベルトリンクに作ればそれだけ重量も嵩も増え、
>実包の数量そのものは減ります。
まなかじさん、これはイメージでは無くして実際、重量及び梱包の空隙率が、紙箱に収められた状態と、リンクに綴られて弾薬箱に収められた場合で
どの程度になるか実際計算してみたらいかがですか? 独の例でいえば弾帯Gurt34の単体重量は装弾時重量の約3%、50発あたり実包1.5発分に過ぎません。
空隙率を計算するための梱包サイズは実家に戻った時でないと資料の確認ができませんが、1500発入りの木箱と、リンクに綴った弾帯を収めた300発入り
弾薬箱Patronekasten34(正確には最大充填時294発収納)5箱分では、容積に大きな変化はありません。
(スペースを無駄にしないこの弾薬箱への充填方法は感動モノなのですが、本題と関わり無い為割愛します)
>もちろん、ベルトの回収、再装填など戦闘時にやっている暇がないし、では戦闘間の全需要に応じられるだけの予備ベルトを集積し、
>戦闘中に配給できるかといえば・・・大きな疑問符がつきませんか。列国の重機は、この多量の予備ベルトという点をクリアしているからこそ
>ベルト給弾にできるとも言えますし、また日本軍ほど重機に機動を要求していないからそうできるという側面もある、というのはこのことを言っています。
>保弾板であれば、バラ弾を運び込まれても重機班に4名いる弾薬手の誰かがその場で素早く再装填することができます。
>同容量のメタルリンクに対する入手性についてはどうでしょうか。
>入手性というのは生産の容易さであり価格であり、要するに数を揃えられるかどうか、数を揃えるとしてその費用はどうかということです。
欧米ではまなかじさんの仰るところの、多量の予備ベルトを供給することで解決していますね。
入手性について、これもメタルリンクの利点となるでしょう、メタルリンクの方が安価かつ生産容易と思います。これは双方の製品を実際手にとって
比較してみれば納得されるのではないでしょうか、日本陸軍の保弾板、かなり立派な製品です。
>これは、古いままの加速抽出をやらない方式だったからです。
>ガス圧作動でも例えばチェコのブルノのようなやり方であれば、ZB26やブレン、Vz30のような傑作機銃はできますよね。
>それはともかく、遊底が重くて、かつ速度も力も十分に与えられている九二式、一式は塗油機構を持っていなかったと思うのですけれど。
ホチキス、ブレダ系に共通する薬莢切れの問題は、「加速抽出をやらない方式」という表現もできますが、要は腔圧が高い状態で
薬室が解放され始めてしまう為起こる現象です。(この他にも、薬室の剛性が不足している場合に薬室のelastic reboundによって抽出が困難に
なる場合もあります。)従って同一の機構であれば、最大腔圧の低い弾薬の方が薬莢切れを起こしにくい、のです。
11年式、九六式が減装弾指定なのは、これによります。
>九六式の抽出不良はある意味初期故障とも言えるもので、昭和十三年度以降の製品にはそうした不具合は見られません。
昭和十四年には改善を加えた九九式が採用されてますね。只、昭和十三年度以降の製品にはそうした不具合は見られない、というのは
僕は存じませんでした。 宜しければ原典を御教示いただけないでしょうか。
>九九式の場合も、工作精度を高めただけですから、
九九式はかなりの改良を加えた製品と伝え聞きます。この薬莢切れの問題の解決の顛末は、ごま書房刊「幻の機関銃」という本に
紹介されていましたが、個人的に改良点を確認したことはありません、どなたか御存知でしょうか。
>自主開発とは言ってませんて(笑
>九八式もヴィッカーズが原型、つまりマキシム式反動利用の機関銃です。
はい。自主開発という表現をあえて付加したのは、仰せの通り日本軍がライセンス生産、あるいはコピーしたベルト給弾の機関銃、
すなわちビッカース系、ブローニング系、加えてMG17、MG131、何れの機構も直接、ホチキス系にアダプトするのが難しいと思われる為です。
>フランスやイタリアがやっていたようにホチキス式ガス圧作動でもベルト給弾にはできます。
ホチキス式のベルト給弾? ひょっとして250連の? あれは問題外、5連の保弾板を繋げたような代物、まともな製品ではありません。
>17. SUDOさんへ
>思ったんですが、MG34の50発ベルトと、日本軍の30発保弾板では、結果的には利点って顕著じゃないような気がします。
>ベルトの利点は連射しても弾が切れない事でしょうから、短いベルトにした時点で、新たに整備補充教育体系を組みなおす程の利点にはならないと思いますが、
>その辺りは如何なんでしょうか?
>翻って利点を追求して200発近いベルトにした場合は当然ですが弾薬供給の手間が拡大しますよね。
そうですね。 それはその通りかもしれません。SUDOさんやまなかじさんからお話を伺って、そんな気がしてまいりました。(笑)
特に、弾薬をバラに供給して、限られた数の保弾板を使いまわすという給弾、まるで軽機関銃のような運用を強いられる重機・・・・
>また連続射撃が事実上困難な空冷機関銃では長いベルトの利点を有効活用できないのもまた重要で、それこそ簡単に銃身交換のできるMG34等
>まで進んで漸く利点を生かせるわけですが、そこまでして、ではどれだけ効力差があるのでしょうか?
>みなとさんが仰られたように、MG34でも点射するなら、ベルトである必要性は特に無い訳ですよね?
ベルトは意外と便利なものですよ、打ち終わればコンパクトなものですし、連結も自由にできますし。
>勿論、保弾板ではなくベルトであっても実害は大きくないかもしれませんが、それは既存の運用体系を刷新しないと出来ない訳で、
>そこまでする必要性は果たしてあったのでしょうか?
恐らく、諸般の状況を総合すると、仰せの通り差し迫った必要性を感じなかった、というのが実情なのかもしれませんね。
>18. まなかじさんへ
>正直申し上げて、わたしはあまり銃のメカニズムそのものには興味がありません。
>ブローニングのショートリコイルと、ホチキスのガス圧作動の間の絶対的な信頼性の差などはどうでも良いと思っています。
>兵器としての実用性が問題なのであり、九二式もブローニングM1917A1も戦場において十分使えて、あたりまえに手入れをしておけば問題なく撃てる、
少なくとも現代の我々が過去を鳥瞰する限りにおいては、九ニ式重機は幾つかの問題点を抱えた銃であったことを上に説明いたしました。したがって、
>兵士の信頼に応えるだけの性能を有し、実用性能として問題ない能力を発揮できる銃なのは明らかなのですから、
この点が、少なくとも僕には「明らか」ではないと感じられるのです。 ブローニングを引き合いに出したのは、例えば米軍の捕獲兵器レポート等で
具体的な比較評価がなされている可能性があるからです。恐らく、一式重機の試作型評価等でも、前線で対峙する可能性のある機関銃との
比較がなされたのではないでしょうか。 僕はまなかじさんが九ニ式重機の高い信頼性を説く裏付けとして、単なる戦記の類ではなく、
こうした公式の文書をご覧になられたのではないか、そのように考えお尋ねした次第です。
まあ、時間のある時にでも御教示ください。いずれお会いしてお話を伺える機会もあるかもしれません。(笑)
>それを超えた次元で強いて機械そのものとしての優劣を競うのは無意味だと思っています。
しかしながら兵器の採用の過程というのは、まさしく機械そのものとしての優劣を競う作業だとは思われませんか?
>なるほど、塗油機構はあるんですね。
>しかし、塗油機構の有無もこの際本質的な問題とはなり得ません。
これが今回の話題での焦点、保弾板を継続利用した理由の一つになり得ることは 14.で御説明しました。
>塗油機構があるから故障するとは言えないです。とにかく、九二式は北満の冬の広野でも、蒙疆の黄土高原でも、はたまたニューギニアのジャングルでも、
>インパールの泥濘でも、立派に戦っています。 繰り返しますが、機関銃としてのメカニズムとか、故障率予想などはどうでもよいのです。
>ここで(あくまで「ここで」はですが)大事なのは、とにかく日本軍はアジア全域でこの銃を使って戦い、実用性能として問題なく使いこなすことが
>できていたという事実なのです。
これは失礼ながら、少々乱暴なお話に聞こえます。メカニズムに関する理解や、具体的な故障率、或いは故障事例の情報が無くて何故立派に戦った、
実用性能として問題なかったと評価が可能なのでしょうか?
>確かに、日本軍の重機運用法は保弾板を前提に組立てられているように思えます。
>そうしたいから保弾板を採用したのではなく、保弾板を使う保式や三年式があったからそういう戦術にして、それに見合った編成にしたという部分もあるでしょう。
>はじめに導入していたのが仮にマキシムだったとしたら、またかなり違ったやり方で戦術や編成の組立てをやったことでしょう。
>とはいえ、保弾板+ホチキスは日本の国情にはよく合致していて、また日本軍の好む高い機動性にマッチするものでもあったのです。
これは御説の通りかもしれませんね。
どうも昨日出張に出た為、なにか途切れ途切れの体裁になり非常に読み辛くなってしまった段、また、異例の長文お詫びします。
まあ、僕が確認したいのは只一点、「やっぱりもう一寸進歩した機関銃がほしかったんじゃないの?」ということ、これはそもそも開発記録でも
探索するしか回答の仕様のない事柄でありますから、いずれ機会があれば調べてみたいと考えています。
みなと
- 各氏、ちょっと冷静に−−−−
みなと氏が、先般述べられている様に、WWII当時、列強各国の各種重機関銃の給弾方法、及び戦後の動向を見れば、
保弾板タイプより、ベルトタイプの方が、総合的に勝っているのは明々白々ですが、その優劣より、
その当時、帝国陸軍がなぜ ”重機関銃は、保弾板タイプ”に固執したのか?” が、
質問者 星野さんの「ちょっと気になる」ところなわけです。
その当時の帝国陸軍の運用思想や、帝国陸軍の機銃技術状況より、回答を得るべきで、
その当時の独逸や他国の機銃の性能や運用は・・・・・・という話は、私は避けたい気持ちがあります。
その点、まなかじ さんの
>5 日本の重機は〜長時間の連射ではなく、〜精確な点射の連続で行なうものでした。
は、正にその通りでしようし、
>18.保弾板を使う保式や三年式があったからそういう戦術に〜保弾板+ホチキスは日本の国情にはよく合致〜。
のお話は、具体性に欠けるも実際そんなもんだったかもな! とも思います。
さて、>15.保弾板を変形させないよう〜猛訓練〜
やわな保弾板を最前線にても丁寧に扱い、携帯・装填・射撃中も、裸の保弾板に砂塵・泥の付着をさせない様、
維持する訳ですね。 操作・取り扱いに、丁寧、猛訓練を必要とするなら、開発・装備関係者は、
それを改善する方向で動くのが普通ですよ。
無故障に近い高い信頼性は、丁寧、猛訓練を強要された装填手の努力のおかげです。
弾薬供給・装填作業で30発保弾板が適しているなら、更に装填作業・取り扱い面で上回るであろう、
96、99式軽機で採用の箱型弾倉タイプに、なぜ改良しなかったのであろうか?
ずっと取り扱いが楽ですよ。 防塵上も有利。(確か、ちょっとした試作はやったかと思います。)
或いは、逆に、96、99式軽機、各種戦車車載機銃を、お気に入りの保弾板タイプとして、開発・運用しなかっのは、
なぜであろうか? (当然、共通化すべき)
その理由が重機と軽機、車載の運用思想の違いなら、具体的相異は?
本件質問の回答は、重機だけの考察では、すまなくなって来そうです。
※メカニズムの話をちょっと−−−
独逸の機銃も含め、点射や、発射速度の件に関しては、私は各氏と異論を持ちますが、
「薬莢切れ、抽出不良の件」は、 正に、みなと氏の回答の通りでしよう。
正確には「抽筒不良 ちゅうとうふりょう」と言います。
寸法精度や初期故障の問題(原因)では有りません。 経験不足による設計不良です。
機銃は、高連続発射の関係より、残腔圧のまま、早期遊底作動(薬室開放)する傾向にあります。
その状態で薬莢を引き抜きますので、薬莢切れとなります。 叉、薬室肉厚が薄い場合は、薬室全体が、
膨張・収縮しますので、薬莢は焼きばめ状態、薬室に喰いついたままとなり、無理やり引き抜けば、同様結果となります。
抽筒不良を防ぐには、薬室寸法形状、頭部間隙寸法、抽筒タイミング、初期抽筒を考慮した抽筒2段階設定、
薬室肉厚増加 等を巧みに設定、製作する必要が有ります。
機銃は、小銃と同一弾薬だからと、同一薬室形状、同一砲底形状(閉鎖・抽筒状態)にすると、
たちまち抽筒不良を起こします。
その辺の経験不足より、帝国陸軍の各種機銃は、抽筒不良に悩まされたものと考えます。
それらを解決した上で、>19.「やっぱりもう一寸進歩した機関銃がほしかったんじゃないの?」でしょうね!!
以上 長文と脱線、失礼しました。
〜?誉
- >20
>或いは、逆に、96、99式軽機、各種戦車車載機銃を、お気に入りの保弾板タイプとして、開発・運用しなかっのは、なぜであろうか? (当然、共通化すべき)
>その理由が重機と軽機、車載の運用思想の違いなら、具体的相異は?
車載でも軽機関銃でも、射手が装填作業をするという都合上、弾倉式は魅力になりますが、重機関銃には装填手いる訳ですから、弾倉式にする必要性は無いでしょう?
弾倉式にする事で、確実に同容積同重量での弾薬数は低下しますので、装填作業の簡易化による人員に削減は、移動時の弾薬運搬係の減少でもあり(これに弾倉の分、運搬係一人あたりの弾数も減少)つまりは重機関銃分隊の潜在火力を低下させるだけです。
車載機銃なら容積重量共切実ではないですし、軽機関銃は弾の節約が補給補充と同列に書かれてしまうような、撃てないなら撃てなくても我慢しちゃう武器だった訳ですから、携行弾数が僅かに減少しても、それよりは扱いやすさや頻繁に起動する歩兵分隊の行動にプラスである要素が重視されるだけの事だと考えます。
他国の軽機関銃にも匹敵するような使い方という、ある種独特の発展を遂げた日本の重機関銃や、それを前提とした日本陸軍歩兵部隊を他国の用法用兵で論じても意味は無いものと思います。
92式や一式重機関銃を中核にした日本軍歩兵部隊は、一つのパッケージとして完成しちゃった戦力だったわけで、保弾板を用いる機関銃の使い方として独特の世界を作り上げてしまっているのです。
その戦闘システムを根底から組みなおさない限り、ベルト給弾機関銃にしても利益は特に無いのです。ベルト給弾機関銃を態々配備するなら、それはその特性を遺憾なく発揮し、歩兵戦闘の新たなる地平を切り開く新戦闘システムを作る必要があるのです。
そして、全く新たに戦闘システムを組みなおすのだとしたら、それは歩兵砲、重機関銃、軽機関銃、小銃、擲弾筒といった既存の兵器体系の組みなおしや戦術転換も同時に要求されるものですから、とても当時の日本軍にそれが果たせたとは思えません。
SUDO
- >或いは、逆に、96、99式軽機、各種戦車車載機銃を、お気に入りの保弾板タイプとして、開発・運用しなかっのは、
なぜであろうか?
試作はなされたようです。昭和18年頃でしたか19年頃でしたか、ちょっと曖昧なのですが、保弾板式の軽機関銃が試作されています。全体の外見は九九式軽機を保弾板式に換えたような感じで、三脚架に乗せられている写真だったと思います。
ちょっといま原典が手元にないので記憶モードなんですが。
ただ、この軽機の場合、GPMG的な運用を目指したのか弾薬運搬の手間を省くために弾倉をやめたのかは判然としませんが、SUDO氏の仰る、重機を中隊に配備するという方針と関係があったのかも知れません(軽量で機動性の高い重機が必要?)ただし、この段落は全部憶測です・・・・・・。
居眠り将軍
- そうですね、ちょっと筆が走ったきらいがありますね(苦笑
要するに、日本軍は保弾板を使った機関銃で「やれる」と自信を持っていたので、自軍が使用中の機関銃にベルト給弾が向かないこともあり、これをわざわざ全く違った型式の機関銃で更新するつもりが起きなかった。
一式重機はこれまでの運用ノウハウや訓練体系をそのまま利用する方向で、開発の手間を省くためにも九二式の改良版で済ませた。
・・・というあたりでしょうか。
ところで、実用性能というのは比較による相対評価ではなく、使用者、または被使用者の判断による絶対評価ではないのでしょうか。
たとえばですが、Windows2000とWindowsMeでは、OSとして安定度は2000が大きく優ります。
しかし、だからといってMeは「実用性能」として問題のあるOSなのでしょうか。
ふつうに使う分にはなんら問題ないOSなのでは。
九二式は日本陸軍の要求をほぼ完全に満たしているし(強いて言えばちょっと重過ぎるかなというくらい)対戦した米軍や英軍も、銃本体にはいろいろとケチはつけていますが、実際の対戦相手としては実にイヤな相手であると認めていますよね。
給弾及び弾薬の共通化については、日本軍が主用している分隊の弾薬が6.5ミリであることが原因だと思います。
三年式で共用する方向にもっていったが、それでは火制能力に不満が出て、九二式では7.7ミリになったわけですよね。
師団輜重連隊から歩兵大隊弾薬班までは同じルートを辿ってきますが、それから先は重機中隊弾薬小隊と歩兵中隊本部兵器掛とルートが別れるので、共通化の利点は少なくとも作戦レベル以下では無かったものと思います。
補給線自体がまともに動いている状態、つまり陸軍が本来想定している状態ならば、一線各部隊は不便を感じることはなかったのではないかと思います。
しかし、陸軍としての総合力の観点から、九九式〜一式の各小火器ではまた弾薬共用が図られています。
これ以上の発想の転換は当時の陸軍には難しかったのかもしれません。
まなかじ
- たぶん、想像なんですが、日本陸軍が欲しかったものはベルト式重機関銃ではなくて、信頼できる軽機関銃だったんじゃないかと思うんです(もっと言うなら歩兵分隊に中距離火力を与えてくれるもの)ある意味自動小銃による狙撃ってのは同じ事ですしね>歩兵操典を見れば攻撃機動では、狙撃銃と軽機関銃が同列に扱われてるのが判ります。
歩兵操典を見れば、至近距離で撃て、下手な射撃戦は味方重火器の射撃の邪魔だと書かれてますが、これはつまり分隊の火力を陸軍は全然当てにしてないという事です。擲弾筒と重機関銃に関してはしつこいほど前に出ろ、打ちまくれ、火力こそが大事だと各級指揮官にまで説いているのに、です。
実際のところ92式重機関銃はその期待に応える働きをしているのですが、言い換えると重機関銃が来てくれないと歩兵は動けないのです。
その結果、用法面(私は機構面は判りません)で成功作である92重機の運動性を引き上げた一式が出てくるのですが。各級の(連隊・大隊・中隊・小隊)の戦術行動を想像してみれば理解できますよね。重機の数が取りうる行動・機動のパターンを決めてしまうのです。ウォーゲームで言うなら行動チットの数が重機関銃の数ですかな(ぉ
歩兵分隊が実質的戦闘最小単位にならないのです。他国が貧弱ながらも分隊単位でユニットになるのに、日本陸軍は小隊単位(+重機)でないと一つの戦術単位にならない訳です。これは分隊火力が如何のとかそういう次元ではなく、その火力を使って戦術行動を取りうるかという観点です。
そして日本陸軍が、分隊規模に期待できないとしたのは、敵の有力火点に対して軽機関銃が有効な反撃・制圧を行い得ないという判断があったからでしょう(恐らく11年式が悪いんですよね)
想像ですが、96/99式程度の出来の機関銃がもう少し早期に配備され、効果を見せたならば、歩兵部隊の自動火力の根幹を軽機関銃へと推進できたのかもしれません。そして、そうなったならば、重機関銃の位置付けはまた変ったのではないでしょうか。
これらは相互に大きな影響を与えているので、どっちがよいとか悪いとか先かではなかったのでしょうが・・・。
SUDO
- >擲弾筒と重機関銃に関してはしつこいほど前に出ろ、打ちまくれ、火力こそが大事だと各級指揮官にまで説いているのに、です。
精密で重い92重機は決して「前に出て」戦うのに向いた兵器ではないと思います。それを使いこなせたのは猛訓練のおかげでしょう。結果として日本軍の行くところ非常識なほど高命中精度の連射兵器が常に前線に張り付いていることになり、それは味方には頼もしく・対峙する敵には厄介この上ない存在になったと思いますが、だから「あれは良かった」というのは一つの結果論である事も認識する必要があると思います。って、わざわざ言うまでもないかも知れませんが(^^;)
ささき
- ある兵器を運用する戦闘単位の「戦力」が、交戦を交える他との比較でしか意味を持ち得ない以上、用途には合致していたとか、
そこそこ使い道があったという類の「絶対評価」は、単独ではあまり大きな意味はないんですね。
小火器の例で挙げれば、米軍のBAR、これなど戦記などを読む限りではまなかじさんの仰る「絶対評価」は絶大なものがあります。
銃単体の信頼性で言えば現用火器ですらこれを凌駕するものは少数かもしれません。 にも関わらず、米陸軍は既に大戦初期から
BAR/M1919を更新すべき新型機関銃の試作を熱心に行っている、これは何故か、ということなんですね。
>24. 信頼できる軽機関銃が欲しかったのではないか、というSUDOさんの御意見、僕もそのように思えます。
というのは、SUDOさん、まなかじさんがご紹介くださった日本陸軍の重機の運用法、これは既に日露戦争時の保式の
運用法と殆ど同じなのですね。日露戦争時の日本はもちろん、軽機関銃なるカテゴリーの兵器を持っていません。
(ロシアは輸入したマドセンを小数使用したようですが。)つまり、軽機関銃を持たない時代の戦術を引きずってしまった、
九ニ式が3脚込みで55kgもあり、移動に最低3名を要するのにですよ。
>25. 非常識なほど高命中精度の連射兵器
でもね、ささきさん。いかに高命中精度の重機関銃でも、軽機関銃的な機動射撃では、その精度を十分発揮できないと
思いませんか? 日本軍の重機の三脚には水準を保つ為の調整機能がありません。据え付ける地面を均して
調整しないといけないのです。十分な数の、信頼するに足る軽機関銃がなかった故の戦術という感を拭えません。
みなと
- そのとおり、BARはよく働いた分隊支援火器だと思います。
銃身交換ができなくても、弾倉に20発しか入らなくても、脚がグラグラで使いものにならなくても、ここぞという場面でちゃんと働き、米兵はこの銃に信頼を置いています。
射撃競技会をやるのでもなく、銃の品評会をするのでもなく、一対一で撃ち合いをするわけでもないのです。
自軍の戦術と敵の対抗手段という枠組みのなかで、それが有効ということであれば、それは優れた兵器という評価を下すべきだと思うのですが?
重機運用の基本思想が第一次大戦前のフランスに基礎を置いた古くさいものだろうと、機関銃そのものの技術的な部分がやや劣ろうと、その組合せに米英軍はかなり痛い思いをさせられており、十分に対抗するにはその域を超えた砲兵や戦車の介入を要するというとき、九二式重機の「兵器」としての評価はどういうものになるのでしょうか?
確かにハードの面のみから見れば、九二式は弾丸威力も弱く、連射速度は遅く、疲れきった兵士が扱うには重すぎ、生産にも手間がかかり、値段も高すぎる機関銃でしょう。
しかし、九二式と九六式と三八式で武装した日本軍歩兵は、ブローニングM1917A1とBARとM1で武装した米軍歩兵や、ヴィッカースとブレンとエンフィールド(それにステン)で武装した英軍歩兵に対し四つに組んで対抗できたのです。
また、猛訓練でハードの問題点を克服するという方向性は、実際には多数派の解決策だったことは見逃してはいけないのではないかと思います。
ハードの改良、あるいは開発時の入念なブラッシュアップによって使い勝手を完成の域にまで持っていこうという努力を本気でやっていたのは、アメリカとドイツくらいのものだったのではないでしょうか。
英伊仏ソの多くの兵器、あるいはドイツでも航空兵器などは、多少の使い勝手の悪さを「猛訓練」や「気合」によって克服して使うのはあたりまえのことだったと思います。
これらの国よりも工業水準の低い日本の兵器がそうなってしまうのは、ある意味当然の成り行きとも言えるのではないでしょうか。
まなかじ
- >27. 概ね、事実(と思われる事象)の認識に関しては、まなかじさんと僕は共通の立場に辿り付いたようですね。
ここでまとめてみましょう。
1. 用兵の観点から
日本軍の重機関銃は、幾つか改善を要する点を内包しつつも、十分な訓練に裏打ちされた運用によって
比較的有効に機能した。従って運用形態、部隊の再編成を迫られる程の新兵器の採用には消極的であった。
2. 造兵の観点から
日本軍の重機関銃の問題点は認識されていたものの、設計技術の立ち遅れから問題を本質的に改善する程の
新兵器の開発は出来なかった。 また、戦時生産能力の一時的低下を招く大幅な刷新を躊躇した可能性もある。
この辺でいかがでしょうか?
みなと
- >28
っていうか「新兵器」が機関銃である可能性ってあったんですかね?
個人的には多用途汎用グレーネードランチャーになったんじゃないかとか思うんですが・・・。
欲しいのは歩兵部隊に直接火力支援を与えてくれる何かなんですから、機関銃に拘る必要は無いのではないかと思う。
SUDO
- しかし、当時の日本で、ほんとに容易にメタルリンクのベルトを量産できたと思います?
ドイツでばかばか作ってるものが日本ではどうにもできないっていうのは枚挙に暇がありません(ああ、悲しい
正確に薬莢径に合わせた薄板のわっかを、ガタのない蝶番で接続していくというのは、実のところかなり難しいんじゃないかと思うのですけれど。
まなかじ
- >29. 上記「新兵器」とは無論、新型機関銃を意図してのことですが、大袈裟でしたでしょうか。(笑)
>30. 機関銃のメタルリンクは、プレスで蝶番を構成してピンを打ち込むような精密な構造が採られているわけではないのです。
WW2時に独が使用した小銃弾用のメタルリンクは何種類かあるのですが、基本的には連結式ならば大別して2種類、
MG17/MG81/MG81z用のGurt17/81と、MG34/42用のGurt34系です。
日本が既に試製四式車載重機(MG17)で試みているGurt17/81は、リンク左側の穴にリンク右側の爪2本が掛かるだけの簡単な
構造、作動不良を避ける為にむしろある程度の柔軟性が求められるメタルリンクでは、むしろ精密な接合は弊害になるのです。
Gurt34はリンク側に左右5つずつの小穴を穿け、丁度ノートの綴り方と同じようにへリカル・ワイヤー(ばね状鋼線)で綴られたもの、
量産には専用機械が必要なものの、これもそれほど難しい工作ではありません。
どうです? 考察する対象物に関する知識が限定されていると、どうしても誤謬に陥り易いと思いませんか?
判らないものは性急に結論を急ぐ必要はないんです。色々なものを楽しみながら調べていこうではありませんか。
みなと
- >31
つまりですね、機関銃如きに拘る必要は無いのでは?
その「新型機関銃」を作ると、何か陸軍の戦闘能力が飛躍的に改善されるのでしょうか?
その労力で迫撃砲を増した方が大隊の戦闘能力は改善されませんか?
また軽機関銃を如何こうするよりも擲弾筒を多用途化したら、もっとやれる事が増えませんか?
その「新兵器」が編成に加わる事で、師団・連隊・大隊・中隊・小隊・分隊の戦い方がどうなるのか、どういう影響を齎すのか、そこから考えてみたら、機関銃如き、大して改善する余地は無いと思います(勿論機構面の信頼性や労力軽減等は改善すべき点でしょうが、92式は使えない代物ではなかった訳ですから、手を入れなくも困らない訳です)
下手に頑張って新型機関銃作ったら62式になっちゃうんじゃないですか?(笑)
その新型機関銃で何をしたいのかを考えれば、必要性は理解できると思いますよ。
SUDO
- MG151/20の弾頭も、鋼板を絞り上げて作る実に単純で簡単な製法ですが、それができないのです。
DB601のクランク軸も材料をプレス機にかけて一体鍛造で叩き出すだけ(もちろんそのうえでバリを削って磨き上げはしますが)なのですが、それがやはりどうしてもできない。
メタルリンクがどういうものかは知っています。
機関砲クラスのサイズの大きいものは、航空機用として日本でも作っています。サイズが大きいから作りやすかったわけです。
しかし、航空機用にしかできず、またエリコンが先行していたためというのもあるでしょうがドラム弾倉を主に使いたがったというのは、昭和14年くらいまでは大口径用といえども日本でのメタルリンク製造に隘路があったからです。
日本で初めて本格的に量産されたメタルリンクは航空用に限定された12.7ミリホ-103のためのもので、制式化は昭和16年になっています。
メタルリンクは穴の直径と蝶番の遊びに「一定の公差」が必要で、ばらつきが許されません。
これを多数組み込むわけですから、作ることはできても不合格品が多発するか、そのベルトが原因でのジャムがやたらと増えることになるのではないでしょうか。
MG15のライセンス品である九八式旋回銃には7.92X57弾とメタルリンクが使われていますが、銃に組み込むバネの品質が安定しないことと同時に、給弾不良による故障も多発しています。
航空用に限定された用途で入念に少しだけ作ったベルトでこれなのですから、歩兵部隊に対して多量に供給することができたかどうか、とても怪しいと思うのですが。
まなかじ
- >32. 我々は今、日本軍の重機関銃について話していたのではありませんか?(笑)
冗長ですが28.の記述を今一度書き記してみましょう。
1. 用兵の観点から
日本軍の重機関銃は、幾つか改善を要する点を内包しつつも、十分な訓練に裏打ちされた運用によって
比較的有効に機能した。従って運用形態、部隊の再編成を迫られる程の新型重機の採用には消極的であった。
2. 造兵の観点から
日本軍の重機関銃の問題点は認識されていたものの、設計技術の立ち遅れから問題を本質的に改善する程の
新型重機の開発は出来なかった。 また、戦時生産能力の一時的低下を招く大幅な刷新を躊躇した可能性もある。
迫撃砲の話は興味深くはありますが、別個の話題ではありませんか?
>33. まなかじさん、そのようなどこかの書物に書かれているような話を鵜呑みにする前に、それぞれ実際何が問題で出来なかったのか、
あるいは一体どんなことまでなら出来たのか、ご自分なりに探索されてみたらいかがでしょう。
>メタルリンクは穴の直径と蝶番の遊びに「一定の公差」が必要で、ばらつきが許されません。
>これを多数組み込むわけですから、作ることはできても不合格品が多発するか、そのベルトが原因でのジャムがやたらと増えること
>になるのではないでしょうか。
先だってから幾度も指摘しているように、こういう根拠が不明な無意味な推論ではなく、自説を展開したいのであれば客観的な論拠に
基づいて話を進めることです。僕は先回の投稿で、恐らく日本がコピーを試みたであろうドイツのGurt17/81の形状を説明しました。
このGurt17/81、写真をご覧になられたことがありますか? この製品を御存知の上でまだそのようなお話をなさるのでしょうか?
一定の公差とは一体どのようなもので、それの何処までが当時の日本に出来て、何処から出来なかったが為に
問題になったのか、正確に説明できますか? 出来ないのであれば、ゆっくり調べてからお話をしてはいかがですか。
>MG15のライセンス品である九八式旋回銃には7.92X57弾とメタルリンクが使われていますが、銃に組み込むバネの品質が
>安定しないことと同時に、給弾不良による故障も多発しています。航空用に限定された用途で入念に少しだけ作ったベルト
>でこれなのですから、歩兵部隊に対して多量に供給することができたかどうか、とても怪しいと思うのですが。
良く調べもしないで書き込むので、こういう恥ずかしいことを書いてしまうのです。
とても怪しいのは、失礼ですがまなかじさんの推論ですよ。
MG15〜九八式旋回銃はドラム給弾、「入念に少しだけ作ったベルト」等という話は一体何処から出てきたのでしょうか。
九八式固定銃〜MG17の事だった等という言い逃れは出来ませんよ。機能良好であったと伝えられていますし、何より
威力不足から開発中止になっていますから。
何度も言うように、論拠が提示できないような事柄は慌てて投稿することはないのです。
じっくり調べてみましょうよ。その上での新発見であれば、せひお話を聞かせてください。
最後に、様々な苦言を呈しましたが、決してまなかじさん御本人の人間性を否定しているつもりではあるません。
むしろまなかじさんの多方面に渡る博識、大変深い印象を受けております。その上で、趣味を共有するものとして感じた
ことをそのまま書かせて頂きました。御気分を害されることがありませんように。
みなと
- なるほど、75連サドルはふつうのバネ送り弾倉なのですな、勉強になります。
50連ドラムと混同しとりました。
Gurt17/81の写真は見たことあります、分離式リンクですね
航空用として取扱いを容易にするために、使い捨てにするか、空薬莢受けに薬莢と一緒にバラバラになって入るようになっているものですな
しかし、であれば、みなとさんが日本でメタルリンクベルトを問題なく作れる、そのうえで保弾板より便利に運用できるであろう、とする明確な根拠はどこにあるのでしょうか。
また、九八式固定銃はバネの信頼性がアテにならずに不採用になったのだと理解していましたが・・・
まあ、アレですな、その伝でいけば、英軍仕様のBesaの名前でも知られるZB53を日本式の三脚に据えたら理想的な重機になったでしょう。
ガス圧作動ですから日本でも問題なく作れたでしょうし、輸出にも熱心でしたしね。
チェコ陸軍がVz37として制式化する前からさんざん売っている(笑
こいつのメタルリンクがGurt34の原型でもありますね
SUDOさんが擲弾筒を持ち出したのは、戦術の選択肢として、重機の改良、あるいは軽機の改良よりも、重擲の改良及び運用の改善の方が効果が大きいんじゃないのかな、ということでしょうね。
とにかく、小火器に限りませんが、兵器というものはそれ単体では論じても仕方がないものだと。
日本軍重機の特徴も、歩兵は槓桿操作式の小銃を装備しており、軽機は相対的に弱いということ、重機には日本軍特有の戦術運用があること、多量の反動利用の機関銃を作るのには製造技術の点で問題があること、といった部分を抜きにしてハードウェア単体の機能や性能を見ても何も判らないと思うのです。
各国の機関銃それ自体の優劣って、そんなに意味があるものなのでしょうか
まなかじ
- Gurt17/81は非分離式/分離式共用のメタルリンク、支給時には非分離式として支給され、必要に応じて一組の専用工具
(プライヤー状)を用いて分離式に改造できた、とされています。(但しこの点、非分離式のリンクとして箱(ラベル無し)
に入った現物も見たことがありますので、追認が必要と感じています。分離式として支給された製品もある可能性があります)
また、Gurt17/81が高々一組のプライヤー状の工具を用いて、前線で手作業で非分離式/分離式に改造できることから
伺える様に、カートリッジ相互間の距離にこそ一定の精度が必要であるものの、当時の日本で生産が難しかった類の製品
とは思えません。
また、あえてGurt17/81を引き合いに出したのは、四式車載銃機関銃の試作にあたり、既にGurt17/81を7.7mm弾用に
改造したリンクベルトをも製作していたであろうことが推察できるからです。
(尚、九八式固定銃は原型のGurt17/81をそのまま使用すれば良いわけですが、これがドイツから輸入したGurt17/81を
そのまま使用したのか、或いは模倣生産したのか、これは不明です)
これに際して、リンクベルトの不都合、或いは生産困難を裏付ける資料は今のところ確認されていません。
保弾板より便利に運用できるとする理由について、既にまなかじさんの御意見を反証する形で提示致しました。未だ不明な
点があれば改めて以前の投稿をご熟読ください。
>SUDOさんが擲弾筒を持ち出したのは、戦術の選択肢として、重機の改良、あるいは軽機の改良よりも、
>重擲の改良及び運用の改善の方が効果が大きいんじゃないのかな、ということでしょうね。
>とにかく、小火器に限りませんが、兵器というものはそれ単体では論じても仕方がないものだと。
>日本軍重機の特徴も、歩兵は槓桿操作式の小銃を装備しており、軽機は相対的に弱いということ、
>重機には日本軍特有の戦術運用があること、多量の反動利用の機関銃を作るのには製造技術の点で問題があること、
>といった部分を抜きにしてハードウェア単体の機能や性能を見ても何も判らないと思うのです。
>各国の機関銃それ自体の優劣って、そんなに意味があるものなのでしょうか
あのですね(笑)、別にSUDOさんやまなかじさんのそのような御意見に、異を唱えているわけではないのですよ。
ただね、木をのみ見て森を語れないのと同じ様に、木を知らずして森を語れないのではありませんか?
木だけを見ていったとしても、種類から植生から土壌から、限りない情報がそこにありますね。
僕は主にSUDOさん、まなかじさんの御意見に散見された主に機構に関する誤解を指摘・訂正したまでのこと。
その情報をいかに用い、自らの視野を拡張するかは各々の課題です。僕の関知するところではありません。
今質問に関する主要な回答は出尽くしていると考える為、僕の書き込みは今件はこれで終了です。
この他、未だ不明と思われる事項は別件として扱いませんか? 僕に判る範囲内であれば喜んで回答
したいと思います。
みなと
- ・・・ところでもはや我々以外誰も読んでないと思うのでこっそり打ち明けちゃいますが、実は僕はスレッドの最後に
まとめを入れて終了させたい、そのような野望を持っていたわけですよ。 ところが終わらない!ページが変わっても
レスできちゃうんですね〜!いや〜これには参りました(笑)。
みなと
- 各氏、お疲れ様でした。 そろそろ修了時間でしょう。 みなと氏の「まとめの文章」ちゃんと理解していましたよ。
さて、 >22.居眠り将軍氏御発言や、 >8.>28.みなと氏御発言から、あいかわらず、
保弾板に落ち着いた試製1式軽機・試製3式軽機が話題の中心になって行くかと思っていたのですかね・・・・
あとですね、私の経験上、今も昔も日本はスプリング(ばね、発条)の開発・製造の面では、弱いと思っています。
町工場レベルでの冶金学の基礎が少々不足している感ですね。どの様な経験かは、御想像におまかせして、
これにて失礼します。
〜?誉