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WW2のとき、特にアフリカ戦線などで敵の使っていた武器を そのまま使うのは日常茶飯事だったと聞いたのですが、 そのような戦利品はどのような形で部隊に支給されるのでしょうか。 やはり、階級の低い兵からとか、敵の方が優れた兵器だった場合 上位の者がつかってたりしたのでしょうか? 敵の兵器を使う以上、ペインティングを替えたり 敵の兵器の説明、使い方などの資料が兵士に説明されていたのでしょうか? 長くなりましたがお願いします! 水槽 |
- 阿弗利加戦線はどうだったか知りませんが、東部戦線では独逸兵がソ連の71連発式ドラムマガジンを装備したPPsh41短機関銃を頑丈さから好み大量に使用されたため、ドイツはPPSh用の弾丸をわざわざ製造する設備を拵えたりPPShを自軍の短機関銃の口径に部品交換したそうです。(ちなみに短機関銃の口径 ドイツ:9×19パラベルム ソ連:7,92×25) でもそれらはべつに回収したうえで再配布されたのではなく、拾った兵士がそのまま使っただけだと思います。
そういえば、この例とは逆にソ連兵はMP38/40を好んで捕獲し使用したそうですが二人の兵に一丁の銃と一人一個のクリップ弾薬持たせて突撃させるような国が兵士のニーズに合わせて自国では使っていない9×19弾の生産を行っていたのでしょうか? ソ連兵にはせっかく質がいいからと捕獲しても弾が無くなったら使えなくなる使い捨て銃だったとしたらこの話はうそと言うことになるのですが。
紅葉饅頭
- 小火器の類は知りませんが、ドイツ軍では大砲などにドイツ軍の制式分類を与えているものが多数ありますし、ラッチュバムのように改造までした者もありますから、こういうのは一旦集積されて整備・登録した上で部隊に送られたのではないでしょうか。
SUDO
- 補給システムというのはお役所仕事と書類のカタマリです。捕獲したことを正式に報告し、備品として登録し、保有数と稼動数を報告するシステムに載せれば、補充用部品をどうしよう、などと言うことにもなります。典型的なのはソビエトから捕獲した76.2ミリ野砲です。
修理部隊に関するWaffen Arsenalの特集号があって、その中でドイツ軍が捕獲し回収車として使ったT34の話が出てくるのですが、その著者が確認できるのは40両だそうです。おそらく、捕獲したものを報告せずに使い続けていた例はもっともっとあるはずです。こっそり使っているのですから、「支給」されることはありません。例えばロンメル将軍が使っていたイギリス軍のゴーグルは、正式な手続を経ずに現場で手に入れたものだとアーヴィングが書いていました。
例えば稼動戦車が減ったとき、指揮官やベテラン車長が残った戦車に乗り、他の兵が戦車を明け渡した例は何度か読んだことがあります。指揮官が優れた武器を渡すよう部下に要求することはありそうな話ですが、実際にそういう例を見たことはありません。
パルチザンに好意的な民間人が戦場から武器を拾ってくることはよくあって、大戦を通じて(ひとりで)重機関銃4丁、軽機関銃8丁、迫撃砲4門、ライフル160丁をパルチザンに渡した剛の者もいたそうです。小火器やその弾丸を戦場で拾うチャンスは、兵士にとって案外高かったのかもしれません。
マイソフ
- >1
実際にMP40やP38を持つソ連軍兵士の写真が存在する以上、捕獲銃を好んだ兵士が居たとしても、それは不思議でも嘘でもないでしょう。
弾薬の生産をしていたかどうか知りませんが、弾が無くなったら正規に自分に支給されている制式兵器を使えばそれで済む事でしょう。どうせ拾い物なんだから邪魔だったら捨てればそれで構いませんしね。
SUDO
- >1
ppsh/トカレフの7.62mmとマウザー7.63mmは互換性があったはずでは?
改造ラッチュブム・Pak36(r)の7.62cm砲弾(薬莢はPak40の7.5cmと同じ)は生産されましたね。
よしえもん
- マイソフさんが言われる様に、ドイツ軍では正式登録された鹵獲車輛よりも現地軍で使用されたものの方が多いようです。(数字で表せる資料は持っていないのですが。もしあれば、どなたかご教示をお願いします。)
ドイツ軍が使用した鹵獲敵国車輛のソ連の項目(大日本絵画 ジャーマンタンクス)によると、国防軍の制式保有目録には、T−26,T−70,KVI,KVII,T−34の5種のみ書かれていますが、同書の鹵獲車輛の写真は15種類以上載っております。
アフリカ戦線でもおそらく鹵獲整備後、そのまま部隊で使用したものと考えられます。
また装甲車輛の場合、塗装はそのままだったりドイツ仕様だったりしており、明確な規定はなかった様です。自国製車輛に準じたものであればOKだったのでしょう。また、そのままの塗装の場合は、塗料がなかったり時間的な問題でそのままということも考えられます。ただ、国籍マークについては、誤射を避ける為に大きく書いた車輛が目立ちますね。
あと、鹵獲兵器の兵士への説明についてですが、太平洋戦線の米軍では日本軍の手榴弾は暴発が多い為、使用しないよう通達が出ていたと、何かの資料で読んだことがあります。
ワレアオバ
- >5
トカレフの7.62mmX25弾は7.63mmモーゼルと同型ですが、確か強装弾になっていたはず。
もっとも、東部戦線にドイツ軍がモーゼルC96系&7.63mm弾をどれだけ持ち込んでいたかはわかりませんが・・・
日中戦争で中国軍からチェコ機銃(Vz26系)を鹵獲し愛用した旧日本陸軍の部隊も、弾の補給が続かないため南方転出の際にはチェコ機銃は残置していったようだと本で読みました。旧陸軍では98式航空用旋回機銃用に7.92mmX57弾を生産してましたけど・・・
余談。旧陸軍兵器本部では、軍内で多くの将校に愛用されていたブローニングM1910やコルト・ポケットM1903等の.32口径自動拳銃用として、戦時中に.32ACP弾を量産し供給していました。鹵獲兵器のそれとは事情が違いますが、『制式ではない外国製の銃が大量に軍内で普及していたため、それ用の弾をわざわざ量産し供給した例』と言えますかね。
ブラック・タロン
- ち式軽機関銃やも式大型拳銃は陸軍の準制式兵器として採用されています。
国産の互換弾薬も存在します。
BUN
- >6、例として、
http://www.amazon.com/exec/obidos/search-handle-url/index=books&field-keywords=Captured%20Tanks&search-type=ss&bq=1/002-7908803-1203258
をあげます。
この中で『Captured American & British Tanks Under the German Flag』を持っていますが、西方戦において捕獲されたフランス戦車の内、約半数が使用可能な状態だったそうで、あてはめて考えれば「200輛のMk6軽戦車、80輌の巡航戦車、65輌の歩兵戦車が使用可能できたはず」と書いています(ちょっと甘いかな?とも思いますが)。
数字的なことはこの本にもあまり出てきませんが、断片でもあげるとシャーマンがノルマンディーの後に、第21戦車師団で4輌・第25装甲擲弾兵師団で4輌、SS第10戦車師団「フルンツベルク」で10輌、第5降下猟兵師団で6輌、そしてアルデンヌの偽部隊・第150戦車旅団が10輌(しかし『バルジの戦い・上』では、とてもそんなに持っていない!)、他多数の部隊で使われたとあります。
イギリス車輛ではマチルダ2が、6輌がクレタ島に配備されていたのを第212戦車中隊(?)が使ったとか、北アフリカで第15師団第8戦車連隊が7輌で戦車小隊、第21戦車師団が同じく戦車小隊を編成したとかあります。
グランドパワー45〜47号には、このシリーズを「大いに参考」にしたと思われる捕獲車輌特集があります。一応の一覧表ならこちら。
http://www.achtungpanzer.com/ct.htm
補修部品が生産できた仏伊車輛と違って、やはり大々的な運用は難しいようです。
バツ
- バツさん、ありがとうございます。
シャーマンやマチルダも意外に多く使われていたのですね。
T−34改造の対空戦車の写真は初めて見ました。ヴィルベルヴィントより強そうです。また、ドイツで使用中のKV−IIの写真も迫力あります。
こうして写真等を見てみると、大量に捕獲した兵器でないと正式な支給は難しい様ですね。
ワレアオバ