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旧日本陸軍は、明治時代に正式採用された ボルトアクション式のライフルをWW2に使っていましたが、 アメリカのM1カービンのようにオートマチック式のライフルを 研究などはしなかったのでしょうか? 素人目にはオートマチック式のほうが相当、効果的だと思うのですが…。 yuu |
- 第二次世界大戦でいわゆる「明治時代の基本設計のままの旧式小銃」を大量に装備しなかった国はあるのでしょうか?
陸軍が自動小銃を終戦まで装備できなかった最大の理由は支那事変による兵力の急速拡大に兵器生産が追いつかなくなった事にあると見て良いと思います。その為に小銃の研究はそれまでの自動化路線(自動小銃に対する考え方も他国と少々違いますが)から制式銃の生産簡易化、簡易小銃の開発へと方向転換してしまうのです。よく言われる「自動化による弾薬の消費に耐えられないので開発をやめた」という説は話半分に聞いて置くとして、まず第一に小銃の数が危機的に不足してしまったのです。
BUN
- ここの過去ログにも関連スレッドがいくつかありますが、旧日本陸軍でも自動小銃の研究開発は行われていました。しかし、『諸般の事情』によって結局ものにならなかったのです。この『諸般の事情』については、上のBUNさんのレスの通り諸説ありますのでまたの機会に・・・
第2次大戦中の諸外国でも、一般歩兵向けに自動小銃を大量配備できたのはアメリカ軍くらいのもので(その米軍とて開戦当初はボルト・アクションが基本装備だった)、それ以外のドイツ、旧ソ連等では自動小銃は補完的な配備(狙撃用等)に留まっています。
ブラック・タロン
- 日本の三八式は明治38年ですから1905年式、99式は1939年式と言えます。
明治時代と言うと非常に旧式な感じを受けますが、三八は20世紀に入ってから完成した近代的なライフル銃です。
さて他国で見ると。
英国はSMLE(1907年)からエンフィールドNo4(1941年)に移行し
米国はM1903(1903年)からM1ガーランド(1936年)に移行
ソ連はモシン・ナガン1891/30を用いました(原型1891年1930年改良)
見てのように、オートマチックに移行したのは米国だけで、それですら大戦初期には行き渡っていませんでした。
ドイツやイタリアでも同様で、日本の小銃は別に旧式でも何でもなかったのです。世界的に見て極普通の鉄砲です。
SUDO
- 本件質問内容に近い話題の過去ログは、AnsQ.1590.1463.1461あたりでしょう。
それらを見て『諸般の事情』を掴みとりましょう。
又、古いところでは、下記を見てはいかがでしょう。
AnsQ.693
http://www.warbirds.nu/ansq_old/D1000693.html
AnsQ.227
http://www.warbirds.nu/ansq/4/D2000227.html
補足、
帝国陸軍に限らず、列強各国は、自動小銃の『諸般の事情』クリアする他に、”自動小銃専用弾薬の開発・供給”という
大きな壁を乗り越えなければなりません。 従来のボルトアクション用弾薬では、自動銃の安定した作動は望めません。
自動銃用の燃焼特性を持つ専用弾薬が必要であり、その国の基幹小銃を自動化するという事は、
その膨大な量の専用弾薬の再供給&備蓄をしなければなりません。
かの米軍 M1カーランド自動小銃用弾薬”30-06弾”においても、元々の開発1906年から約34年後の1940年に、
M1カーランド用に仕様変更(30-06BALL M2)し、安定作動する物としています。
その様な事が可能な余力が有るからこそ、米軍のみ基幹小銃を自動化出来たわけです。
軌跡の発動機?誉
- なるほど!
質より量…ということになってしまったということなんですね…。
アメリカしか一般歩兵用にオートマチックを支給出来なかった
というのは意外でした。
ありがとうございました!
yuu
- 横からの便乗質問ですが、
>かの米軍 M1カーランド自動小銃用弾薬”30-06弾”においても〜
たしかアメリカが”30-06弾”で自動小銃の開発を行ったのはマッカーサー元帥が「弾の備蓄いっぱいあるからこれ以外で造っちゃダメ!」とか言ったからでしたよね。でもその弾(スプリングフィールド用)では実は巧く作動しないハンパ銃であったと言うことでしょうか?
紅葉饅頭
- 回答1.”30-06弾“は、1940年以前にも、1〜2度それなりの改良をしています。
元々のM1903 Springfield 小銃用弾薬”30-03弾“をより改良した”30-06弾“は、
結局、M1903用には適さない物になってしまいました。 詳しくはこちら↓。
http://www.reloadbench.com/cartridges/3006s.html
1940年改良に関して抜粋。
In 1940, the 150-grain flat base bullet was re-adopted as the ”Cartridge, Ball, caliber 30, M2” and that was the load used in WWII. The return to the lighter bullet came about, at least in part, because of difficulties adapting the new Garand semi-automatic rifle to handle the 172-grain load.
回答2.>マッカーサー元帥が「弾の備蓄いっぱいあるからこれ以外で造っちゃダメ!」とか言ったからでしたよね。
この時、自動小銃開発当初の想定弾薬は、.276(7mm)口径の弱装弾であり、
しかるに、自国の基幹小銃が低威力化に向かう事を、陸軍参謀総長は、「良し」としなかったからです。
使用弾を”30-06弾“に変更された事により、当初、コンテストに有利であった”ぺダーセン自動小銃は、
その尺取虫の機構上強装弾には不向きであり故障続発、結果的に”ガーランド”が、制式採用を勝ち取ったのは、
有名な話であります。
某書、某説で、「弾の備蓄がいっぱいあったから採用した」の例として、”30-06弾“の他に、
9mmPara⇒STEN,7.62mmMauser⇒TOKAREV TT30/33, 等が挙げられますが、それらは、怪しい話です。
仮にSTENの例として10万〜2O万発の捕獲弾を持っていても、大国同士の全面戦争となれば、一月も持たない消費量です。
(1人100発持たせて戦地に出すとしても、1000〜2000人分にしかなりません。STENで100発撃つはあっという間)
国力をあげてすぐに、弾薬生産ラインを整備・開始しなければなりません。
その時備蓄がいっぱい有ったから程度の理由で、その後の安定した供給保証も無い他国や敵国の弾薬を、
自国軍の弾薬に採用する事は決してありません。
必ず、性能上、運用上、設計上の利点が有ったから、自国生産しても採用しようと考えたものと考えます。
以上、本件質問より脱線しますので、ここまで。
〜?誉