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川西は戦後、新明和になりましたがこのように戦後名称を変えた国内有名兵器メーカーはありませんか? しんぺー |
- とりあえず思いつくやつだけ
中島飛行機製作所→富士重工
南部銃製作所→新中央工業→ミネベア(合併)
藤永田造船→三井造船(合併)
浦賀船渠→浦賀重工→住友重機(合併)
萱場工業→カヤバ工業
愛知時計電機・愛知航空機→愛知機械工業
播磨造船・石川島造船→IHI(石川島播磨重工)(合併)
まなかじ
- ↑上に無いところで
九州飛行機→渡辺鉄工所(元の名前)
あべちゃん
- あと、日産に飲み込まれたプリンス自動車(旧立川飛行機と財閥解体で中島から枝分かれした富士精密が合併した会社)というのも有りました。
中村
- まったく関係ないかも知れませんが、89式小銃の豊和工業は海軍工廠系の技術者がかなり流れてるそうです。
居眠り将軍
- >豊和
主に陸軍系と聞きました。日特金の方が海軍系に評価が高かったと言う文を読んだことが有ります。
素人の空耳モード
- 航研機の組み立てで知られる東京瓦斯電気工業は、松方正義首相の五男である松方五郎氏の才覚と人脈に支えられた、いわば一代企業でした。開戦直前同氏が亡くなり、会社のかなりの部分は日立製作所が受け継いで、日立飛行機・日立工作機・日立兵器の三社を設立しました。
日立飛行機はその後コマツとの提携を強め、現在は小松ゼノアとなって、航空機エンジンの修理やオーバーホールを行っています。日立工作機は間もなく同系企業と合併して、今は日立精機となっています。日立兵器は日立工機の母体となりました。
また、日立傘下に入らなかった計器部門は、現在のトキコです。
自動車部門は(ある程度の規模がないと、資材割り当てが受けられなかったため)石川島系のいすゞとひとつの会社を作っていましたが、1942年になって瓦斯電系の日野製造所が独立して日野重工業となりました。何度も社名変更した末、今は日野自動車となっています。
東京瓦斯電気工業については、日野自動車の社史に詳しい記述があります。
マイソフ