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1604 昔の警察(軍隊も?)はサーベル拵の日本刀を使っていたそうですが・・・。
1,日本刀は両手剣でサーベルは片手剣だが、持ち手はどちらに合わせてあったの  か、またその形状は。
2,いつからいつまで使われたのか。
について教えてください。
紅葉饅頭

  1. 警察の使うサーベールには実際はほとんど刃が入ってなかった、と聞いた記憶がありますが・・・。
    いわゆる、「指揮刀」みたいなものだったのでしょうか?
    Soby

  2.  Gun誌1994年10月号で大井川武如氏が『日本警察の武器の変遷』について記事を書かれています。
     それによると、警察官が警棒に代わる武器として帯剣を認められることになったのは明治15年からだそうで、警部補以上の高級幹部にはサーベル形式の外装に日本刀の刀身を組み込んだものが支給され、一般の警察官は切っ先のみ刃を付けた刺突専用のサーベルを使用したそうです。
     この時警察官の武器としてサーベルが選ばれたのは、当時のヨーロッパの警察がサーベルを使用していたことや、明治10年の西南戦争で『警視庁抜刀隊』が大きな活躍を挙げたことがきっかけとなっているようです。
     警察官のサーベル武装は終戦まで続けられました。なお、大正時代に入ると、一部の警官はサーベルに替えて短剣を携帯したそうです。
     余談ですが、我が父が知り合いから聞いたところによると、警官がサーベルで相手を殴ったら刀身が曲がってしまったことがあったとか。一般警官用のサーベルの製法等がわからないので、この話の真偽は不明です。

     一方、日本軍将校の軍刀は最初サーベル形式(日本刀刀身)でしたが、昭和13年に洋式外装は廃止されて日本刀形式になりました。将校用の軍刀は拳銃と同様に個人負担(私物)が主で、満州事変以降、個人で日本刀拵えにした軍刀を持参する将校が増えたため、軍の規定自体を変更するに至ったと聞きます。
     ちなみに、現在の自衛隊の儀礼用指揮刀は旧海軍士官用軍刀(サーベル形式)に類似したデザインだそうです(儀礼用ということで刀身は模造らしい)。
    ブラック・タロン

  3. >日本刀は両手剣でサーベルは片手剣だが
    警察の事に関しては判りませんが、大日本絵画の『日本の軍装 改定版』に陸軍将校用の両手握りのサーベルのイラストが載っていました。
    その解説によると、日中戦争初期まで使用されていたそうです。
    形状ですが、イラストでは判別が難しいのです。

    >ブラック・タロン様
    将校用の日本刀形式の軍刀は98式の前に94式(昭和9年制定)があったように思います。
    ウエストモーランド

  4. 支那事変後期から終戦までの陸軍将校の多くは九五式軍刀を払下げまたは貸与されていたのではないでしょうか。
    BUN

  5. 1.軍刀に関しては、皆さん御存知のHPも、覗いてみましょう。

      http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage53.html
      http://www.hx.sakura.ne.jp/~troll/jyukahou/sword_05.html

    2.K察のサーベルに関しては、ここの3階へ、行って勉強してきてください。
      http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/chosya/hakubutu/hakubutu.htm

      紅葉君は東京近在だと思いますので、夏休み期間中の今なら行けるでしょう。
      でも、一昨年位前に行きましたが、 基本的に非公開主義のK察だから、各種展示内容は、ショボイです。
      無料だから、文句言えませんが!!

    軌跡の発動機?誉

  6.  友人の日本軍装マニアによれば、終戦直後、米兵が日本の警察官のサーベルをスーベニールとして
    譲ってくれ、としつこく頼んでくるのにほとほと困った、という話がありますので、終戦で
    使用禁止になったわけではありません。
     うちの父親の記憶によると、その後の制服改定の時という事でしたので、調べたところ
    1946年7月30日に警察官の制服改定がなされており、この際サーベルが正式に廃止となり、警棒が
    採用されたようです。ただ警察署によっては改定前にサーベルの吊り下げを止めたところも
    ありますので、終戦時云々も間違いとは言えません。
    大塚好古

  7. 九五式軍刀は下士官用のみではなく将校向けにも貸与、払下げで大量に使用されたようで日本刀の形態を備えて初めて大量に装備された軍刀は九五式が最初かもしれません。
    また、九五式軍刀は既に大量に装備されていた三十二年式軍刀から改造されることを念頭に置いて制定されています。九五式に生まれ変わった三十二年式が相当数存在するらしいということ。
    試作品は当初、サーベル式に作られていますが、これには騎兵にはこの形態が適するという判断があった為のようです。九五式はそういった点からも歩兵、騎兵両用かつ将校刀も兼用する汎用軍刀としての位置にあります。

    BUN

  8. 私が以前に見た「巡査用」サーベルは、
    柄はまったくの片手用で、軍用の両手用サーベル
    と別物のように見えました。
    又、「警部用」サーベルの方が刀身が長かった
    ようです。
    (柄は記憶ややあいまいだがやはり片手用だったと思う)
    片手用サーベルに利き手による違いがあるか
    どうかは存じませんが、写真などによれば、
    サーベルは左腰に吊っていたようなので、
    右手で使用していた可能性が高いように
    思われます。

    補足
    大津事件の時に、巡査に切りつけられたロシア皇太子は、
    重傷を負いながらも助かっていますし、取り上げられた
    サーベルで切られた巡査も負傷だけですので、巡査用
    サーベルはブラックタロンさんが言われる程度の殺傷力
    だった可能性が高いように思われます。

    余談
    町奉行所同心も犯人逮捕の時には刃引きした刀
    (刺突しないと殺傷力が低い)を持っていった
    そうなので、警察サーベルも捕り方の伝統を引
    き継いだのでしょうか。
    十手を使用する警察官も戦前までは見られたそう
    です。

    SAW

  9. >陸軍将校用の両手握りのサーベル
    >32年式軍刀
    >「巡査用」サーベルは、柄はまったくの片手用で

    警察は基本的に片手の刃引きした刺突用片手剣か短剣、軍隊では初期はサーベル拵の両手・片手の日本刀が、後には完全な日本刀が使われていた、と言うことですね。でも片手用の日本刀って使いづらそうですね、騎兵は良いとしても、私昔剣道やってましたが竹刀でも片手だと全然力が入らなくなるは腕はつりそうになるは大変だったのを良く覚えています、さらに重い日本刀で歩兵が戦ったらまともな斬り合いなんて絶対出来そうにないですね・・・。それとも完全な指揮用の“武器”ではない”装備”として使われたんでしょうか、そうでもないと半世紀以上使われた理由が説明付きませんし。

    ありがとうございました。


    紅葉饅頭

  10. 私、一尺一寸の脇差(新刀)を持ってますが、振りまわしてみると、
    あれ、完璧に片手用ですよ。

    剣道は、ほんの少しだけ、かじってましたが、
    ・竹刀(標準3尺8寸)と日本刀(2尺〜3尺)では長さが違う。
    ・剣道は「寸止め」の動作が必要。斬撃は振り降ろす動作が必要。
    の2点で、剣道の動きと実戦は違うという、個人的な見解です。
    刺身包丁(実効寸法は短刀程度)で巻藁切りの真似事をしてみると
    両手は必要無いような印象を受けます。
    エロチカ番長

  11. 渡辺真哉(?)氏の「鉄砲と日本人」か同士の他の著作のどれかに他の本のからの引用文を解説して宮本武蔵の言葉として刀は片手で扱う物で両手で持つのは邪道、自分が二刀流を提唱するのも片手で〜(文章は違います)の様なことが書かれていました。
    長巻とにするような極端に長い太刀は別にして、ふつうの刀を両手で扱うのは江戸期に入ってからの太平の世の道場剣法で主流になったと考えても良いのかもしれません。(足運びも)
    素人の空耳モード

  12. 警察のサーベルは、右手持ちで、左腰に吊るし、刃をひいてあり、鞘は金属、いじるたびにガチャガチャ音がして、余り実用的とはいえない代物だったのですが、民衆が動揺・騒擾する時に抜刀すると、沈静効果があり、また指揮刀の代りになりました。日本海海戦の時に、露西亜艦の乗組員が大量にボートで漂着してくると、当該海岸の駐在巡査は抜刀して、付近の住民を指揮しました。
    その後、交通整理の際に邪魔にならないように刀身を短くしたのを吊るしたりしました。警察式のサーベルは、文官の護身用に広く使用されており、監獄職員や旧植民地の文官(小学教員を含む)も時代によっては、これを帯刀していました。

    陸軍のサーベルは、正規の服制では将校准士官は「指揮刀」(たいていは刃をひいてある軽い拵えで、実用にはならない)を吊るすことになっていたのでしたが、出征時には日本刀をサーベル拵えにして白兵戦での効果を最大限にするよう工夫したものを吊るしていきました。しかし上等の日本刀はすぐに曲ったり折れたりするので、予備を持っていく必要があったそうです。帯刀本分の下士官兵は、官給の曹長剣・騎兵刀をあてがわれて、これで戦いました。こっちは重くて頑丈で、敵の白兵を撥ね退け、斬撃刺突するに相当の効果があったようです。これは日清・日露戰役の頃の話です。
    平時の将校は、服制に従って、席を立って、うろうろしている時には、特に屋外に在るときは殆ど常に帯刀していたので、「重いのはかなわんよ」と、なるべく軽い指揮刀を選んで佩びていたのでしたが、無骨を標榜する将校には、出征部隊でもないのに日本刀を常時帯刀する習慣が流行し、昭和の皇道派青年将校にそういう人が増えました。そのうちそれが戰時服制に採用されてしまったのでしたが、満州事変以降も依然として昔ながらの指揮刀を使用している将校は、なお多くありました。
    あるめ

  13. >警察のサーベルは、右手持ちで、左腰に吊るし、刃をひいてあり、鞘は金属、い>じるたびにガチャガチャ音がして、
    このために戦前の不良は警官のことを「ガチャ」と呼んでたそうです。

    >監獄職員や旧植民地の文官(小学教員を含む)も時代によっては、これを帯刀し>ていました。
    脱走犯が工場に逃げ込み、鉄棒を振るって抵抗するのを、看守がサーベルで大腿に切りつけ、工員と一緒に取り押さえたという事例があったそうです。

    SAW


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