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第2次大戦終了後ドイツのV号戦車のように戦勝国で正式に使用された日本軍の兵器・装備等が あれば教えてください。 ベリアル |
- 中国国民党軍が、中国大陸の日本軍から没収した97式中戦車等の各種兵器を相当数、国共内戦で使用しています。最も、国共内戦で大部分の国民党軍部隊が蒋介石を見限ったり裏切ったりして中国共産党軍(人民解放軍)に投降しているので、朝鮮戦争の頃にソ連製兵器が大量に入ってくるまでは、人民解放軍の主力兵器が旧日本軍の兵器であったようです。
第二次大戦終結から1947年の新中国成立頃までの中国軍の兵器・装備に関する資料って余り無いから、案外知られてないんだよね。
アリエフ
- 父が中国で買ってかえってきた戦車雑誌がありますから、ちょっと解読して見ます(テスト期間中なんで時間がかかるかもしれませんが・・・・・・)。赤い星をつけた九七式改の写真が乗ってました。
居眠り将軍
- フランス空軍第1戦闘飛行群第7戦闘飛行団(G.C.I/7)が1945年の暮から1946年初めの2ヶ月あまりの間、英軍がビルマ方面で接収した一式戦2型と3型(2型が主)を装備しています。
仏軍パイロットの感想は・・・「飛ばすとふわふわしすぎていて扱いにくく、とくに着陸でバルーニングを起こしやすい」だったそうです
大戦中にスピットやP-51などの沈みの大きい飛行機に乗っていたせいでしょうか、これで十分を思うところまで速度を殺しても、隼ではまだ揚力が残っていて接地してくれないんですね。
それで無理やりドシンと落として脚を破損するという事故が続発したようです。
慣れる間もなくすぐにスピットに機種改変となり、仏軍パイロットは隼の「真価」を知らずじまいだったようです(笑
まなかじ
- どっかの本にベトナム戦争で北ベトナム軍が38式歩兵銃を装備していると書いてあった記憶があるんですが。
安井 賢一
- 海軍でもいいのかな?
駆逐艦 雪風
台湾海軍旗艦などもやって、1971年に除籍になってます。
運の強さは移籍後も変わらなかったようです。
ほほうてい
- 台湾のホームページ見て確認したら、
1966年11月16日除籍ですね。71年は日本に舵輪と錨が返還された年でした。
ほほうてい
- >4
インドシナ戦争(対フランス独立戦争)の初期には、ベトミンは旧日本軍の残置武器をかき集めて使用し、不足分は地下工場で密造等していたそうです。その一部がアメリカ介入後のベトナム戦争まで生き残ってベトコン等に使われても不思議はありませんね(ベトコンはベトナム戦争の初期にも拳銃やサブマシンガンを密造して使用した)。
旧日本軍が作った装備や規格で、外国において使用or注目されたものは、制式採用にまでは至らずともいくつか例が見られます。
1880年代、米軍は自軍初の無煙火薬使用ライフルの選定作業を行いましたが、この時内外から集められた53種の候補の中には日本の村田銃(22年式?)があったそうです。ちなみに、米軍がこの時採用したのはスウェーデン製のクラグ・ヨルゲンセン小銃(M1896)でした。
また、帝政ロシア時代に作られたフェデロフM1919自動小銃は、旧日本軍の38式歩兵銃用6.5mmX50SR弾を使用していました。これは帝政ロシア軍及びソ連赤軍の一部で使用されたそうです。
あと、制式採用というより正規装備不足分の補完的な使用として、第2次大戦後の中国軍等で旧日本陸軍の鉄帽が使われていたことがあります。
ブラック・タロン
- 戦後、航空魚雷が10本くらい台湾に“輸出”されたとか新聞で読んだことが有ります。(砲身密輸事件にからんで武器輸出3原則とそれ以前の事情の解説で???)
台湾で旧軍の10Hを使った自走砲が有ったような?
戦勝国では無いですがインドネシアに6.5mm弾の製造施設も輸出されたらしいです。
(上記新聞記事)
部外者
- >2一部解読完了。思ったより大した記事ではありませんでした。
「中共軍戦車隊の歴史」とか「勇壮突破○○(略字だったんででません)城」とかで、九七式チハと九七式改が出ていました。「功臣号」という名前をおお書きしたチハ改とか。国共内戦が主体で、あまり戦車自体には詳しくないです。
直接関係はないですが、後ろの方にのっていた「日本戦車体系」という記事の方が興味深かったです。八九式中戦車の記事でしたがあまり「臭く」なかったです。純粋に技術的な話で、結構面白かったです。
居眠り将軍
- ゴミレスですが。
記憶での回答になりますが、第一次世界大戦のとき、日本は、ロシアに大量の武器を輸出しており、小銃を数十万挺、小銃弾に至っては、数億発輸出され、ロシア軍に38式歩兵銃は制式採用されていたそうです。
山家
- 功臣号(チハ改)の写真なら手前味噌ですがここにあります。
http://www.warbirds.nu/p-kun/china.htm
そのほかにも91式10榴、96式15榴、90式野砲、チハなどがありました。(ページにあります)
38式はどこにでもありますね。中国革命軍事博物館にも結構な数でお目にかかれます。
あと、印度総督氏のページですが中国坦克博物館にも94式軽装甲車などがお目にかかれます。
http://www2.ttcn.ne.jp/~heikiseikatsu/mokei/tankhaku.htm
同じ印度総督氏のページですが99式双軽なんかもあります。
http://www2.ttcn.ne.jp/~heikiseikatsu/trip/KOHKU.htm
これら展示してあるものはほぼ間違いなく国民党、共産党いずれかで使われていたものだと思います。
あと、ベトナムはハノイにある軍事博物館に行った時ですが、第2次インドシナ戦争のコーナーに
38式らしきものがあったと記憶しております。(あくまで記憶モード)
ですが、全般的に各国のボルトアクション小銃がざっくばらんに使われてたという感じでした。
まあ、これ以外にも「同じコーナーに」刀剣なども展示してあったのですが・・・
あとはディエンビエンフー博物館にあった野砲(あのフランス軍の想定外から撃ったアレ)ですが、
日本制ぽいような・・・第1次インドシナ戦争でまだ鉄車輪式の野砲というと・・・
もう6年も前の話なので・・・
P-kun
- 皆様、回答ありがとうございました。
旧日本軍兵器の優秀さを知る為の一つの目安として、今回の質問をしました。
小柄なアジア人の体格に合わせた旧日本軍の火器は、アジア地域で火器を生産する技術の乏しかった時期に重宝されたと想像するものであります。
最後に返信が遅れてすみませんでした。
ベリアル