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1472を読んでいて思ったのですが、注退機(器?)が装備(採用)されたのは、日本でいえば何時頃からでしょうか?・・・ sinn |
- 日本ではクルップに発注した38式の各種火砲が陸上用では最初です。海は知りません。
(バネ式、その後の45式では空気圧利用。とはいえ、要塞砲の写真を見ると重力で戻す用になっているのでしょうか(28センチ砲とか)?31式も車輪にバネか何か引っかけて下がった分を戻す工夫が有ったようです(精度は無い))
世界的には明治30年前後に出てきているようです。(フランスとか)
識者のかた、補足訂正願います。
部外者
- 訂正
要塞砲の前に「それより古い」を入れて読んでください。
部外者
- げっ、>注退機(器?)・・・駐退機ですよね?(汗)
結構古くからあるんですね、先の車輪問題で、これの有無(実用的性能?)も関係あるかなとか思ったのですが、違うようでした。
ありがとうございました。
sinn
- 新参者で、しかも駐退器についてちゃんとわかってもおらず、機も逸している状態でに書き込むのは失礼だと思いますが…
海軍砲についてですが、「明治工業史」によると明治15年に練習艦「鳳翔」に搭載するために
水力駐退機を用いた12斤ナポレオン加農砲架2基が築地兵器製造所で試製、採用されたそうです。
しかし、海外では1864年に英がエルジック式摩擦駐退機を採用した、と別の本(艦砲射撃の歴史)にあり、
明治16年には「橇盤砲架」(摩擦式駐退機のことか)と言う物を、輸入した「金剛」(竣工明治11年)の備砲の砲架を模倣して試作したそうで
恐らくそれ以前の舶来艦もこういった駐退機を持つものがあるだろうと推測しますが、よく読んでいないこともあってか私は知りません。
(もっとも、それ以前の駐退索は駐退機と呼んで言いのかと言う事はわかりませんが)
陸軍砲については、「日本の大砲」を読む限り「駐退機」の言葉があるもので一番古い砲と思われるものは
明治16年に大阪砲兵工廠で竣工した12珊米鋼銅加農のようです。
(とはいえこの砲はその後も改良が続けられ、正式採用は明治34年になったそうですが)
但し、私は図面を見てもどこが駐退機でどう動くのかさっぱりわかりません(おい)
図面で明らかに「駐退機」の字がある中で、明治21年にフランスから輸入した海岸砲の「加式30口径27糎加農」ではないかと思います。
(駐退管と書いてあるピストンらしき図等がありました)
ただ、それ以前の砲で摩擦式駐退機を持つの様に見える物はあり
明治17年(?)に大阪砲兵工廠で試製砲が竣工した28榴などもそのように見えます。
砲身長後座式野砲で陸軍最初の砲は2でおっしゃられているように38式だと思います。
一応、今の所私がわかるのはこれくらいです。
多分、私が読んだ資料についてだけでも読み漏らしや誤解などがあると思います。できれば補足訂正などしていただけると大変有難いです。
攝津
- >私が読んだ資料についてだけでも
→この書き込みにはかなりの
としてください。この意味のつもりだったのに変なことを書いてしまったようです。申し訳ありませんでした。
摂津
- >2でおっしゃられているように
→1でおっしゃられているように、でした。度重なる誤記、本当に申し訳ありませんでした。
摂津
- 重ねてのご回答、ありがとうございました。
sinn