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1461 「列強が自動小銃を配備しているのに、日本は自動小銃を配備しなかったから負けた」という俗説をよく聞きますが、一番最初に誰が言い出したんでしょうか?
モーグリ

  1. 浅学にて初耳ですが相当凄い発言ですね(笑)
    西欧列強の中で自動小銃をまともに配備して他のは米露だけ、いや米だけかというようなだったのに(汗)
    英、独、伊、チェコ(一応工業国なので)、襖、仏、とりあえず分かる列強ほぼボルトアクション装備ですからねぇ。
    紅葉饅頭

  2.  わしもお粗末ながら昔はそう認識していた一人です(^^ゞ(爆)>列強が自動小銃を配備しているのに日本は自動小銃を配備しなかったから云々

     では、その旧日本軍の自動小銃事情はどうだったかというと・・・
     あまり手元に資料がないのですが、1904年に南部麒次郎が自動小銃の試作を行ったのが旧陸軍最初の自動小銃開発であったとされています。その後、昭和8年頃に陸軍造兵廠が新軽機関銃の試作と並行してピダーセン式閉鎖機構を持つ44式騎銃ベースの試作銃を作っています。さらに、旧陸軍は昭和11年に6.5mm新軽機関銃(後の96式)、昭和14年頃?に7.7mm新軽機関銃(後の99式)のトライアルを行いましたが、その際にそれぞれの口径の自動小銃のトライアルも併せて行っています。この時のトライアルには陸軍技本や小倉造兵廠の他、日本特殊鋼、中央工業、東京瓦斯電が参加し、その内東京瓦斯電はチェコ製VzZH29をコピーしたような自動小銃を試作し提出しています。
     旧陸軍でも海外の情報から自動小銃の有効性はそれなりに認識していたようです。が、ボルト・アクション銃よりも精密な製造公差が求められる自動小銃の量産を行えるだけの設備投資は当時の陸軍の懐事情では不可能で、また当時の主要仮想敵国であった旧ソ連や同盟国のドイツが自動小銃への全面移行の動きを見せなかったこともあって(唯一自動小銃の大量配備を行っていたアメリカは当時主要な仮想敵国というわけではなかった)、結局自動小銃の装備化は見送られました。、もし旧ソ連やドイツが自動小銃へ全面移行していたら、日本もそれに追従した可能性はあるかもしれません。
     なお、旧海軍でも1944年頃から陸戦隊向けに自動小銃の装備化を検討し、米軍M1ライフルをコピーした自動小銃が試作されました。4式(5式とも)小銃の名称を与えられたこのライフルは、口径を7.7mmX58(一応99式と同じ弾ということになっているが、床井雅美氏によれば微妙に寸法の違う弾だったらしい)に変更し、装弾数10発でクリップを使わずバラで装填できるよう改良されていました。鷲野製作所で約250挺ほどが先行量産されましたが結局間に合わず終戦となりました。
    ブラック・タロン

  3.  「誰が最初に言い出したか」はともかく、松本零士氏の戦場まんが「グリーン・スナイパー」の影響が大きいかもしれません。38 式を装備した日本の狙撃兵が米兵に次々に討ち取られる中、試作品のピダーセン自動小銃を渡された凄腕一人が生き残り、最後にM1ガランドを狙撃銃を持った米側のエースと対決するが…という話です。あと、とかく日本陸軍の旧弊の代名詞みたいに言われる「38歩兵銃を第二次大戦まで使い続けた」という台詞も「欧米は自動小銃を配備していたのに」という言葉を生む母体となったのかも知れません。本当に38式が「重く長く旧式」だったのか、各国主要ライフルと比べてみるとわかります。

    Japanese Type38 1904 L=1275mm W=3.95Kg 5rds
    Japanese Type99 1939 L=1150mm W=3.80Kg 5rds
    U.S M1903 1903 L=1103mm W=3.87Kg 5rds
    U.S M1917 1917 L=1175mm W=4.36Kg (U.S Enfield)
    U.S M1 Cal.30 1936 L=1103mm W=4.32Kg 8rds (Garand)
    U.S M1 Carbine 1941 L= 905mm W=2.48Kg 15rds
    Lee Enfield Mk.I(MLE) 1904 L=1257mm
    Lee Enfield Mk.IIIA* 1915 L=1130mm W=3.96Kg 10rds
    Lee Enfield No.4 1939 L=1130mm
    Lee Enfield No.5 1939 L=1003mm
    Carcano M1891 1891 L=1280mm W=3.82Kg 6rds
    Carcano M1891C 1891 L= 913mm W=3.11Kg 6rds
    Carcano M1938F 1938 L=1018mm W=3.43Kg 6rds
    Carcano M1938C 1938 L= 915mm W=2.97Kg 6rds
    Mauser G98 1898 L=1250mm W=4.09Kg 5rds
    Mauser Kar98K 1935 L=1110mm W=3.92Kg 5rds
    Mosin Nagant M91 1891 L=1181mm W=3.40Kg 5rds
    Tokarev SVT38 1938 L=1220mm W=3.95Kg 20rds

     自動ライフルは M1 ガランド、マウザー G98(失敗作)、トカレフ SVT38 だけです。38式はボルトアクションとしては最新の世代に属し、それまで登場したメカニズムを研究し改良した優秀なものです。

     ただ、「自動小銃」という言葉に「短機関銃」を含めると「日本だけは…」という言葉も当たらずとも遠からずです。日本の百式機関短銃は特殊部隊用で生産数も限られており、性能的にも優秀とは言い難いものでした。これを「銃剣突撃を万能とする旧弊思想の弊害」と糾弾するのは簡単ですが、陸軍が主戦場と想定していた大陸では短射程兵器の価値が少ないと考えられていたこと、予算に苦しむ貧乏軍隊として弾薬を大量に浪費する兵器の大量採用に踏み切れなかった、などの事情も考慮する必要があります。
    ささき

  4. 日本陸軍は自動小銃に対して、最初から狙撃銃的な役割を期待していた雰囲気があります。上海事変の戦訓として戦闘群の一部が自動小銃を装備して敵の火点を狙撃して潰しながら前進するという用法が提案されています。狙撃銃としての有効性に最初に着目し、その延長線上で開発と試験を繰り返しながらほぼ量産直前の状態まで漕ぎつけた自動小銃の息の根を止めたのは支那事変の拡大による小銃不足でしょう。自動小銃を量産する以前に三八式の代用銃を必要とする状況に陥っているのです。
    よく言われる「弾薬の浪費に耐えられない」という話は一部の造兵関係者の回想にある為に実態以上に大袈裟に伝えられているのかもしれません。
    BUN

  5. >3. 間違い…Mauser G98 は Kar98 のフルロング版ですね(^^;)。ドイツの自動小銃はワルサー G43 です。
    ささき

  6. この意見は歴史ファンや歴史系書籍で頻繁に見られます。
    私が知っている限りでも戸部良一『日本の近代9・逆説の軍隊』、毎日新聞の『20世紀の記憶・大日本帝国の戦争2』、鈴木眞哉『鉄砲と日本人』『謎解き日本合戦史』、林信吾『戦争に強くなる本』、三野正洋『日本軍小失敗の研究』とかなりあります。
    モーグリ

  7. >3
    >試作品のピダーセン自動小銃
    あれは昭和10年代に日本軍が試作した「試作自動小銃・甲」です。実在の銃です。
    でも確かこの銃は「命中精度の低さ」が不採用の一因だったはずでは?
    モーグリ

  8. 文献によっては自動式の小銃と短機関銃の区別がついていない場合があるのでやっかいですね。

    ところでBUN氏の言われる(以下引用)

    上海事変の戦訓として戦闘群の一部が自動小銃を装備して敵の火点を狙撃して潰しながら前進するという用法が提案されています。狙撃銃としての有効性に最初に着目し、その延長線上で開発と試験を繰り返しながらほぼ量産直前の状態まで漕ぎつけた自動小銃の息の根を止めたのは支那事変の拡大による小銃不足でしょう。自動小銃を量産する以前に三八式の代用銃を必要とする状況に陥っているのです。
    (引用終了)
    の「自動小銃」というのはどのあたりの範囲だったんでしょうね。
    BUN氏のお話では自動式狙撃銃のようですが、上海特別陸戦隊にはいわゆる「ベ式」が装備されていたそうなので、WW1でMP−18あたりを使用して敵陣を突破しようとした独軍戦術を参考にしたのかなどという勝手な想像もしてしまいました。

    余談
    旧軍出身者の手記で、「南方で敵が小型の機関銃のようなもので弾幕を張ってきたので容易に近づけなかった」
    「敵から奪った自動小銃(実際はトミーガンだったらしい)は役にたった。」
    「夜襲切り込みが得意の日本軍にこそ自動小銃(ルビはサブマシンガン)が有効な武器だったのに。」
    とか見たことがあります。(記憶モード)
    現場の兵隊さんには、「こっちにもあんなのが有ればなー。」という思いがある方がかなりおられたのかもしれませんね。

    SAW

  9. 大戦末期の沖縄戦で、米軍がガマの中から2丁の試作自働小銃を捕獲していたそうです。仕様は東京工廠試作のピダーセン式機関部と四四式騎銃の折畳式銃剣を装備したものだったということです。実射試験のためか実戦用かは不明です。

    >7
    確か、着脱式弾倉(5発)でしたよね、良く憶えてませんけど・・・。日特案・第四次試作型の「丙」ではないでしょうか?
    ヴェルトロ

  10. SAWさんの御質問にお答えします。

    例に挙げた第九師団の所見ではベルグマンを我が騎銃よりも銃身の短い「ベルグマン短自動小銃」として区別して「近距離射撃、家屋の掃蕩などに有効」「最初の3,4発しか命中が期待できない」としていますので、ここで不調な軽機の代用として装備すべきとされる自動小銃は恐らく本来の自動小銃を指しているのではないかと思います。この所見の興味深い所は小銃の射撃機会が敵銃眼に対しての狙撃以外に殆ど無かった事で、小銃がほぼ銃剣突撃のほかに用法が無く、実用的な近距離用の照準器を装備して狙撃銃として使用するしか将来の用法は無いかもしれない、といった内容を語っている点です。このあたりの戦訓がその後の陸軍の自動小銃への評価、例を挙げるならば昭和十三年の近接戦闘兵器研究員会等での自動小銃の用途=狙撃につながっているのではないでしょうか。
    日本の自動小銃開発史については最近手をつけ始めたばかりなので、あまり自信はありませんが、今の所そんな感触を得ています。
    どうも日本陸軍が構想した自動小銃はバリバリ撃つ銃じゃないみたいですよ。
    BUN

  11. ↑興味深いお話ありがとうございます。
    近距離銃眼狙撃用(あるいは制圧用)とは興味深い考えですね。
    うろ覚えですが、百式機関短銃の開発に際しても軽機関銃並みの命中精度を要求したり試作銃に2脚を装着しようとしたのもこのあたりにも原因があるのかもしれませんね。
    研究が進むことをお祈りいたします。
    SAW

  12. ↑さらにいわせていただくと、64式小銃にまで繋がるような気もします。
     
    居眠り将軍

  13. 弾薬の生産能力も考えて。



  14. >BUNさん

    そういえば”M1ライフルは故障が多かったので、しばしば予備の一丁を用意して日本軍の猛攻をしのいだ。”という証言を読んだことがあります。ガダルカナルで戦った米陸軍人の談話だったとおもいますが。・・・贅沢な話ですね!

    たちばな

  15. ペーターゼン(ピターゼン?)ライフルを米軍が採用しなかったのは、トグル
    アクションによるディレードブローバックという閉鎖機構が(当時としては)
    強力な30-06弾に耐え切れなかったから、と記憶しています。
    わが国に於ては7.7mm口径実包は口径の割に腔圧が低いため、試作レベルで
    まずまずの成功をおさめたと。
    第二次世界大戦勃発時わが国(に限らず各国)で自動小銃の採用が見送られた
    のは、じつはボルトアクション機構というのは弾幕を張るという目的に於ては
    訓練次第でセミオートマチック機構並みの連射速度を得ることができたから、
    ということもあった筈です。
    これ、飯森広一のマンガで知った。読んだときは「本当かよ」と思ったが、後年
    CMCのモデルガンでやってみたら確かに速く操作できるんだよな。

    それまではグリーンスナイパー信奉者だった、
    strafe

  16. 自動小銃については、「小銃全数を装備改変する為の兵器だったか」という整備計画上の問題もありますが、「弾薬生産能力が不足していた為見送られた」というそれなりに説得力のある説の検証も必要だと思います。従来の解説書には主に開発側の重鎮であったD氏の回想が引用されていますが、肝心の参謀本部はどう考えていたのか、兵器開発の根幹をなす「兵器研究方針」では「小銃の発射速度を増大させる」と明言されている自動小銃に弾薬供給上の問題が本当に懸念されていたのか、これは疑ってみる必要があるようです。
    「弾薬の生産能力」はひとつの結果でしかあり得ません。
    BUN

  17. >15
    英国のエンフィールド小銃は他国の小銃よりボルトの下げ幅が小さくてすむ構造のため、熟練した兵士だと片手でトリガーに指を当てつつハンドルを往復させて速射出来ます。
    WW1で英軍のこの射撃を見た独軍が、あまりの射撃の早さに機関銃と勘違いしたそうです。
    モーグリ

  18. ↑30−06狩猟用ボルトアクションライフルで、数秒間の間に50m離れた移動標的の3発連射する射手を見たことがあります。

    SAW

  19. 日本陸軍が自動小銃の開発優先順位を下げた最大の理由は、機能面の問題ではなく当時の戦場において「もはや小銃は歩兵の主要な兵器とは言えなくなった」からでしょう。
    BUN

  20. >19
    >BUNさま
    その意見は初耳です。
    小銃が主要な武器ではないとすると何を主力にしたのでしょうか?
    モーグリ

  21. ↑言うまでも無く機関銃です。第一次大戦後の歩兵の主力火器は小銃ではなく機関銃です。遅れていると言われる日本でさえ、軽機中心の「戦闘群」という用語が使われていますし、更に軽機ではなく思い切って重機関銃を主体とする小隊、分隊編制にすべきだとの主張が見られます。
    歩兵火力の中核としての伝統的小銃の役割は19世紀に終ったと言えるでしょう。
    BUN

  22. >21. M1 ガランドを持っていた米軍さえ、実戦ではフルオート機能を持つ BAR(ないし M1919 軽機) が歩兵火力の中核となっていたそうです。戦後に彼等が Cal.30 でフルオート機能を持つ M14 を開発したのも「全てのライフルマンに BAR なみの火力を持たせる」という(少々無茶な)願望があったようです。
    ささき

  23. >4.上海事変の戦訓
    支那兵は、チェコ製、自動小銃”ZH29”を所持し、バカスカ撃ってきました。


    >4.弾薬の浪費に耐えられない」という話は一部の造兵関係者の回想〜
    >16.「弾薬生産能力が不足〜〜開発側の重鎮であったD氏の回想〜
    いえいえ、造兵関係者始め、運用・装備局側も、日米英戦前、支那事変の頃より、WWI戦時の機関銃戦及び、
    初期自動小銃の弾薬消費データ―を基に「膨大な消費量となる事」を危惧しており、当時の兵器書に書かれています。
    又、むしろ造兵関係者は、自動銃推進派であります。列強の自動銃の情報に敏感であり、種々入手し、乗り遅れない様、
    一刻も早く開発しなければならないと、鋭意努力しています。
     

    >15.じつはボルトアクション機構というのは弾幕を張るという目的に於ては
    訓練次第で
     セミオートマチック機構並みの連射速度を得ることができた
    >16.小銃の発射速度を増大させる」と明言されている自動小銃に弾薬供給上の問題が本当に懸念されていたのか
    すぐ↑{「膨大な消費量となる事」を危惧}とは、矛盾しますが、 自動小銃だろうと、手動銃だろうと、
    銃身過熱を考慮した持続発射速度は、同じ物です。だいたい20〜30発/分。 手動銃でも、何とかこなせる速射率です。
     

    私見、
    「金が無いから、高価な銃は、要らない、それより安い銃を一丁でも多く早く供給する」、「弾薬生産能力が不足」
    という要件は、造兵関係者が思案・決定する物では、ありません。
    今も、昔も、基幹兵器の仕様決定、採用決定、運用、整備は、全て、軍装備局側が全権限を持ちます。 
    帝国陸軍が自動小銃を最後迄配備しなかったのは、”金無し・供給問題”と”弾不足”両説及び、
    ”まともな自動小銃の開発に遅れた” が 総合的理由と思います。

    この件でBUNさんの 今後の研究・展開を楽しみにしています。

    軌跡の発動機?誉

  24. すみません。当時の兵器書とは何でしょうか。出来ましたらお教え願います。
    また軍需審議会等で小銃自動化による弾薬消費量が問題になっているのでしょうか?単に技研レベルで言われている事なのか、参本内での意見なのかでかなり異なりますが、自動小銃を採用すると弾薬消費量が膨大なものになるという発想はもしあるなら何処で生まれ、どれだけの権威を持っていたのでしょう。
    少なくとも十四年までの兵器研究方針は自動小銃を支持していますので弾薬消費量を危惧する意見が明らかに自動小銃開発を抑制したという事実は見られないのではないでしょうか。
    また、小銃弾自体の生産が不足している事、生産拡大が求められながらも思うにまかせない状況は確かに問題視されていますが、それが他の自動火器ではなく何故自動小銃と結びつくのでしょうか?現在の私には大いに疑問です。

    BUN

  25. >自動小銃を採用すると弾薬消費量が膨大なものになるという発想
     日本国内で誰が言い出したか等については寡聞にして不明ですが、少なくともヨーロッパの軍関係者の一部には、自動小銃が現実のものとして登場し始めた20世紀初頭頃から『自動小銃は弾を不必要に浪費する高価なだけの兵器』という否定的意見が存在していたようです。
     旧チェコスロバキア軍部が1925〜29年にかけて行った、ゾブロジョブカ・ブルーノとボーメン・ゾブロジョブカ提出の自動小銃2機種のテストのレポートでは、テスト中に作動不良や故障が相次いだせいもあってか、自動小銃について『弾薬を不必要に浪費し、銃の生産に手間がかかり供給が困難な点も大きな欠点』という否定的な結論が出され、その後の継続テストでもチェコスロバキア軍部の自動小銃に対する否定的風潮は払拭されなかったようです。将来歩兵用小火器としての自動小銃に当初関心を持って研究開発を行ったチェコスロバキア軍部ですが、最終的にはボルト・アクション・ライフル&軽機関銃による基本武装計画に落ち着き、自動小銃の開発にあまり力を入れなくなったようです。ゾブロジョブカ・ブルーノが軍のテスト向けに開発した試作自動小銃VzKや、上で誉さんが少し触れたVzZH29も、それぞれ当時最新型の製品でありながら、海外軍のテストに提出するための輸出許可が下りていたくらいです。
     ちなみに、VzZH29は、ゾブロジョブカ・ブルーノと並んでチェコスロバキア軍のテストに参加したボーメン・ゾブロジョブカの技師エマニエル・ホレックがブルーノに移ってから開発したものです。自国軍での採用が見込めないため海外輸出用として製品展開されましたが成功したとは言えず、最も多くのZH29を購入したのは中国でした。日本でもこの銃をモデルに試作自動小銃が作られたのは上でわしが書いた通りです。

     なお、チェコスロバキア軍部が最初に注目した試作自動小銃の設計者カレル・クルンカは、自分の開発した自動小銃をチェコスロバキア軍にアピールするにあたり、フル・オート機能の追加や機関銃型バリエーションの開発プランまで提示し、『自分の発明したライフルこそ未来の歩兵用小火器として最適であり、採用すれば軽機関銃さえ不要になる』と触れ込んでいたそうです。なお、カレル・クルンカはその後ゾブロジョブカ・ブルーノと契約して自動小銃の開発に携わり、その途中の1926年に他界しますが、開発は継続されてVzKが完成し、チェコスロバキア軍のテストに参加することになります。
    ブラック・タロン

  26. >24.すみません。当時の兵器書とは何でしょうか。出来ましたらお教え願います。

    ”軍需審議会等”、”技研レベル” その様な、大げさな関係書ではありませんが、当方、いくらかの
    兵器関係書物を所有しています。 例えば下記の書を1例にします。

     文芸春秋社 軍事科学講座第五編 「兵器編」  陸軍砲兵少佐 藤堂高象 著
                             昭和七年六月発行

     画像掲示板2のNO.921に、関係ページをUPしました。
     
     最後の文節
     「〜国力に関係すること多く、弾薬が無尽蔵で、金が沢山あれば可能であるが、今の処は問題でない。
     〜〜 監視兵又は、狙撃兵などに相応しい兵器である。」

    〜?誉

  27. 拝見いたしました。
    ありがとうございます。
    一般向けの解説書ですが、こうした認識は当時十分にあり得たと思います。
    ただ、日本の自動小銃の開発経緯とは無関係のように思われます。

    BUN

  28. 「無関係」ではなく、「直接関係が無い」という事ですね。失礼いたしました。
    BUN

  29. 26> 文芸春秋社 軍事科学講座第五編 「兵器編」  陸軍砲兵少佐 藤堂高象 著
                             昭和七年六月発行

    どうすればそのような書籍を閲覧できるのでしょうか?
    自分の典拠は津野瀬光男氏の著作止まりなので・・・
    strafe

  30. >29.strafeさんへ
    このWarbirdsの諸先輩方と同じ様に、何年にも渡って(10年以上?)、研究や探索(神田の古本街他、何処へでも)し、
    それ故、同好の者とも知り合いとなり、色々な事が知りえる様になるでしょう。
    その積み重ねではないでしょうか。 ローマは、一日にして成らず。  最大の障害は、山の神なり。
    〜?誉

  31. ↑誉さんのおっしゃる通り、まさにその通りだと思います。
    BUN

  32. 30>、31> 皆様
    やはり大事なのは自分の足で歩き、往来を重ねることなのですね。ありがとうございます。
    とりあえずGun誌を20年ばかり読んで修行してきます・・・
    strafe


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