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なにかの資料でよんだうろ覚えなのですが 手榴弾は、日露戦争で旧日本軍が瓶に爆薬を詰めて投げたのが 起源と書かれていた記憶があります。 これって事実なのでしょうか? もしそうなら、どの戦いでつかわれたのでしょう? また、どのような経路で手榴弾として各国で改良が 加えられていったのか、が知りたいです。 よろしくお願いします! yuu |
- 詳しい資料が手元にないのですが、『投擲爆弾』(手投または器械投)の歴史は、火薬が戦争に使われるようになった頃から始まったといってもよいでしょう。鎌倉時代の中国モンゴル軍の『てつはう』辺りがいい例ですかね。また、銃器黎明期のヨーロッパの軍隊にはグレネーダー(擲弾兵)がいて、それこそ昔のマンガに出てくる導火線付き爆弾みたいな投擲爆弾を手でぶん投げていたそうです(グレネーダーの名前やマークは現代軍にも残されている)。
現在の手榴弾に繋がる機能を持つ投擲爆弾となると、日露戦争が起源と聞きます。1904年8月の旅順174高地における戦闘で最初の『手投爆弾』(詳細不明)が使用され、その後日露両軍とも手榴弾の量産に着手したと言われています。この時の日本軍の量産手榴弾第1号は着発信管だったそうですが、その後日本軍が新しい手榴弾(10年式手榴弾)を制定したのは10年後の1914年のことでした。
手榴弾のスタイルと用法が完成したのは第1次世界大戦です。まず用法面では、いわゆる『防御型手榴弾』(安全な場所から投げることを前提とするため高威力。ドイツ軍の柄付き手榴弾等が代表格)と『攻撃型手榴弾』(走りながらでも投げられるよう威力を抑制)の区分が生まれ、またライフルの銃口に取り付けて空砲等で発射する『ライフル・グレネード(小銃擲弾)』も登場しました。
一方、機能面では、フランス軍によって『フライオフレバー式点火機構』(ネズミ取りとも呼ばれる)が完成されました。これは、バネ式のストライカー(撃針)をセフティ・レバーで押さえ込んで安全ピンで固定したもので、ピンを抜いて投げるとレバーがストライカーに押し上げられて跳ね飛び同時に点火、○秒後に爆発するという方式です。1915年にイギリス軍が採用したミルス手榴弾も、点火機構はフランス軍のフライオフレバー式に似たものでした。
この機構を持つフランス軍のF1手榴弾は、後に米軍が改良してMkII手榴弾となり、その後現代まで主要手榴弾の点火機構として普及していくことになります。
なお、第2次世界大戦の主要参戦国のうち、アメリカ・フランス・イギリスの手榴弾はフライオフレバー式でしたが、ドイツ・イタリア・日本はそれぞれ異なる点火機構の手榴弾を使用しました(旧ソ連については資料不足で不明です)。
ドイツ軍の手榴弾と言えば、誰もが真っ先に思い付くであろう柄付き手榴弾。これの点火機構は摩擦発火方式で、くり抜いた柄の中に通した紐を底から引き抜くと、その時の摩擦で点火剤が発火して導火線に引火、起爆するというものです。ドイツ軍の手榴弾にはもう一つ点火機構があったはずですが(卵形手榴弾や発煙手榴弾で使用)、資料不足で詳細がわかりません(;^_^A なお、中国兵は柄付き手榴弾の底から出した紐を持ち手の指に巻き付けて投げる(投擲と同時に紐が抜ける)用法を考案し、旧日本軍でも自軍の柄付き手榴弾(98式)でこの用法を真似ました。
イタリア軍の手榴弾は主に3種類あり、全方位型の着発信管を備え、プルタブを抜くとセフティ・カバー&プレートが外れて信管作動可能な状態となり、着弾と同時に爆発します。が、3種ともこの着発信管の作動が不安定で、戦場で発見された不発弾が気まぐれ的に突然爆発することから『赤い悪魔』(イタリア軍の手榴弾はすべて赤く塗られていた)と連合軍兵士に揶揄されたそうです。
日本軍の主要手榴弾は、10年式、91式、97式、98式柄付、99式でした。98式柄付手榴弾以外はすべて同じ点火機構で、安全ピンを抜いてから先端の安全被帽を固いものにぶつけて撃針を叩き込み点火、投擲するというものでした。が、10年式および91式手榴弾は擲弾筒からの発射を考慮して点火時間が7秒と長く、中国戦線では敵兵に投げ返されることがあったため、91式と99式は手投用として4秒となりました。また、91式と99式はスピゴット式の小銃擲弾として発射することができました。
旧日本軍の手榴弾の特徴は、弾底に装薬筒を取り付けて擲弾筒から発射できる点です。特に、専用榴弾を持つ89式重擲弾筒は歩兵の簡易ポケット迫撃砲的な兵器として米軍からも注目されました(この辺は過去ログで何度か話題にしています)。
ブラック・タロン
- 蛇足&記憶モードながら・・・
日露戦争で当初使用された「手投爆弾」は膠着しきった塹壕戦で身動き取れなくなった兵士たちが、
糧食の空き缶や空き瓶などに火薬を詰め導火線をつけたもので、
駄目もと?で相手方に投げ込んでみたところ、意外に効果があったので、
日露どちらからとも無く手製爆弾の投げ合いになったそうです。
で、これを見た欧州の観戦武官らの報告により、欧州各国での手榴弾の開発が始まったそうな。
まぐまぐマグロ
- 日露戦争が起源と言われるのは迫撃砲じゃなかったかな?爆薬放り込むのに花火の打ち上げ筒を使ったのが元になったとか。
tomo
- >ヨーロッパの軍隊の擲弾兵
これは当時のエリート兵科で現在の近衛部隊に系譜するものだそうです。
>いわゆる『防御型手榴弾』(安全な場所から投げることを前提とするため高威>力。ドイツ軍の柄付き手榴弾等が代表格)
逆です。柄付き手榴弾は他の手榴弾に比して炸薬量は多いですが破片による殺傷効果を持たないため2〜3m程の効果範囲しか持っていません、これは『攻撃型手榴弾』の代表格です。逆に破片による〜を持つため10〜15m程の効果範囲を持つ
英ミルズ手榴弾等は遮蔽物に隠れないと投擲者自身が危険なため『防御型手榴弾』と定義されています。
>ドイツ軍の手榴弾にはもう一つ点火機構があった
卵形手榴弾は柄付き手榴弾と同じ「摩擦点火方式」です。
>日露戦争の手榴弾、迫撃砲
これについては光人社NF文庫 公平入門が詳しいですが、その中から・・・。
日露戦争の旅順攻囲戦では、我が軍は対壕作業(塹壕掘りと想われる)で前進し、敵の私語が聞こえるところまでわずか数メートルに接近した。ここにいたって肉弾戦が展開されたが、多大の損害を受け、撃退されてしまった。そこでかんがえられたものが牛肉や鮭の空カンを利用し、これに火薬を詰めて緩燃導火索をつけた一種の手投げ爆薬で、これに点火して敵陣に投擲したところ、意外な効果を上げて旅順の攻撃に一進歩をきした。敵軍も使い手榴弾戦は戦場の花となった。そうです。
紅葉饅頭
- と、日露時の手投げ爆弾が手榴弾の起こりか? と言うのが設問ですね。
答えは“近代的手榴弾としてはYES”です。 日露戦争前に手榴弾が最後に盛大に使われたのはクリミヤ戦争(1853〜1856。赤十字の発足要因、ナイチンゲールが活躍)ですがそれ以降、空白の時間とでも呼べるかのように使用されなかったそうです。と言うことは現在に通じる手榴弾の元祖は我らが大日本帝国にある、と言うことが出来そうです。
紅葉饅頭
- 手榴弾
記憶モードですが、手投げ弾というのは紅葉饅頭さんが言うように一度廃れてしまったみたいですね。
考えてみれば敵前で爆弾の導火線に点火して投擲するなんて考えるだに大変そうです。(クリミア戦争の頃には、安全マッチの元祖みたいなものが既に発明されていたそうですが。)
目標も城壁や胸壁のようなもでのあれば、砲兵の直接射撃の方が効果的だったのかも知れません。
塹壕や低シルエットの銃眼付きトートカみたいな「投げ込みやすい」目標の出現もリバイバルに関係してるのではと勝手に推測してます。
迫撃砲
西欧では、それ以前にあった臼砲が発達したものと思っているのか、迫撃砲も臼砲もひっくるめてmortarと呼んでるみたいですね。
それまで似たような兵器が存在してたのが発達したという点では手榴弾と似てると言えるかも知れませんね。
SAW
- トーチカですね。
SAW
- >4.紅葉饅頭さんに補足。 よそ様のHPもなかなかおもしろいです。
独軍柄付き手榴弾も、アタッチメントで、『防御型手榴弾』となります。
http://feldbluse.hoops.livedoor.com/a-000b.html
お時間のある方は、ここもどうぞ。 英文 ”Grenade”専門HP。
http://pacificcoast.net/~dlynn/
>6.一度廃れてしまったみたいですね〜〜塹壕や低シルエットの銃眼付きトーチカみたいな「投げ込みやすい」
目標の出現もリバイバルに関係
まさにその通りです。 近代戦として手榴弾が出現した日露戦争の頃は、各国の小銃が飛躍的に性能UPした時代でした。
無煙火薬&連発銃の実用化。小銃弾形状・蛋形弾(円頭弾)から尖鋭弾への実用化による、有効射程の増加。
そして機関銃の実用化 等 歩兵火力が大幅に増加しました。(未だ歩兵砲は出現せず)
それに対し、手榴弾は、たかが投擲射程20mそこそこ、へたすれば自分達も被害を受けかねない物で、
WWIの塹壕戦が出現するまで中途半端な兵器としてしか、扱われなかったのです。
軌跡の発動機?誉
- いつもスレッドを長くして申し訳ありませんが・・・。
>それに対し、手榴弾は、たかが投擲射程20mそこそこ、へたすれば自分達も被>害を受けかねない物で、WWIの塹壕戦が出現するまで中途半端な兵器としてか、>扱われなかったのです。
昔流行った小銃擲弾そのものな英1747型フリントロック式騎兵銃用のカップ型発射機や現代におけるM79グレネード・ランチャーのような形状(砲身部はどちらかというと射石砲に類似)の擲弾発射機が、遅くとも16世紀半のドイツで製造されています。手榴弾の絶対的短所である“射程距離の短さ”を解決した現代でも有用な兵器とされるこれらの兵器はもちろん近世の戦場でも有効足り得たはずです。なのになぜそれらはさして使われず、手榴弾が日露戦争で、擲弾発射機が第二次大戦、ベトナム戦争まで復活を待つ身となったのでしょう?
ここまでいうと言い過ぎの感もありますが近世の横隊密集戦術ならマスケット銃より擲弾発射機の一斉射撃のほうが威力もあがりそうな気がします。
紅葉饅頭
- 紅葉饅頭様
>近代的手榴弾としてはYES”です。
南北戰爭の折りのヱクセレルシオや、ケチュームなどもあります。
また、日本ですと西南戰爭の折りに熊本籠城軍が、徳利に火藥を詰めて急造爆裂彈を作製して戰鬪に使用しております。
ひめみやきりん
- >9.紅葉饅頭先生にご返答致します。
その当時の火薬は何でしょうか? 黒色火薬です。 それなりの効果を出すには、それなりの量が必要です。
使ったらそれなりに煙もうもうでしょう。 黒色火薬は雨にも弱いし、防湿、防雨且つ、個々の兵の携帯性を考慮した
投擲用弾薬が当時の技術力で製造出来たのでしょうか? 安全・確実作動の信管の製造技術力が有ったのでしょうか?
発明化すれど量産出来たでしょうか? 産業革命や、各種精密工作機械の出現を待たねばなりません。
信管を付属する近代的な手榴弾(投擲火薬弾)という概念の物は、少なくとも中世の時代には製造困難でしょう。
〜?誉
- 手榴弾の火薬ネタってことでちょこっと。
手元の資料によれば、日露戦争で日本陸軍が使用した手榴弾や砲弾の多くには黒色火薬が充填されていたそうです。当時は弾殻の材質が低く、仮にピクリン酸を充填しても弾殻が砕けすぎて毀害力のある破片にならなかったからだとか。
ちなみに、10年式手榴弾以降の旧軍の手榴弾はTNTを充填していましたが、昭和13年頃以降に採用した手榴弾(98式柄付、99式)からはピクリン酸を充填するようになったそうです。
そーいえば、旧軍の手榴弾には、1式手投まる缶(青酸剤を充填。通称ちび)と陶器製の粗製手榴弾(名称不明。たまに『ちび』と混同される)があったことを書き忘れてました(笑)。まぁこの2つは本題にはあまり関係ないので余談ってことでっ。
ブラック・タロン
- >10
空白地帯と言う書き方には誤りがありました訂正します、と言いますかヱクセレルシオとかケチュームってなんですか? よろしければ教えてください。
ただ、近代手榴弾とは私としては主に第一次・第二次大戦以降で使われたもの(ミルズ式爆弾や柄付き手榴弾)を指しています。その元はやはり各国観戦武官が注視しその中で土砂を大量に宙に舞挙げた日露戦争のものがそうなるのではないか。と考えています。
>11
煙その他諸々はがんばれば何とかなりそうですが携帯性と安全性はキツイですね。
てか少し考えれば分かりましたね、すいません。やはりてき弾発射機はベトナムまで待たなきゃならない早すぎた技術だったんですね。
紅葉饅頭
- みなさん、どうもありがとうございます(笑)
旧日本軍がやはり「元祖」をつくったんですね〜。
小学校のころの学級日記のコラムかなにかがソースだったのですが
いまにして思うと、えらいことを書いてたんですね(汗)
プライベートライアンで、機関銃の隠蔽壕をつぶすのに
手榴弾を投げまくってましたが、相当数も投げ返されてました。
ああいうのに対する対策とかはどんなのがあったのでしょう?
すみません。教えてくださるとうれしいです!
yuu
- >13
近代的(あえてこう書く)な擲弾発射器は、一応旧日本陸軍の擲弾筒が最初と言っていいでしょうか。
第2次大戦当時、ドイツ、イギリス、アメリカでは歩兵小隊・分隊用に50〜60mm級の軽量迫撃砲を装備していましたが、日本軍の擲弾筒は歩兵用の手榴弾を発射できるという特徴を持っていました。戦後米軍が開発した40mmグレネード弾規格も擲弾筒にインスパイアされたと言われています。
これらについては過去ログを当たれば山ほど出てくるでしょう(笑)
>14
手榴弾を投げ返されることへの対策でしょうか?
真っ先に考えられるのは点火時間(投擲してから爆発するまでの時間)の短縮、つまり着弾後に敵兵が投げ返せない時数に設定するということです。長すぎれば当然投げ返されやすくなるし、逆に短すぎれば着弾する前に空中で爆発してしまい投げた方がケガをするでしょう。
が、これは近代的手榴弾が完成の域に達した段階ですでに行き当たっている話で、大部分の手榴弾は大体4秒前後に設定されています。
点火時間が遅い手榴弾と言えば、旧陸軍の10年式&91式手榴弾とイギリスのミルス手榴弾が挙げられるでしょうか。先の自分のレスでも少し触れてますが、10年式&91式手榴弾は擲弾筒から発射することを考慮して点火時間を7秒に設定していました。また、ミルス手榴弾は最初点火時間5秒でしたが、その後ライフル装着のグレネード発射器から発射するため7秒に変更されました(両者とも発射されてから雷管が作動するので発射前自爆の危険性は低いが、時間が短いと目標に届く前に爆発してしまう)。しかし、このために両者は手投げ戦では敵兵に投げ返されることが少なくなく、以降、旧軍の新型手榴弾(97式、98式柄付、99式)はすべて点火時間4秒となり(当然手投げ専用)、ミルス手榴弾も点火時間4秒のものが開発されました。
点火時間以外に思い付く投げ返し対策としては、着弾と同時に爆発する触発信管を使うくらいしか思い付きませんが、取り扱いの安全性や作動の確実性(上で挙げたイタリア軍手榴弾がいい例)等の問題からか、現在の手榴弾で触発信管付きというものは聞きません。
ブラック・タロン
- 紅葉饅頭様
>ヱクセレルシオとかケチュームってなんですか?
ヱクセレルシオは爆藥を納めた鑄鐵製の球體の周圍に、發火用の雷管利用の著發信管を取り付けた手榴彈であり、誤爆の多さから使用が控へられました。
ケチュームは茄子状の鑄鐵製の本體に爆藥を納めたもので、頭部に著發信管があります。
>近代手榴弾とは私としては主に第一次・第二次大戦以降
>で使われたものを指しています。
それ以前に、歐州大戰で多用された英國一號手榴彈の原形のマルチンハル手榴彈が、日露戰爭時には輸入されて旅順戰で使用されています。
ひめみやきりん
- 続・いつもレスを(パンッ)
「プライベートライアン」の佳境、ミラー大尉もライアン二等兵も弾薬が尽き果てたときに使用した迫撃砲弾なんかは代わりにならないですかね。見てるとなんかピンっぽいものを抜く、ケツをぶったたく、投げる、爆発。みたいな安全仕様なながれで着発信管も投擲専用にすれば一個ですし下向くように羽らしきものがついてればそこで着発します。 ミルスや旧軍もブラックタロンさんのレスのごとく雷管ついてますからアリかと思いますが・・・、今現在どこも使ってないところを見ると無理ですかね。
紅葉饅頭