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今回は日本のSMGについて質問させていただきます。 1,大正9年7月陸軍技術本部兵器研究方針によって造られたSMGは「試製自動短銃」と言う名称になっていますが、日本に於いてSMGの最初期の区分名は短機関銃でも機関短銃でもなく、自動短銃であったと言うことでしょうか? 2,昭和10年8月 3,南部式、ベルグマン、MP38各SMGは陸軍の試験の結果700メートルまで板的貫通、防寒被服貫通などしたそうですが、本当にそんから研究の始まったSMG二案のうち第一案は6,5ミリの特殊実包を使用するそうですがこれはどのような物か教えて下さい。なことが可能か、それ以前に拳銃弾が700メートルも飛ぶのか?(MP38も入っていることからタンジェント無しでこれをやってのけたことになりますが) 紅葉饅頭 |
- 訂正(汗)
2,昭和11年4月から審査が開始された2案の試作SMGのうちの第一案に使用された6,5ミリの特殊実包とはどのような物か、またそれを使用するSMGはどのような物であったのでしょうか?
3,タンジェント無しで〜タンジェント・サイトによる弾道の補正なしで(MP38は単純な100,200メートルの起倒切り替え式サイトですから)
紅葉饅頭
- 再び訂正(滝汗)
3,〜 から研究〜下さい。 〜は無視してください。
すいません。
紅葉饅頭
- えーと、回答の前に質問。陸軍が最初の国産サブマシンガンの試作銃2挺を完成させたのは昭和5年頃だったと思うのですが・・・
この時開発された2挺のうち、第1案の試作サブマシンガンは、マガジンをグリップ下部から装填する形式でタンジェント・サイトを装備、第2案は左側面からマガジンを装填する形式だったそうです。
また、この試作では複数の口径の弾薬がテストされましたが、まず6.5mm弾、続いて7mm南部弾、さらに7.7mm弾(ストレート薬莢らしい)が試されたがいずれも満足する性能が出ず、8mm南部弾に落ち着いたということです。この時試用された6.5mm弾と7.7mm弾の詳細は不明です。一部の資料本では6.5mm弾=.25ACP、7.7mm弾=.32ACPと推測しているようですが、根拠はありません。ちなみに、.25ACP、.32ACPとも当時の日本国内には拳銃弾として流通しており、軍でも愛用していた将校が少なくなかったので、件のサブマシンガン試作に供された可能性はあります。
陸軍はこの2案のうち第2案を採用しましたが、その結論が出たのは昭和12年になってからです。すでにこの段階で8mm南部弾を使用することが決まっていたようです。
質問で書かれている、昭和11年4月から審査が開始された2案云々の話については聞いたことがありません。
旧日本陸軍のサブマシンガン開発については資料が乏しいため、わしの方が認識不足かもしれません(;^_^A
ブラック・タロン
- >質問
書き損じと言うか、またやってしまいました、すいません。
大正9年の方針によって昭和2年に完成したSMGでした。で、ブラック・タロン様が仰せの第一案型が私の言う「試製自動短銃」に近い特徴を備えています。MASモデル1938様の形状、ただストックは下に垂れ下がったとも見える奇妙な形、タンジェント・サイトで銃身後座式の作動、詳細は不明ですが発射速度が高い(約1200発/分)と言う性能を備えています。これの欠点(高発射レートからくる命中率悪・構造複雑で脆弱etc)を改修した第二次試作銃が昭和5年に制作されましたが、なぜか弾数が50発から18発に減っています(笑)
この後昭和10年から機関短銃の開発が始まった、と自分の持っている本に書いてありました。
紅葉饅頭
- 紅葉饅頭君 >4.自分の持っている本に書いてありました。
その本は、佐山二郎 著 ”小銃・拳銃・機関銃入門” あたりでしょう。
なかなか貴重な本ですが、内容を読み取るには、それなりの読解力が必要です。
それでは、以下回答します。
A1.日本での最初の呼び名は、その通り ”自動短銃”です。
”自動連発式で、小銃に較べて短い銃”が由来です。 この場合短銃=拳銃ではありません。
A2.6.5ミリの特殊実包−−新規設計の弾薬です。
上記の本にて、”30発弾倉を含まず、銃重量が3kg” ”十分な威力を持つ”の記載点に注意して下さい。
拳銃弾の威力には、懐疑的で、後のアサルトライフル(突撃銃)=短小弾、的な物を検討しています。
当時の帝国陸軍は、サブマシンガンの用法を確立していないのです。 以前のAnsQに回答した様に、
”自動短銃”は、マシンカービン(騎銃)的用法{拳銃より遠射可能)を模索していました。
しかし、当時の日本の技術力と情勢(開発時間と予算)では、新思想+新弾薬での小火器の実用化は不可能でした。
既に確立されている、南部8mm実包を採用し、100式機関短銃へと進んで行きました。
A3.上記の本にて、”シュマイザー”を比較検討した事は、記載されていますが、
これが”MP38”だとは書いてません。 独にて1938年(昭和13年)開発・制定された最新の銃を、
その前の昭和10年頃に日本が入手して、試射出来るはずが有りません。
だいたい、日独伊三国協定締結(昭和15年・1940年)前ですよ。
では、この銃は何か! 比較された銃は、紅葉饅頭君の好きな”ベルグマンMP28/II”の9mmParaです。
この銃の設計者は、かの”Hugo Schmeisser”です。
当時、日本では、”ベルグマン機関短銃”を ”べ式”として呼称していますが、この”MP28/II”の事を
設計者名より、”シュマイゼル機関短銃”とも称していました。
この銃はちゃんと、タンジェントリア・サイトを備わっている事は、御存知ですね。
又、拳銃弾は、最大飛距離としては、1300〜1500mぐらい飛翔します。
ただ、700mの射距離を狙って当たるかといえば、不可能です。
この実験や付属のタンジェントリア・サイトの射目盛りは、この距離では、
射弾をバラマク程度(威嚇や多少の面制圧を期待)と考えて下さい。
以上、長文失礼しました。
軌跡の発動機?誉
- 回答ありがとうございます。
>5 その本は、佐山二郎 著 ”小銃・拳銃・機関銃入門” あたりでしょう。
その通りです(笑)前回の質問の時教えていただいたので読んでみました。とてもいい本で大変参考になりました! ありがとうございます。
A2,<”自動短銃”は、マシンカービン(騎銃)的用法{拳銃より遠射可能)を模索していました。
そうだったんですか、わたしはてっきり「日本の銃は意外と先進的」→「SMGもばらまきと思ってる」→「だけどやっぱり日本だから無茶な距離で試射する」と思っていました(笑)
<後のアサルトライフル(突撃銃)=短小弾、的な物を検討しています。
やはりそうですか。6,5ミリ=,25口径で考えて25ACPじゃどう考えてもションベン弾だし,22LRだって不安が残る。残された道としては今銃器界で主力を張ってる突撃銃弾様のものだけだがまさか・・・。と思っていましたがこれが成功していればゆくゆく日本は世界初のA・ライフル開発国に・・・って無理ですね。7,7ミリに口径UPをやってしっまた国ですから。
A3,<では、この銃は何か!
私も少しMP38では早くないか?と思いましたがあの本に「昭和10年8月に実施された各種機関短銃試験では、ベルグマンに変わりシュマイザーが〜」と言う記述があります。MP−18・28とは別物ではないでしょうか?
<ただ、700mの射距離を狙って当たるかといえば、不可能です。
私もそう思いましたが、南部式機関短銃が500メートルで55パーセントの命中力と気色悪いほどよい結果を出しています。これは何か特殊な発射用具を使用したのでしょうか?
ただあの本比較対照がないので何とも言えないのですが、私のように読解力がない者が読むと日本の銃はめちゃくちゃ高性能、と読めてしまいますね。難しい本です。
紅葉饅頭
- > 私も少しMP38では早くないか?と思いましたがあの本に「昭和10年8月に実施された各種機関短銃試験では、ベルグマン
> に変わりシュマイザーが〜」と言う記述があります。MP−18・28とは別物ではないでしょうか?
5の誉さんのレスでは、MP-28/IIを『シュマイゼル』と呼んでいたとあります。一方、MP-28/IIの改良前モデルであるSIG M1920(MP-18/I)は『ベルグマン』と呼んでいました。
となると、両者を『ベルグマン』『シュマイザー』と呼び方で区別していたとは考えられませんか?
もっとも、両者は基本的に同じ設計の銃ですけどね(苦笑)←セレクティブ・ファイアの有無とリコイル・スプリングの巻径等の違いだけ
そーいえば、旧陸軍ではドイツからMP-34(ステアーM1934原型)を試験購入したと聞きます。これは何と呼ばれたんでしょうね?
ブラック・タロン
- 可能性的にはそれしかないですが、切り替え装置以外見た目もほぼ同じなMP−18/IとMP−28/IIに別の渾名を振るでしょうか? どっちの渾名もともに逆のSMGにも適用が効きますしかえって混乱しそうですが。
紅葉饅頭
- ブラック・タロン様
>これは何と呼ばれたんでしょうね?
制式は「獨國一九三四年式機關短銃」ですが、国軍では一般に「ベ式」と呼稱していました。
ひめみやきりん
- >7.ブラック・タロンさん、フォローThank youです。
私の説明不足で、ベルグマン研究家の紅葉饅頭先生に合格点を頂けなかったのでしょう。
御教示するのは恐れ多いですが、以下の御説明を致します。
世間一般で、MP18とMP28の両方に対して、”Bergman”の呼称を付けるのは、如何なものでしょうか?
・MP18は、1915年頃ドイツ陸軍兵器廠の指示で、”Bergman”社で開発が進められ、
社外の兵器設計家”Hugo Schmeisser”の設計で1918年に完成、直ちに”Bergman”社で、
スネール弾倉基本型のみ生産されました。
そして、WWIの敗戦→ベルサイユ条約により生産中止。以後、主にスイス”SIG”社で改良型が生産されました。
その後、”Bergman”社は、この銃にほとんど係わりを持っていません。
・MP28は、1928年ドイツ警察用として、”C.G. Haenel ”社で開発・生産されました。(非軍用なのでOK)
それ以前のMP18の改良型の設計、及びこのMP28の設計も、”Hugo Schmeisser”です。
その当時、”Hugo Schmeisser”は、”C.G. Haenel ”社の総支配人に就任しておりました。
MP18の改良型、及びMP28は、”C.G. Haenel ”社の開発製品と言えます。
MP28は、”Bergman”社では、全く生産されていないのです。
一般に、小火器の名称は設計者の名を付る慣例ですが、その際、MP18は、
”Hugo Schmeisser”が社外の人間だった為か?社名=社主”Bergman”の名称が付けられてしまいました。
よって、海外の小火器専門書では、
・MP18に対しては”Bergman”の呼称を付けますが、
・MP28に対しては、慣例に従い、設計者の名を取り、 ”Schmeisser”の呼称を付けています。
MP18とMP28の両方を”Bergman”と呼称している事は、MP28が、
”Bergman”社製ではない真実を知らないのです。 単にベルグマン方式”程度の言い方でしかありません。
紅葉饅頭先生!!
他に、”Hugo Schmeisser”が係わったマシンピストルは、何が有るかを、調べてみて下さい。
>7.MP-34(ステアーM1934原型)〜何と呼ばれたんでしょうね?
>9.制式は「獨國一九三四年式機關短銃」ですが、国軍では一般に「ベ式」
一般に「ベ式」の言い方も、否定出来ませんが、手元の資料(銅金義一著)では、
銃器専門家内では、
”ゾロトーン機関短銃”と称していた様です。
実際の製造メーカー”ステアー(シュタイアー)” の名でなく、元々の基本設計会社、
スイス”Solothurn”社の名より、呼称していた様です。
長文、失礼しました。
〜?誉
- >10
誉さん解説ありがとうございます。
かのMP38/40の警察&輸出用バリエーションとして作られたMP41が、ヒューゴ・シュマイザーによって設計されたといわれるのも決してウソとは言えないわけですね(笑)
<補足:MP41はMP40に木製ストックを取り付けたもので、MP28/IIに似たクロス・ボルト式セレクターを備えてセレクティブ・ファイア化している。ちなみに開発はC.G.ハーネル社>
なお、セオドーア・ベルグマン社では、1935年にMP35/Iを開発していますが、この銃は同社の創始者であるセオドーア・E・ベルグマンによる設計で、設計的にMP18/Iとの繋がりはありません。
戦前ドイツのサブマシンガン開発には必ず名前が出てくるヒューゴ・シュマイザーですが、調べてみると彼が直接開発に関わったサブマシンガンは決して多くないことがわかります。
ちょっと本題からズレました(^^ゞ
ブラック・タロン
- 軌跡の発動機? 誉様、ブラックタロン様、私の連続質問に最後までまじめに答え続けて戴いてありがとうございました。とても勉強になりました。提案いただいたヒューゴ・シュマイサーやC,G,ハーネル、その他その頃のこれらSMGにまつわる歴史、相関について調査してみようと思います。
また、軌跡の発動機? 誉様しつこいまでに質問を繰り返して申し訳有りませんでした、不愉快な思いをさせてしまいましたら申し訳有りません。
紅葉饅頭