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皆様はじめまして。 日本陸軍の十一年式以外の軽機関銃には全て着剣機構が備わっていますが、これは一体どんな意図で装備されたものなのでしょうか? 世間に出回っている文献にはこれを取り上げて旧軍の精神主義ここに極まれりといった批評をよく目にしますが、戦間期の陸軍と技術者がそれほど常軌を逸していたとはとても思えません。何か実用的な目的があったものと愚考するのですがどうでしょうか。 ご教授お願いします。 バッテン |
- 11年式が伏撃専用と言える設計となっているのに対し、96式・99式はスリングとキャリングハンドルを使った「腰溜め」姿勢での立射が可能でした。アメリカのBARが当初想定していたように、必要とあらば歩兵と共に突撃するアサルトライフル的(と言うには重いが)運用を考えていたようです。突撃する以上室内や塹壕内での乱戦白兵戦が想定されるわけで(んな所に軽機なんぞ持ち込むのが間違いという気もしますが)、銃剣は必要と判断されたのでしょう。
ささき
- 完璧に記憶頼みの回答で、間違っていたら、本当にすいません。
以前、別の軍事関係のHPの掲示板で、この話題が出たように思い、先程、確
認したところ、過去ログに見当たらず、記憶違いかも、と不安ですが。着剣機構
を備えることにより、銃口部が重くなり、軽機関銃の命中率が向上するというの
が、着剣機構を備える理由だそうだそうです。実際、日本陸軍の軽機関銃を実弾
射撃したところ、着剣機構を取り除く改造をした軽機関銃の方が、命中率が低下
したという体験リポートもあるそうです。
山家
- 軽機関銃手は突撃時には歩兵小隊と一緒に突っ込まねばなりません。
突っ込んでいった先で敵の逆襲阻止のための火力支援をやらなくてはならないからです。突撃して敵の塹壕を奪っても、小銃手しかいないのでは敵の逆襲を阻止しきれません。
第一次大戦の戦訓からすればごくあたりまえのことで、ことさら精神主義云々というものではないです。
ささきさんご指摘のBARはもちろんのこと、英軍のブレンやルイス、フランスのシャテルロウ、ドイツ軍の分隊配備のMG34、ソ連軍のDPといった軽機も突撃時には一緒についていきます。
歩兵大隊以下での突撃時の支援射撃は、歩兵砲(迫撃砲)と重機の仕事なのです。小隊の軽機は基本的には防御兵器なのですね。
このことを知っていれば、日本陸軍が軽機に着剣装備をしているのはそれほどおかしなことではないとわかると思います。
軽機関銃手が白兵戦をやる機会というのは非常の場合ではなく、しばしば当然起こり得るものであり、着剣装置がなくては丸腰同然となってしまうのです。(ちなみに、ドイツ軍は機関銃手に拳銃を支給しています)
また、日本陸軍の歩兵操典では、原則として夜襲時には発砲せずに白兵で勝負をつけることとされていた点も重要なポイントでしょう。これも第一次大戦および上海事変の戦訓を織り込んだ結果であって、決して精神主義に傾いているというわけではないのですが、第二次大戦型の戦場ではあまり実情に合致していなかったようではあります。
そんなこんなでこの教則は実戦ではほとんど守られなかったといわれますが、兵器開発時の要求には当然これは考慮されなければなりません。
夜襲突撃時にも当然軽機関銃手は小隊についていかなければなりませんが、教科書どおりに夜襲するのであれば、着剣装置がなくては軽機関銃手は敵の塹壕を確保するまでは遊んでいるしかないことになります(笑
まなかじ
- >山家さま
ささきさまが書き込まれた段階で、ここでも他所と同じような回答しか得られないと早合点して他のサイトをあちこち巡礼したところ、同様に銃口部の安定のためた記述しているサイトがありました。
そこによると、最初から銃口付近を重く作ると他に不都合を生じる為、全兵士の個人装備であった銃剣を釣り合い重り代わりに取り付けた、とのことです。
また同じサイトで米国で実際に九六式軽機関銃を試射した大学教授の実験結果報告が掲載されておりそれに基づくと、何もナシで75点が着剣時85点に上昇したそうです。実戦でこの10点差は重要なのでしょうね。
ちなみに白兵戦時は銃剣を手に持って戦うそうです。
書き込みくださったささきさま・山家さま・まなかじさま、ありがとうございました。
バッテン
- ちなみに、99式軽機関銃は銃口部にラッパ型の消炎器を備えています。消炎器が付いた状態で着剣すると、銃剣はほとんど切っ先しか出ないそうです。この点を見ると、99式軽機は夜襲の突撃に着剣して参加するよりは、射撃支援を重視したものと解釈することもできます。99式軽機のストック後端に付いているモノポッド(単脚)も夜間射撃を考慮した装備のようです。
ブラック・タロン
- 山家さまの仰られている体験レポートというのは、ひょっとするとhttp://www.japaneseweapons.com/kikanjyu/ex01/index.htm
↑こちらのサイトでしょうか。私もここで始めてその話を聞きましたがとても合理的ですね。古い型の機関銃で消炎器や照星がやけに大きなものがありますがこのためだったのでしょう。三野という人物が書き散らしていますが、我が国の兵器技術者が理性を失っていた証拠はありませんね。
最後になりましたがブラック・タロンさまご返答ありがとうございました。
バッテン
- 私見、
1.着剣は「銃口部の安定のため」
真意を得た物でしたら、諸外国の軽機も追従します。 結果が事実としても、まったくの偶然の産物と考えます。
機関銃の射撃試験は、射距離300m以上で実施しなければ意味が無いですね。
機銃のゼロインもそういう距離で行います。 戦闘時、命中精度向上の為、射手がその場で銃先端に、
銃剣或いはダミーウエイトをいちいち装着しなければならない思想で、96式後継機(99式、試制1式)まで、
本気で開発−製造するとは思いませんが! 少なくとも、機銃設計者にとっては、屈辱ですよ。
単に、”他に弊害を及ぼさず取り付く事が可能なら、銃剣止金具を付けましょう。” 程度と思いますが?!
2.>5. 99式軽機の ”消炎器” ”ストック後端単脚”の件。
・消炎器 −−−7.7mm弾が、6.5mm弾より強装になった為、発射炎が増加した対策です。
・ストック後端単脚−−−”後脚”(英:Butt Handle)は夜襲にこだわらない他国の軽機にも
それなりに付いています。 射撃方向転換性容易の為。
その代わり日本の軽機は、肩に乗せる為の”床尾上板”(英:Butt Strap)が付いていません。
以上 失礼しました。
軌跡の発動機?誉
- >5
夜戦対応という話が本当だとしても「夜間射撃の弾はうわずる」というのを防ぐ、ということでしょう。匍匐前進してくる敵兵の足を確実に止めることが目的かと。
なんども言いますが、他に支援火器がないという非常事態でなければ、昼だろうと夜だろうと軽機を後方に控置して突撃前進を発起することはありません。
>6
兵器開発というものがどのような道筋をたどって行われるものなのか、もう少し調べてみるとよろしいかと思います。
挙げられているサイトの記述は、原因と結果の因果関係をまるで逆転させてしまっているように思えます。
実際の白兵戦で軽機で銃剣格闘する場面がなかったというのはまさにそのとおりで、高価で壊れやすく、しかもリーチが小銃に比べて短いのに、銃の重さは小銃の倍近いのですから。
しかし、だからといって軽機での銃剣格闘を考えていなかったというわけではない、ということを言いたいのです。そして、それにはやや短絡的とはいえまっとうで合理的な理由があるのだということなのです。
機銃の取説より、昭和15年版の歩兵操典を読みましょう。
この操典は九六式軽機の配備を前提にして昭和12年版歩兵操典草案を修正したものです。
軽機は、突撃時には突っ込むものなのです。
分隊単位での躍進攻撃(いわゆる浸透戦術)の場合は敵陣深く重機の支援なしに入り込みますから主力支援火器としての役目も果たしますけれども。
まなかじ