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簡素なサブマシンガンの代名詞STEN Gunですが、何故単/連切り替え機構が付いているのでしょうか? 先進国独逸・伊太利亜においては1918年の時点で突撃戦に対応するには余計な機構は不必要と見なされ、連射のみとなっており、プレスとはいえ少々こった作りのMP38ですら、フルオートオンリーとなっています。まさか一部の特殊部隊のために云万の兵士が持つ銃を複雑にするはずもなく、後にこの銃を参考に設計されたM3グリースガンもこの機構は省かれており、この機構は第二次大戦中のサブマシンガンでかなり浮いた印象を受けます。ましてやダンケルク後の切迫した状況、設計者、軍の検査官、いくらでもつっこめたはずですやはり女王陛下の「ギャングの武器を英国は〜」ってのが原因でサブマシンガンの運用に錯誤があったのでしょうか? 紅葉饅頭 |
- 紅葉饅頭さん、2002年はアグレッシブですね!
さて、英国では昔、サブマシンガンの事を何と呼んでいたでしょうか?
1950年代まで、”Machine Carbine”と呼んでいました。 これで、回答が出たも同然です。
当初英国では、この類の銃は”近接戦闘に於ける多弾発射”の他に、下記2つの点で、単発射撃時
”拳銃より遠射が可能なカービン銃”的使用方法も考えていました。
1.拳銃弾を使用しつつも、長銃身によって得られる拳銃より高初速弾(9mmParaで約390m/s前後)
による低伸弾道。
2.銃床を備え、両手保持&適度な重量による、拳銃とは段違いの安定射撃が可能。
この用兵思想が、ランチェスターから戦後のスターリング・マシンガンまで、続いたのです。
(ドイツでも、この思想は、モーゼルミリタリーのカービンタイプで見られます。)
結果として、後者の使用方法は、”オープンボルト・ファイア方式&簡易的照準器””中途半端な弾威力”の銃では、
それほどの利便性が現われなかった事は、紅葉饅頭さんが述べている通り各国のサブマシンガンの発展を見れば明らかです。
(もっとも、戦後の中京軍は、PPShやそのコピーで 同様な運用を考えていた様です。)
しかしながら、戦後、H&KのMP5による、クローズドボルト・ファイア&ちょっと贅沢な照準器により、
ポリス(警察)レベルに於ける、カービン銃的運用が復活して来た事は御存知でしょう。
(他社のサブマシンガンも ちらほらその様なタイプが出て来ています。)
ちなみに、英国に於ける 銃本体の単・連セレクターの表記は、
R:Repetition −−−単発
A:Automatic −−−連発 となっています。
軌跡の発動機?誉
- ありがとうございました。
>、”Machine Carbine”
そういえば彼の地ではそう呼ばれていましたね。いままで少しかっこいいですがなんかしっくりこない名称だなと思っていましたが、この名称・思想の具現化した物の一つがSTEN GUNだってのですね。だとすると、ダンケルクでの辛酸をなめずかつ英国が自力でサブマシンガンの魅力に気づいていたら、百式やM43SMGのような物に恐怖の(笑)英国テイストをつけてしまったトンデモサブマシンガンができあがっていたかも知れませんね、(ステンをそう思う方もいるでしょうが)と考えている内に思ったのですが、百式にはロングバレルとはいえ英国と違いフルオート機能しか付いていません。と言うことは日本軍はサブマシンガンとはどのように使うべき物であるかをしっかりと理解し、その上で大量配備を渋ったという事でしょうか?変な追加質問になりますがお願いします。
紅葉饅頭
- のべつまくなしタマをバラまく機関短銃が貧乏陸軍から敬遠されていた、というのが定説ですね。
居眠り将軍
- 居眠り様、言葉がたりなかったです、すみません。其処は存じていますがその課程で、
1,独逸、伊太利亜、フィンランドのようにサブマシンガンとは近接制圧兵器。狙 撃なんてライフルでまかなう物だ!派
2,イギリスの様にマシンカービンとは近接制圧、及び騎兵銃としての狙撃任務の 掛け持ち。派
二式や百式が開発された時、陸軍の兵器担当局はこれらをどちらよりの目で見ていたか、と言うことが分からないのです、試作(仕様書)の時点で、弾惜しみでどうしても選択肢2を迎合し切り替え装置を付けろ、狙撃も出来るようにしろ。と命令しそうな陸軍の体質と違い、形状等原始的な部分が多々見られますが百式は連射のみです。と言うことは日本軍は機関短銃の利用法をしかと理解し、その上で居眠り様が仰せの理由で(みんなビンボーなのが悪いんだ(泣))機関短銃を歩兵部隊の配備からはずしたのか。と言うことなんです。結果として本格配備はされなかった日本の機関短銃ですが、日本の機関短銃感がどのような物であったか、非常に気になるところであります。長くなり失礼しました。
紅葉饅頭
- 1.帝国陸軍がこの様な銃を大量配備しなかった理由は、”居眠り将軍”さんが的確にレスしてくれました。
一般兵に、短機関銃に限らず、自動小銃、などの自動連発銃を持たせた場合の弾薬消費量を、
WWI等の戦訓より推算すると膨大な消費量となり、当時の日本の弾薬製造設備では賄いきれないのが明らかでした。
そして、その当時の仮想戦場(仮想敵国)は、中国大陸或いはシベリアとしていた事も短機関銃を、
不要とした理由と思います。
(見渡す様な広大な戦場で、連射時たかが100m前後の有効射程しかない銃を、主要兵器には採用できません。)
2. >4.に対してのレス
その辺の開発過程の話は、”佐山二郎”氏の著書 「小銃・拳銃・機関銃入門」を読まれれば理解出来る事と思います。
(但し、作動を反動利用式と誤記。正解は砲底圧利用式)
本書によれば−−−試作時は、単・連両方の機能と数百mの有効射程を要求し、実際に数百m射距離に於ける、
命中試験、威力(貫通力)試験等、独ベルグマン単機関銃と比較実験をしています。
しかし、使用弾が8mm南部という、軍用としては、やや弱装弾の遠射限界をさとり、
結果として連発=近接戦闘のみの運用銃としたのでしょう。
つまり,帝国陸軍も当初は英国的運用を考えており、その名残りが100式初期型のタンジェントサイト
(確か目盛上限600mぐらい)や2脚を持つタイプが存在する事に現われていると思います。
3.ところで、紅葉饅頭さんは、独・伊・芬蘭のサブマシンガンが初めから近接戦闘用のフルオート機構のみだった様に
お考えですが、それは早合点でしょう。
例えば、独の各種サブマシンガン MP28/II,MP34,MP35,エルマEMP,MP38の原型MP36,
そしてMP41 等は、ちゃんと、セミオート機構も備わっています。
この理由は警察用途も考慮した物。と考えられます。 MP38・40は、陸軍が採用するにあたって、
独自の運用思想より近接戦闘用のフルオート機構のみに簡略した。と言えましょう。
又、WWII戦後の独・国境警備隊用サブマシンガントライアルでは、セミオート機能も要求しており、
各社のトライアル供試銃はフル・セミ両機能を持っています。
伊・芬蘭のサブマシンガンについては、御自分で調べてみて下さい。
以上、長文失礼しました。
〜?誉
- ↑読み返したら、誤字がありますね。
・ベルグマン単機関銃→〜短機関銃。
・砲底圧利用式→包底圧利用式。
他にも誤字・意味不明あったらゴメンです。
〜?誉
- 完全ゴミレスです。
最近の紅葉さんの質問&レスは私もさじを投げるような高度な内容であり、精進が足りないと反省することしきりです。新しい年を迎えるに当たり、より一層精進して出直してきます。
epitaph
- 軌跡の発動機?誉様、毎度ながら小生の質問に的確かつ詳細なご返答を戴きありがとうございます。前述の1型思想(国名は抜いてください)を知っていたからこそ、2型思想が名残惜しいが8ミリではどうにもならない、あまり好ましくないが1型運用法で行こう、そして妥協とは言え構造の簡略化を目指した陸軍の姿勢はそれなりに評価できるのではないか、と思います。ただ現在の感想なので誉様のご紹介くだされた本を読んで間逆になるかも知れませんが。
epitaph様 お褒めにあずかり光栄至極です。しかし、私はほぼ戦前の小火器、しかもサブマシンガンの事しか見ていませんし、勉強さぼって本読みまくっている不良高校生ですので、ほめられると恥ずかしいです(汗)
紅葉饅頭