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920 初歩的な質問ですが、善戦むなしく撤退、というとき戦場に遺棄された大砲の処理についてです。

<尾栓に穴をあける><駐退器をこわす>等、よくいわれますが、あれほど堅固な構造の
大砲を、そもそもどうやって破壊するか、詳細にのべる自身がありません。

ゆえに質問
<Q1>いわゆる駐退器つきの大砲の破壊方法について?
<Q2>ナポレオン時代の青銅砲の破壊方法について
(※「ベントを抜く」などとよくいいますが、取り外し可能で、よく発射の圧力に耐えられますよね?)

以上、愚問ながらご教示下されば幸いです


日露之朋友

  1. 1.ごく簡単な方法として「閉鎖器を外す」と言う方法があります。

    2.全てでは有りませんが火縄銃の様に砲尾がネジになっている物であれば、
      それを外すと言う手が有ります。

    ここからは推定です。
    油圧式の駐退器であれば油を抜く?
    砲身に信管の生きた弾を詰める?
    とにかく爆破する?

    詳しい方もしくは実地経験の有る方、正確な所を御願いします。



    だーくまたー

  2. Q1については、ダークマター氏のおっしゃられる通りだと思います。
    Q2については、「ベント」と言うものを知らないので推測になりますが、「vent」で、タッチホールの部分の一部品だと思います。先込めの大砲では、発射時にガスの一部がタッチホールからも噴出します。このガスにより、タッチホールはだんだん磨耗し、穴が大きくなります。すると、噴出ガスはますます多くなり、結果、弾丸の威力が落ちます。これを防ぐため、タッチホール部分を、はめ込み式で交換可能にして、穴が大きくなったら交換していたようです。これを外せば、実質的に撃てなったと思われます。また、この部分を「ブシュ」とも言うようですが、裏は取れていません。 
     その他の青銅砲の破壊方法としては、砲耳を破壊したり、超強装弾で爆破したりというのもあったようです。
     以上、長々と推測でスミマセン。希フォロー。
    小石川

  3. 米軍が捕獲したキングタイガーを試験走行している映像を見ましたが、砲身がラッパ状に裂けていました。主砲が裂けたから放棄されたのか、放棄する際に乗員が主砲を破壊したのかは不明ですが、後者なのではないかと思っています。一体どうやったのかは不明…。
    ささき

  4. 「砲弾を前方から逆さに押し込む」というのもあります。
    Jabo

  5. 照準器を外して埋めるというのは、やはり処分の一つなのでしょうか?
    小石川

  6.  外した照準器を壊すだけでも一応使用不能にはなりますね。
    居眠り将軍

  7. >>1-6
    みなさま。ご教示ありがとうございます。

    たまたまナポレオン時代から日露の前装から後装にかけての大砲に興味をもちました。
    >>2氏のおっしゃる通り、まだ、大砲の各部構造名称を把握してないので(^^:;)
    >>1氏もふくめて、混乱させてしまいました。
    申し訳無くも、非常に参考になりました。

    たとえばナポレオン時代、あるいは203高地の接戦で、砲兵陣地が敵に蹂躙されたとき、
    砲兵の装備で「とっさに可能な」砲の破壊法とは?
    ・・・とおもったら、夜も眠れなくなり、質問してしまいました
    日露之朋友

  8. >7
    赤軍の砲兵将校用教科書によると、閉鎖機を外して処分するようです
    ただし、現場指揮官の判断で破壊処分は出来ない事になっています
    指揮官は上級司令部に連絡がつく限り、その判断を仰がないといけない事になっており
    基本的には砲兵連隊司令部の許可が必要となっています

    つまり最前線で歩兵の突撃を喰らった場合
    速攻で処分するのではなく、持ち場を死守して直接照準射撃と気合の肉弾白兵戦を行いつつ伝令を走らせる事が求められているのです
    当然ですが、勝手に転進することも許されていません
    まあ、何処でも基本的にはそうなんだろうけど
    連隊司令部にまで上げないと許可が下りないってのは大変だったろうなぁ

    これが独ソ戦初期に大量の鹵獲砲を出した遠因かも

    SUDO

  9. >8
    回答ありがとうございます。
    ちょうど今、奉天会戦だかで日本軍が鹵獲した、大量のロシア軍野砲の写真をみてたところです。

    >伝令をだして本部にうかがいをたてる
    帝政ロシア軍の硬直した作戦指導・・・
    と僕などは素人考えで一瞬、批判してしまいそうですが、「拠点維持=死守」が本来ですし、
    そう簡単に「武器破壊」を明文化できるものでもないでしょうね・・・。


    それにしても無線、あるいは野戦電話のない時代の戦争というのは、難しいなぁ。
    日露之朋友

  10. >9
    いやあ、これ昭和一桁ぐらいの頃のソ連赤軍の教科書です
    当然ですが、無線も電話もあります>砲兵は電話が多いようですが
    問題点は電話網にあり、最前線の砲兵拠点と連隊司令部は直通ラインが無いのです

    正確には
    砲(小隊)→中隊司令部は電話乃至伝令網が多重にあり
    中隊→大隊司令部も、まあなんとかなってるのですが
    大隊司令部→連隊司令部も、普通なら問題になるような事は有りませんが
    ある意味当然であり、当たり前なのですが
    最前線の小隊や中隊から連隊へ「お伺い」が必要なのに
    その直通手段が無いのです・・・

    突撃を受けながら中隊長に状況報告を入れ
    中隊長が大隊長に泣きついて、そして大隊長が連隊長に言って
    そして許可が下りるのも、これと同様に伝言ゲームして・・・
    ええ、独力もしくは直上の中隊レベルの支援で撃退するか
    もしくは・・・でしょうなぁ

    せめて処分や転進が大隊の判断で行えるとか
    砲をあまり極端にばらさないで中隊単位で運用するとか
    (つまりお伺いを中隊長レベルで出せる)
    若しくは、あれほど整った多重化された連絡手段が無くなってしまえば
    (つまり連絡できないので独自の判断で以下略が可能)

    大戦末期の赤軍の砲兵運用の実態を斜めから眺めると
    熟練した将校の減少以外に、こういった運用面の見直しも理由なのかなとか思ったりなんかしたりして

    SUDO


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