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靖国の遊就館に見学行って来ました。その中の展示物に500年ぐらい前の大筒がありましたが高々直径5センチの弾を撃つのに砲身直径が30センチぐらいありました。 昔の金属とはそこまで大きくしなきゃいけないほど脆い物だったのでしょうか? 紅葉饅頭 |
鉄製品を作るには、叩いて伸ばして形を作る「鍛造」と、溶けた鉄を型に流し込んで作る「鋳造」があります。代表的な鍛造製品は日本刀ですね。
大砲の砲身は鋳造で作りますが、昔の鋳造技術では鍛造よりもろい性質の鉄しか作れなかったようです。
また、今の大砲の砲身は硬く脆い鉄で「内筒」、柔らかく粘りのある鉄で「外筒」を作り、両者を併せて一本の砲身にしているようです。
こういった技術が確立しておらず、鋳造技術も低かった当時は砲身を分厚くしなければ火薬の圧力に耐えられなかったのではないか、と思います。
500年前というと、もしかすると鉄製砲はまだ実用化されておらず、青銅砲の時代だったかも?詳しい人補足おねがいします(^_^;)
ささき
安井 賢一
「500年ぐらい前」でしたら青銅製でしょう。 もっとも その当時、日本に西洋式の大砲も伝わっていたのかな?
種子島に火縄銃が伝来したのが、定説では1543年の事です。
その当時の西洋の大砲に関しては、 ここが面白いかと思います。
http://www.sanynet.ne.jp/~imperial/Napoleon/weapon2.html#g
軌跡の発動機?誉
「画像UP掲示版」のNXさんの「靖国資料館」に映っている内にありますか?
>http://www.warbirds.nu/BBS/gazou/img-box/img20010331044348.jpg
といっても私には何で造られたかなんて解らないのですが(笑)。
ガンヘッド
紅葉饅頭
恐らく鋳造技術は無かったと思うので
鍛造、それも板を曲げて筒状にしたものだと憶測しました
大抵の砲の肉厚は薬室部が厚く、砲口部は薄くなっていく物ですが
件の砲はそういった構造にはなってなかったように記憶しています
ですから砲口部が非常に厚くなってるのではなく
単に薬室部の厚みがそのまま砲口部まで来てしまっているだけだと思います
SUDO
その大砲もしかして大友宗麟(その息子か?)が作らせた大砲では??
島津軍との戦で敗れ鹵獲たと記憶しています。
だれか詳細求む!
入手経路が判れば材質、工法がはっきりするかも。
白熊
>http://www.yasukuni.or.jp/
「遊就館」の「古武具類」、「展示14室」にある
「一貫五百目玉大筒砲身」ですか?
「慶長16年徳川家康が堺の鉄砲鍛冶芝辻理右衛門に造らせ、大阪冬の陣で使用したと伝えられる国産最古の大砲である。」ってありますけど。
ガンヘッド
この砲は享保11年(1762年) 鉄砲鍛冶 渡辺源五丞製造 材質は鍛鉄と表示されています。
しかし一貫五百目玉砲もこの砲も解説文は大きな文字で至って明瞭簡潔に書かれていますが・・・何で読めない?
BUN
紅葉饅頭
ささき
げるぐぐ
紅葉饅頭