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三国志演義に関羽が青龍俺月刀という50kgもあるなぎなたを使っていたとあるのですがそんなものを馬上から使えるのでしょうか。 また、張飛の槍は蛇の様にくねっていたそうですが装飾以外の意味はあるのでしょうか。 液冷雷電 |
大きく異なるので、換算間違いということも有り得ますね。
張飛の蛇矛は、あの形状にすることで、普通の刃に比べて殺傷力が
高くなるとのことです。
村正景夕
「蛇矛」のクネクネは馬上から振り回して斬り付ける時に相手の身体に引っかけ深手を負わせる目的だと思いますが、これで有効打を与えるには相当な重量(まさか50Kgは無いでしょうが…)の刃先をかなりの速度で振り回す必要があるので、張飛のごとき怪力の持ち主でなければ扱うのは難しかったことでしょう。
ささき
関羽と顔良、許緒と馬超といった有名な一騎討ちも、イメージしているよりもはるかに緩慢で、儀式ばった一騎討ちだったのではないでしょうか。
まなかじ
よういち
>石などで刃先を擦りあえてギザ刃にしていた
「ぬた刃を砥ぐ」と言い、荒砥石でギザギザにします。ちなみに、タイラノザウルスのような肉食恐竜の歯も、細かいギザギザがついています。
よういち
まなかじさんがいわれるとおりで、現在のところ中国で鐙が確認できるのは、南北朝初期(西暦400年頃)となります。
ただし片鐙(乗馬用の片方のみの鐙、戦闘時には使えない)らしき表現は西晋時代の騎俑にみられます。
今後三国時代の鐙が発見される可能性もあるかもしれませんが、当時鐙はなかったという前提で考えます。
馬上近接戦闘は、敵との戦いであるとともに、落馬の危険との戦いでもあります。
馬上から地上(あるいは他の馬上の)の人間を刺すなり突くなりするとなると、
鎧をまとった100キロ近い人間×馬の速度の反作用が馬上の人間にかかります。
鐙がないとすると、鞍と手綱だけでこの力に耐えるのは至難の技でしょうし、鐙があっても大変です。
一般論としては、鐙以前の時代、騎馬戦闘は騎射中心でおこなわれ、近接戦闘は下馬しておこなっていたものと推定されます。
浮き足だった敵歩兵の陣を馬で蹴散らすことはあったかと思いますが、この場合も馬自体の突進力が使用され、馬上で武器を振り回すということは一種のパフォーマンスに過ぎなかったと思います。
鐙なしで、馬上から近接兵器を使用する方法としては、次のような方法が考えられます。
(1)馬を停止あるいはほぼ停止させて槍等を使用する。
(2)槍等がささったら、ただちに手を離す(あるいは、至近距離で槍を投げつける。)
(3)そりのある刀、あるいはなぎなたを利用し、刺したり突いたりせず、薙ぎ払う。
(こうすると、力を逃がせる。項羽のなぎなたもこれにあたるかもしれませんが、重くて折れにくい名のある武器を、馬上で振り回すのはきわめて危険でしょう。)
いずれにしても、それに加えて極めて強い体力とバランス感覚、高い技術が必要で、なみの人間がおこなえば敵を倒す可能性よりより落馬の危険の方がずっと大きいでしょう。
三国志の英雄豪傑には馬上近接戦闘という特殊技能を持った人もいたかもしれませんが、鐙なしでの馬上戦闘は、樽に乗って近接武器を使うようなものです。
馬で駆けつけ最初の一撃は加えることはあるかもしれませんが、あとは下馬して安定した土台の上で戦うのではないでしょうか。
カンタニャック
裸馬の上で重い武器を振り回すのが困難だ、とぐらいは言えるでしょうけれど。
はたの
鐙だけを重視すべきではないという、はたのさんのご意見ごもっともです。
馬上近接戦闘の可否は、馬+人による敵への威圧感、馬に乗ることによる高さの利、敵に与える馬蹄の恐怖などと、馬上の不安定性のデメリットの総合的な判断が必要であることは間違いありません。
カンタニャック