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M1カービンとM1ガーランドは親戚なのですか?それとも赤の他人ですか 紅葉饅頭 |
M1ライフル(ガーランド)の基本設計を担当したジョン・C・ガランドは、1916年頃からスプリングフィールド・アーモリーでセミ・オートマチック・ライフルの研究を行い、1928年に口径.276のガス・オペレーション式ライフルを完成させます。このライフルは、翌29年のアバディーンでのトライアルに参加、当時有力候補だったピダーセン・ライフルを抜いて高成績でパスし、実戦部隊に試験配備されてさらに改良が進められました。途中、口径をより強力な.30-06に変更し、改良の末に1937年にM1ライフルとして制式採用されたのでした。
一方、M1カービンは、サブマシンガンやピストルよりも強力な下士官用の自衛武器として、1940年に開発着手されました。弾薬(.30カービン)はウィンチェスター社が開発、カービン本体は翌41年5月には第1回トライアルが実施されました。この時はジョン・C・ガランドがデザインしたスプリングフィールド案が注目を集めたようです。
これに対し、弾薬開発を担当したウィンチェスター社も遅ればせながら同年8月に試作品を提出します。ウィンチェスター社は約1ヶ月でこの試作品をベースにした第2試作品を完成し、9月の最終トライアルに提出しました。このモデルが高成績を収め、10月22日にM1カービンとして制式採用されたのでした。
1928年から実に9年かかったM1ライフルの開発に対し、M1カービンは1940年からわずか1年2ヶ月という短期間で完成されています。
ちなみに、ウィンチェスター社でM1カービンの開発に関わった技師の一人デビッド・M・ウィリアムズは、殺人容疑で刑務所に服役していたときに秘かにオート・カービンを設計、これの設計がよくできていたことから、刑務所の許可を得て獄中で試作・試射したというユニークな経歴の持ち主でした。この経歴がM1カービンの開発にまつわるエピソードと結び付いて、『刑務所でM1カービンを作った男、カービン・ウィリアムズ』の俗説を生むことになりました。
ブラック・タロン