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日本軍が苦肉の策として作り出した三式弾はいつ完成したのでしょうか?また 終戦まで何機の航空機を撃墜することができたのでしょうか? 富嶽 |
三式弾は「苦肉の策」なんですか?私は新兵器ではあっても苦肉の策とは思えません。また三式とはいえ、昭和17年頃には量産されており、大口径砲から徐々に小口径砲まで三式弾が供給され始めます。
ただ、戦果として、確実に三式弾による戦果と敵味方双方で認定できるものは、私が不勉強なせいか見当たりません。一機も墜とせてなかったらどうしたらよいのでしょうか。
BUN
今日この頃です。
大口径砲の三式弾は何機位撃墜したんでしょうね??
tackow
http://www.geocities.com/Tokyo/Flats/2983/log/1999/ub2_2500.html
ちょっと、覗いてみて下さい。
ニューナンブ
となりの大トロ
アメリカ合衆国はVT信管で日本の戦闘機を落とした話は有名ですが
三式弾はそんなに戦果を上げた話を聞かないので
やはり日本軍が開発した特攻機のような無謀な発明と思ったからです
富嶽
全体の半数程度だったと思います。
勿論、滑走路はボコボコにされ、肝心の航空機用燃料が燃やし尽くされてしまったわけですから、
飛行場が稼動不可になったのに変わりはありませんが。
>5.三式弾と特攻機を同列に論ずるのはどうかと思います。
開戦までの常識からすれば、三式弾というのは極めて強力な対空火器です。
惜しむらくは、開戦後の展開が想定をはるかに超えて
過酷であったということだと思います。
勝井
昭和13年頃、黛治夫中佐が対空用焼夷性榴散弾兼榴弾の開発を艦政本部に提案。ただし、この時は検討の要有りとなっただけで、採用されず。
昭和15年暮れ、先の提案に賛意を表していた鈴木長蔵大佐の尽力で研究開発、設計に着手。
昭和16年5月、実射実験。3日間で36p弾6発を試射し、全て成功。
同年10月、制式採用。(なんで三式なんでしょう?)
黛中佐は、従来のように中口径高角砲、機銃から榴弾を発射するだけでは、将来の航空攻撃に対し、防空砲火が不十分である、との認識から開発を提案しています。増設する分を考えても、そもそも機銃や高角砲の榴弾では力不足だから、威力の大きい主砲も対空攻撃をしろ、しかも榴弾では駄目だというのですね。
従来の兵器システムを活かして、対空砲火をより強力にするハードを開発しよう、というのが開発意図です。開発時期や、積極的に敵機を撃ち落とそうという考えが根底にあったことを考えると、苦肉の策とは言えないと思います。
また、面制圧という点を考えれば、三式弾は非常に有効な対空砲弾であると思います。キャニスター弾や散弾銃で人を射つようなもので、本来ならもっと当たってもいいように思えますが……。信管の整合や砲の追随性が問題だったのでしょうね。
>2 駆逐艦皐月が、マニラ湾での対空戦闘で主砲も撃ってますが、これ、三式弾ではないかと疑っています。
tomo
三式ということは普通に考えたら1943年制式採用ってことになっちゃう。
…まさか、散(弾)式がなまって三式になったとか?
…すいません、ゴミです。
勝井
翌日もクラーク飛行場から戦闘機が出撃しています。
甚大な被害を受けましたが、不可にはなっていません。
こてらじ
三式弾は事変で、敵国の対空砲火を浴びた我が航空機が以外に「落ちなかった」
ために黛さんが「榴弾形式の砲弾では駄目なのでは?」ということで発想した
ものの様です。
ただし、実際に有効かといえば、信管の調定等が面倒であることなどから。それ
程有効と思えないのもまた事実です。
実際、防弾タンクに対しては無効、との実験報告もあります。
では
tackow