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478 戦国時代あたりの話になりますが日本には投石器はなかったのですか?

木下

  1. ありましたよ、たしか。多分武田軍もこれを装備してたのでしょう。三方ヶ原でも使われたと聞きます。


    矮鶏

  2.  この文では取りあえず以下のような意味で「投石」、「投石器」、「石弓」、「投石器」の言葉を使用します。
    投石=投石器などの補助具を使わず、人間の腕力だけで石を投げること
    投石器=ひもあるいは棒状の手持ちの道具で、個人が石を投げる時の速度・運動量を増大させるもの。
    石弓=機械式の弓である弩のなかで、矢でなく石を発射するもので持ち運び可能なもの。
    投石機=大型の機械で、バネ、おもりなどを利用し大石を飛ばす装置。

    日本では、弥生時代の前半に、投石器は広く用いられたようです。投石器用と見られる石弾・土弾の多量の出土から推定されています。
    その後も平安時代末の年中行事絵巻などに、投石器を使用する民衆の姿が描かれています。
    中世、近世にも投石器があったことは間違いないと思われます。

    他方大型の投石機については、はっきりしません。倭名鈔には「いしはじき」という、大木を使う投石装置の説明がありますが、どの程度使われたかは不明です。

    矢を発射する弩は、律令時代には広く使用されていました。石を発射する石弓については、「いしゆみ」という和語がある以上、存在したのではと思われます。
    石弓という言葉だけなら前九年の役や、信長の若狭・越前攻めの記録にあるのですが、矢を発射する「弩」を石弓といっている可能性も否定できません。

    さて、戦国時代の記録には飛礫に触れるものも多く、
    矮鶏さんがあげられた、三方が原の武田方投石兵については、徳川方の記録の多くに記載されています。
    また軍忠状のケガの記載にも石傷はしばしば見られます。
    従って、日本の戦国期の戦争でも一定程度石が使われていたことは間違いありません。
    この投石兵はおそらく、単に「投石」するのではなく、「投石器」を使用していたものと思われます。
    カンタニャック

  3. アーサー・フェリルの”戦争の起源”ではやたらと投石器を持ち上げています。初期の弓より効果的だとか、優秀な射手なら500ヤード飛ばせるとか(最良の条件なら、と断ってますが)
    まあ、あれを知らない文化圏の方が珍しいでしょう。



    矮鶏

  4. やはり使われていたんですね。
    ありがとうございました。
    質問者

  5.  以前新聞で室町時代(だったとおもう)の遺跡から,弩の機関部が発掘されたとの記事を見たことがありました.中国はこれを軍事機密として,外部に輸出をしていなかったようなので,何らかの混乱の際に持ち出されたのではないでしょうか.

    となりの大トロ

  6. >5
    室町時代に弩使用の証拠があったんですか。知りませんでした。
    ありがとうございます。

    ただし、弩自体は、隋書倭国伝の倭人が使う武器のリストにはいっていますし、
    推古天皇の時紀には高麗(高句麗)が弩・抛石を献上したという記事もあります(日本書紀)。
    また672年の壬申の乱では、大友皇子(弘文天皇)軍が弩をならべて乱射しました(日本書紀、ただし、盛大な乱射は中国の史書をまねた文飾と考えられなくもない)。
    律令軍防令の注釈(令義解)にも、軍団は弓馬刀槍のほか、弩・抛石を学べとありますし、類聚三代格にも、辺境の国の「史生」(事務官僚)の代わりに「弩師」をおけという記事がいくつかあります。

    まあ、古代であれ現代であれ軍事機密の漏示を防ぐのは難しいということでしょう。

    ところで>2では
    日本に大型の投石機があったかは不明と書きましたが、こうして資料をあさるとどうも「抛石」って、大型の投石機臭いですね。
    「抛石」が簡便な「投石器」とは思えませんが(高麗の使節が弩といっしょに弥生初期から使われていた簡便な投石器を献上するとは考えにくいし、しばしば弩・抛石とワンセットででてくるので弩に匹敵するような複雑な機械でしょう)、石を投射する弩なのか、より大型の投石機なのか…
    どなたかご存じありませんか?

    カンタニャック


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