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447  太平洋戦争中の日本軍の「歩兵用対戦車兵器・火器」はどのようなものがあったのでしょうか?
つまり、M4などにどのような携行火器を用いて反撃していたのでしょう? 
M1ロケットランチャーやパンツァーシュレックのような火砲は所持・使用していたのでしょうか?
 
 どなたか教えてください。
はにまる

  1. 大戦初期には、以下のような状態です。
    個人装備のレベルでは、破甲爆雷、火炎瓶。
    歩兵砲(大隊砲)、あれば37mm速射砲。
    実際に配備されませんでしたが、ガラス製の毒ガス(青酸ガス)手榴弾。
    大戦初期の歩兵の対戦車戦闘マニュアルがあったかどうかわかりませんが、破甲爆雷を使って戦車のキャタピラを破壊しろというような戦法だったのだと思います。肉攻というやつですね。
    日本軍の勲章や徽章にはドイツの戦車攻撃章みたいなのはないんですよね。ドイツに比べて歩兵による戦車破壊の実例が少なかったことを反映しているのではないでしょうか。
    大戦末期にはドイツから成形炸薬の理論が導入されて、対戦車手榴弾やパンツアーファウスト風の対戦車兵器が開発されていますが、配備された実例は少ないようです。結局最後まで歩兵の対戦車手段は破甲爆雷のままでした。

    ともさん@2CV

  2.  手元の資料を基に書いてみます。

    <旧日本陸軍の歩兵用対戦車兵器>
    ・97式自動砲(20mm)
     旧陸軍唯一の対戦車ライフル。威力不足だったが南方戦線でも使用。
    ・41年式山砲(75mm)
     38式野砲と砲弾を共通化した分解輸送式軽量砲。通称『連隊砲』。昭和19年頃から、タ弾(成形炸薬弾)を用いる臨時対戦車砲としても使われた。
    ・94式37mm砲(37mm)
     旧陸軍初の本格的対戦車歩兵砲。通称『速射砲』。
    ・1式機動47mm砲(47mm)
     ノモンハン事件の戦訓から開発された、94式37mm砲の後継砲。独立速射砲大隊として編成され、随時歩兵に分属。南方戦線では米軍のM4中戦車に対する最良の対戦車砲となったとか。
    ・99式破甲爆雷
     ピクリン酸630gを充填した円形爆雷。4個の永久磁石で敵戦車の装甲にくっつけてピンを抜くと10秒後に爆発。ただし成形炸薬ではないため、3個重ねても厚さ40mmまでしかぶち抜けなかったとか。ノモンハン事件ではBT戦車相手に6個重ねる必要があったとのこと。
    ・2式擲弾器
     ドイツからシースベッヒャー2型(小銃擲弾=ライフル・グレネード)とその対戦車榴弾の情報を得てコピーしたもの。南方戦線向けとされたが実戦には間に合わなかったとのこと。
    ・1式手投まる缶
     ノモンハン事件を受けて昭和15年から製造された、戦車制圧用の毒ガス手榴弾。別名『ちび』。製造場所は旧陸軍の化学兵器工場として有名な大久野島(広島)。直径10cmのガラス球の中に茶1号(青酸剤)を充填したもので、敵戦車に投げ付けると割れて青酸がラジエーターから車内に入り、乗員を制圧するという理屈。実際には想定敵のソ連戦車兵は防護マスクを装備していたので、実際に使って効果があったかどうかは怪しい。ちなみに、戦後、大久野島で働いていた女性工員の中には、自決用に『ちび』を持ち帰ろうとした人もいたそうです。
     余談。大戦末期の陶器製手榴弾のことを『ちび』と呼ぶこともありますが、これは間違いとか。

     この他、ノモンハン事件以降は火炎放射器(100式)まで対戦車兵器として制定したそうです。

     ところで、『大隊砲』こと92式歩兵砲(70mm)は対戦車砲として使われたことはあったんでしょうか? 平射では跳弾して対機関銃用としては役に立たないので曲射で使うことが多かったと聞きますが・・・

     あと、敵戦車の下に梱爆抱えて飛び込む自爆攻撃が知られる『肉薄攻撃』(肉攻)ですが、自爆攻撃したのは歩兵の方で、工兵の肉攻は兵隊に退避の余地がある合理的な方法だったとか。
    ブラック・タロン

  3. >99式破甲爆雷
    その形状から俗に「アンパン」と呼ばれたそうです。

    >あと、敵戦車の下に梱爆抱えて飛び込む自爆攻撃が知られる『肉薄攻撃』(肉攻)ですが
    こちらの梱包爆薬は「布団爆弾」と呼ばれたらしいです。
    ささき

  4. 肉薄な装甲板を攻撃する戦法を高度な専門用語で肉薄攻撃と言いますが、こうした攻撃法は最初から自殺攻撃と決まっていた訳ではありません。爆薬を持って敵戦車に飛び込むような決死的な戦法をも含む対戦車肉迫攻撃は文字通り肉迫するものの自殺攻撃にならないよう配慮されたマニュアルが存在していました。
    BUN

  5. 他の方が触れられていませんが、終戦時開発中の兵器に成形炸薬弾を発射する歩兵携行無反動砲がありました。パンツァーファウスト最初期型とほぼ同大ですが、弾頭は円筒形缶ジュースほどの大きさのでした。試製5式噴進砲だったかな。いま手元にありませんが、以前戦車マガジンにくわしい特集がありました。実戦配備はされませんでした。
    終戦間際のお約束で、この試製噴進砲の弾丸に竹竿をつけてM4戦車にむかってエイッと突き出すという特攻兵器も企画されていたそうです。
    ともさん@2CV

  6.  以前、硫黄島の日本軍の遺品の中で、直径20センチくらいの金属筒を見たことがあり、
    それは噴進砲だという説明を見たことがあります。
     噴進砲は木製の発射台から撃ち出したと聞いたことがあるので、「妙だな、これは日本版
    対戦車バズーカ砲かな?」と思ったのですが、あの正体は何なのでしょう?
     話によると、硫黄島の波打ち際で釘付けにされていた米海兵隊が、車輌(戦車?)や重砲
    を繰り出して突妃せん。質問の対戦車火器の画像がありました。インターネット元暗し。江戸川東京陸軍造兵廠に特集されております↓。
    http://www.tk.xaxon.ne.jp/~troll/
    このページの画像は戦車マガジンで見たものと同じ。資料探さずに済んだ↓。
    http://www.hx.sakura.ne.jp/~troll/jyukahou/can_inf5.html
    はにまる

  7.  皆さん、沢山の情報を有難うございます。早速、上記のアドレスをブックマークに
    追加しました。「試製7センチ噴進砲」という和製バズーカ砲を日本も所有していた
    のですね。
     成果やその有効性をどなたかご存知でしたら、ぜひ教えてください。また工兵の肉
    薄攻撃方法と歩兵のそれとの違いも具体的にお願いします。
    はにまる

  8. >2 ところで、『大隊砲』こと92式歩兵砲(70mm)は対戦車砲として使われたことはあったんでしょうか? 
     そりゃありますよ。火砲の乏しい日本軍のこと。タ弾が無いときから歩兵連隊の火砲総動員です。
     大隊砲は、野戦陣地に向けて射つと跳弾したそうですが、これは弾丸の信管以外の部分が地面に接触したとき、信管が上手く作動しないからだと思います。
     実際、ノモンハンでは大隊砲が装甲目標を破壊することしばしです。すぐに弾が尽きてしまったため、肉薄攻撃に頼らざるを得なかったのですが、多くの場合、火砲も活躍しています。そのため、対戦車砲はしばらくの間、現行のもので十分と結論が出されてしまい、対戦車兵器の整備が遅れてしまったほどです。
    tomo

  9. >そのため、対戦車砲はしばらくの間、現行のもので十分と結論が出されてしまい、
    >対戦車兵器の整備が遅れてしまったほどです。
    あぁ、悲しいかな日本軍…現地の兵隊の勇戦ぶりはそれこそ伝説的なものなのに、
    「あれだけ苦労したのだから、次はこんな事が無いように」という発想ではなく、
    「結局何とかなったんだから、次も多分大丈夫だろう」という発想につながって
    しまうのですね・・・(T_T)
    ささき

  10. 大隊砲の評価はそんなに高かったのでしょうか?
    陸軍の「各種火砲榴弾対戦車威力表」によると
    「命中部位に依り若干の効力を呈することあるも10粍以上の装甲部位に対しては
    内部的効力を期待し得ず  (八九式 九七式 BT戦車に対する射撃)」
    とあります。当初から対戦車火力としては期待の外にあったことが判ると思います。
    BUN

  11. ノモンハンでは速射砲とともに初期には戦果を上げていたようです。BT−5は大隊砲の榴弾でも破壊できたといいます。最近のPANZERにも同じような記事があったような。BT−5が特別もろかったのではないでしょうかね。BT−7になると、装甲もだいぶ改善されているのではないでしょうか。
    ともさん@2CV


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