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40mmグレネードランチャーは旧日本軍の擲弾筒を参考にしたと言う話をよく聞きますが、本当でしょうか。同時期に他国にも同様の小型迫撃砲が多数整備されていたはずなのですが。 tomo |
この兵器の開発にあたって参考にされたといわれるのが、旧日本陸軍の擲弾筒です。
第2次大戦当時の各国の歩兵火器体系については資料不足なので断言できませんが、少なくともアメリカやヨーロッパ主要国の軍隊には、81mmクラスのいわゆる軽迫撃砲はあっても、擲弾筒のような歩兵分隊単位で使用されるポケット迫撃砲的な軽火器はなかったと思います。当時の欧米軍には、小型榴弾を投射できる歩兵装備として、すでにライフル・グレネード(小銃擲弾)が存在しており、擲弾筒のような専用火器をわざわざ装備する必要性は考えていなかったと思われます。
あえて擲弾筒に近いものを挙げるとすれば、1942年にイギリス軍が採用したPIAT(歩兵用対戦車榴弾発射器)がありますかね。チューブ先端に対戦車ロケット弾または対人榴弾を装着して発射する全長990mm、重量14.5kgのランチャーですが、実際に量産されたのは対戦車ロケット弾だけだったとか。
一方、旧日本陸軍が擲弾筒を開発したのは、当時の制式歩兵ライフル(38式歩兵銃)で無理に重いグレネードを撃つと銃がガタガタになって命中精度が低下するという懸念があったからと言われています。また、専用火器とすることで、発射する弾頭の重量や射程距離を気にしなくてすむという考えもあったようです(38式歩兵銃は小口径・長銃身のため発射ガス圧が低く、ライフル・グレネードの重量や射程を欧米より上げるのは困難とみられた)。
とはいえ、旧陸軍にライフル・グレネードがまったくなかったわけではなく、91式手榴弾の弾尾(擲弾筒用の装薬筒をはめ込む部分)に矢羽根筒をねじ込み、ライフルにアダプターを取り付けて発射するスピゴット・ランチャーがあったほか、99式小銃の採用後は、99式手榴弾を発射する100式擲弾器と、ドイツ軍のシースベッヒャーおよびホローチャージ弾をコピーした2式擲弾器(タテ器)が開発されています。
ちなみに、旧陸軍の擲弾筒には、10年式擲弾筒と89式重擲弾筒(どちらも口径50mm)の2種類があります。10年式は手榴弾(TNT65g、危害半径5m)の発射を主としており、『ライフルを使わないライフル・グレネード』的な代物としかみられなかったようですが、89式は無薬莢の専用榴弾(TNT150g、危害半径10m)を発射することを前提としており、これによって初めて『ポケット迫撃砲』として大成できたということができるかもしれません。
89式重擲弾筒の装備態勢は、各歩兵小隊に軽機関銃と同数(1〜2門)が配備されました。1個連隊の定数は63門であるが、大戦後期になると擲弾筒くらいしか頼れる『砲』がなく、その2倍の門数を追加装備された部隊もあったとか。運用は三人一組で、それぞれ18発の弾薬を携行したそうです。擲弾筒の担当となった歩兵は、重量4.7kgの擲弾筒と総量約14kgの弾薬を持った上に38式歩兵銃まで担がされたわけで、行軍も一苦労であったろうと思われます。
最後に参考資料を明記いたします。
<参考資料:床井雅美『アンダーグラウンド・ウェポン』(日本出版社)
『最新軍用銃事典』(並木書房)
兵藤二十八『日本の陸軍歩兵兵器』(銀河出版)
上田信『大図解 世界の兵器』(グリーンアロー出版社)>
ブラック・タロン
弾頭重量や携行弾薬数の関係で実戦ではさほど有用とは見なされなかったようですがドイツ空挺部隊やイギリス軍等ではそれなりに使われたようです。特にイギリス軍は戦後もかなりの間煙幕及び星弾用に制式装備として残していたようです。
けい
手元の資料では、第2次大戦当時の米軍には擲弾筒のような歩兵兵器はなかったとのことです。
米軍はヨーロッパ戦線で友軍が装備していた小型迫撃砲を目にしたでしょうが、システム重量が大型なためにあまり興味を引かれなかったんでしょうか。むしろ、南方戦線で遭遇した旧日本陸軍の擲弾筒の用法等により注目したと考えることもできますね。ちょっと擲弾筒びいきか(^^ゞ(笑)
ブラック・タロン
独・5cm leGrW36 英・2インチ軽迫撃砲 米・M2軽迫撃砲(口径60,5mm) 仏・60mm M1935(米M2のオリジナル) 伊・45mm M35軽迫撃砲 西・エスペランツァ&シア(ヴィカヤ)の50mm軽迫撃砲(英2インチ軽迫は必要以上に複雑だったこれの簡略型) ソ・独逸名が37mm SpGrW161(r)というシャベル兼用の軽迫撃砲(本によっては47mm小隊用迫撃砲となっている)、50mm迫撃砲M1940,M1939,M1938 中・41mm軽迫撃砲
tomo