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太平洋戦争に関するある文献で「日本のパイロットは落下傘で飛び出さない」というような 米兵の記述を見ましたが、日本陸・海航空隊におけるパラシュートの普及率はどのようなもの だったのでしょうか。 どなたか教えてください。 はにまる
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- 普及率という点では、搭乗員一人あたりにちゃんと1個ずつ装備されていたはずですが。
小型機の場合、座席のクッションを兼ねていましたから、とっぱらったらお尻が痛くなっちゃうだろうし…?
米兵からはあまり脱出しないように見えたとすれば、米軍より、最後まで機を捨てず帰還しようという頑張りが強かったということではないでしょうか?
(N)
- 記憶モードで、今どの文献に載っていたのか、或いは旧軍航空兵から聞いた話であるのかもはっきりしませんが、中国戦線の奥地攻撃などの場合、敵地に降下して捕虜となった航空兵が何人か出ました。その後、命令であったのか、個人の意思であったのかも記憶しませんが、落下傘を付けないで出撃するような事もあったそうです。また捕虜交換などで生還してきた航空兵に上官が拳銃をわたし自決?させた事もあったと聞きました。また、敵が捕虜を釈放する時に、利き手の親指を切断したことも有ったとも聞きました。
roht
- 味方上空での迎撃戦闘など、降下しても捕虜になる可能性が薄い場合では、日本軍パイロットも積極的にパラシュートを使用します。
まなかじ
- BB29に体当たりして、生還された方も何人か居られたはずです。
roht
- 坂井三郎氏の記述によれば、零戦の座席はパラシュートを座布団代わりに敷いた状態で適当な高さとなるよう設計されているそうです。ただしラバウルでの落下傘は文字どおり「座布団」がわりで機内に放置され、必須とされている乾燥や再点検などが行われず、本当に開くかどうか疑わしい物だったそうです。また敵地への侵攻戦では「窮屈で見張りがやり辛い」「(点検が行われていないため)どうせ開かないだろう」「そもそも捕虜にはなれない」等の理由によりパラシュートと搭乗者を結ぶ縛帯(ハーネス)を持たずに出撃する場合が多かったそうです。
ささき
- 沢山のご返事有難うございました。
てっきり当時は資材不足などでパラシュートすら支給されてなかったのかと勘違い
していました。「可愛そうな奴ら・・・。」などと勝手に同情までしていました。(笑)
また、日本の航空機は防弾性が極端に低かった為、被弾した時点ですでに死んで
いた事も数多くあったのかもしれませんね。
はにまる
- そういう話ですねえ。
でも機関銃弾が「ズブズブ貫通」した戦車の写真って見たことありますか?
靖国の九七にせよ若獅子神社の九七式にせよ、ズブズブ抜けた、というような
それらしい弾痕はあんまり無いんですが・・・。
BUN
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