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旧軍において砲兵の着弾観測(正式名称は知らないのですが)を行う部隊というのはどのくらいの規模でどのような装備(特に通信機材)をもっていたのでしょうか? 昭和10年代、90式野砲(列車砲でも)91式10榴、92式10加、96式15榴などを装備する部隊での編成を教えてくれると有難いです。 太 |
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そういえば昔、おーとじゃいろ(ヘリコプター?)を使って飛行救難隊を編成。 その部隊、大活躍!というような映画を深夜、観たような観ないような。 WWII物(バトルオブブリテン)だったか、かなりいい加減な設定で・・・。
太
ま、これではあまりに不親切なので、解る範囲で調べてみました。参考文献は「別冊歴史読本 日本陸軍機械化部隊総覧」「別冊歴史読本 太平洋戦争師団戦史」(新人物往来社)「日本の歩兵火器」(大日本絵画)「日本陸軍便覧」(←米軍作成のものですから、所々不正確なのが玉に傷。)「大砲入門」(光人社)
機材に関しては日本陸軍便覧に多少載っている物しか解りません。
着弾観測する部隊ですが、どの砲兵部隊にも観測班〜観測小隊(日本陸軍便覧の編成表から推測。観測班だけかもしれません。)、編成によっては観測中隊が付いていました。(これは確実。)多分、中隊以上の部隊に付いていて、本部指揮班に含まれます。ただし、観測中隊は本部とは別です。小隊以下の砲兵では間接射撃の指揮は小隊長が取り、直接射撃の指揮は分隊長(1個分隊に砲1門)が取ります。
ある程度以上の砲兵を集中運用するときは、混乱を避けるため、また別に観測する必要があります。
昭和14年3月の修水河渡河作戦では軍野戦測量隊と独立気球第三中隊の観測の元、砲撃しています。独立気球中隊は日本で唯一の(従って、番号が無い。)気球連隊において編成され、派遣された部隊です。
同年5月の第二次ノモンハン事件では砲兵情報第一連隊、同第二連隊の写真班、独立気球第三中隊が観測任務に就いています。気球が墜とされたのは有名ですね。
砲兵情報連隊は昭和13年から編成された部隊で、連隊本部(情報、連絡、写真、気象の各機関)と、測地、標定、音源の各1個中隊から成ります。砲兵情報第一連隊の前身は砲兵情報班(?)2個です。
昭和16年12月の香港攻略戦では砲兵情報第5連隊が、17年2月のシンガポール攻略戦では独立気球第一中隊が、昭和17年4月のパターン・コレヒドール攻略戦では独立気球第一中隊、砲兵情報第5中隊の両方が参加、観測を行っています。なお、この時点で編成されていた砲兵情報連隊は第1,第2,第5だけです。なぜ番号が跳んでいるかと言えば、第5連隊編成時、この部隊だけが日本初の自動車編成だったからです。残りの2つも、後に自動車編成に変えられました。
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