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289 はじめまして。
旧日本軍と米軍が太平洋戦線で戦った際、歩兵の携行火器はボルトアクションの
38式や99式、米軍はM1ガーランドやカービン、トンプソンからグリースガン
果ては分隊支援機銃まで持ち出してまるで撃ち合いにならなかった、といいます。
日本側にも100式機関短銃があったと聞きましたが、その有効性、普及率はどの
ようなものだったのでしょう。セミオートの突撃銃やサブマシンガンがちゃんと
普及していれば・・。と彼らが可哀想になります。

hiroto

  1. 百式は開戦時に若干製造された後、製造を中止し、戦争末期に再び若干の改造型が生産されたのみです。
    しかし、この話は野戦で歩兵が小銃を撃ち合う機会がどれほどあったのか?という問題だと思います。
    BUN

  2.  ノモンハンや中国戦線でモシンナガン 7.62mm やモーゼル 7.92mm などの外国製ハイパワーライフルに苦しめられた日本陸軍には、接近戦用の機関短銃や騎兵銃の開発に積極的になれない理由がありました。もともと南進作戦に気乗り薄だった彼らはジャングル戦の研究もあまり推進していなかったようです(乾燥した中国戦線の装備そのままでガダルカナルに投入された部隊は、弾薬包の水密が不完全だったため湿気で不発弾続出という事態に見舞われたそうです)。
     我らが百式機関短銃について海外での評価は芳しくありません。削り出し加工を多用し不必要に複雑な機構を備えるため量産性が低いこと(BUN師匠が述べられた再生産型は簡略化が行われていますが、ステンやグリースや PPSh42 には遠く及びません)、使用する南部 8mm 拳銃弾がボトルネック薬莢のためジャム(動作不良)を起こしやすいこと、ボトルネック弾のわりに低初速(7.62mm モーゼル弾の 1300fps に対し 1030fps)のため威力が低いこと、等々。
     また、もし仮に生産性の高い簡易サブマシンガンが配備されていたとしても、果たして効果的に運用できるだけの弾薬供給が持続できたかどうか…と考えてみると、問題は「38式に固執した陸軍の旧弊思想」だけではないことがわかってくると思います。
    ささき

  3. ↑ 弾の供給が追いつかない、というのに一票入れます。
    takukou

  4. 私ももう一票入れますが、百式の後期バージョンは何故、あの様に回転数が上がっているのでしょう。別の銃と言っても良いほどに性格が変わってしまうのでは?

    しかし、米海兵隊がMIガーランドに装備改編したのは1943年からのはず。日本軍が島嶼で何とかまともな攻撃を行なった10月末までのガダルカナルの戦闘では米軍はボルトアクション式の小銃で日本軍に対抗していたのです。陸戦での小銃の地位はそれほど高いものでは無いのでしょう。


    BUN

  5.  100式改短機関銃が発射速度を800発/分に上げたのは、8mm南部弾の低威力を発射速度でカバーしようとしたためらしいです>BUNさん

     旧軍で最初にサブマシンガンを採用したのは海軍陸戦隊でした。海軍陸戦隊は自動火器の不足を補う簡易火器として、口径7.62mmX25(7.63mmモーゼル)のSIG M1920(独MP-18Iのスイス版)を装備し、陸軍挺身隊(空挺部隊)も相当数を導入しています。ちなみにM1920の呼称は『ベルグマン(ベ式)短機関銃』で、海軍では機関短銃と呼んでいました。また、旧軍の伝統?に習って着剣装置が追加されていました。
     その後昭和5年頃から陸軍は国産サブマシンガンの開発に着手しますが、試作完成後実に7年間もだらだらと評価を続け、最終的に100式短機関銃として制式化されたのは昭和12年でした。理由については大体ささきさんが書かれている通りでしょう。特に、”大量弾薬消費兵器”である点が貧乏陸軍には受け入れにくかったようで、昭和5年頃の試作に際して6.5mm(.25ACP?)や7mm南部弾、7.7mm(.32ACP?)といった小口径が検討された辺りにこの指向は如実に現れているといえるでしょう。
     100式短機関銃は、陸軍の弾惜しみ体質と戦術思想の貧弱さ&8mm南部弾の非力さ等により、サブマシンガンとして大成しなかった可哀想な銃といえるかもしれません。これが7.63mmモーゼル弾ならまだ少しはマシだったかも・・・

     ちなみに、戦争末期に試作された試製2式短機関銃(口径8mm)は、ブローバック式でボルトがレシーバーに固定され、発射するとレシーバーユニットがバレル・ジャケットごと後退するというユニークなメカを持っていました。スタイルも日本軍の銃器らしからぬSFチックなものでした。
    ブラック・タロン

  6. わたしももう一票。
    英国も、最後まで歩兵の主力火器はボルトアクション小銃でした。
    ステンは、一般歩兵部隊にはそれど多く配備されていませんし、日本陸軍には擲弾筒があり、火力の点ではさほど劣るものではないと思います。
    機関銃の配備方法も軽機と重機の二本立てで、同一です。
    九九小銃、九九軽機、九二重機と、エンフィールド、ブレン、ヴィッカース、ほとんど差はありません。
    (日本軍小隊長が軍刀と拳銃しかないのは問題だが)
    日本陸軍の問題は、第一に弾薬補給が円滑でないこと、第二に突撃重視の戦術を取っているため、兵をあまり大きく疎開できず、また、安易に白兵に訴えようとすることにあると思います。
    弾薬がないせいかもしれませんが、日本軍の戦い方を見ていると、機関銃(自動火器)の運用が攻防ともに拙劣ですし、敵の機関銃の威力も軽視しがちだと思います。
    ガダルカナルでの海兵隊の意見では、日本軍の突撃は機関銃の支援を受けたボルトアクション小銃の射撃で十分拒止できる、ということです。

    ところで百式短機関銃ですが、従来の歩兵操典を墨守する限り、使い勝手が悪すぎるのではないかと思います。
    この銃は、どうも突撃開始距離あたりから有効射程に入るような…。
    でも、そのときには着剣して突っ込んでます。軽機ですらそうするのに、短機関銃にやらさないわけありません。というか、そのためにわざわざ凝った作りの着剣装置をつけてますな。
    日本陸軍は、接近戦といえば手榴弾と白兵でやるものと決めてかかっていたようです。

    まなかじ

  7. 着剣するのは射撃時のバランス(マズル部分のウェイト代わりで反動軽減?)をとるためだったのではないか?
    と言う話を読んだことがあります。確かGUN誌の記事だったな・・・
    まぐまぐマグロ

  8. ↑ははあ、銃口の跳ね上がり防止ですか。確かに、直銃床でない短機関銃ではいろいろ工夫がされてますね。トンプソンの銃口上部の切欠きとか、PPSH41のバレルカバーを斜めに終わらせてるのとか。
    まなかじ

  9. 英国でも第二次大戦前にBAS社が英陸軍に短機関銃を要求するかどうか回答を迫った時、文書で次のような回答があったそうです。「英陸軍は、強盗が持つような兵器を装備する必要を認めない。」しかしその2年後、ドイツ軍に敗れ、ダンケルクから引き揚げた彼らは短機関銃の必要性を認識し、ステン機銃を作り出し有効に使用しました。(もっとも最初は故障等が多く兵士より悪評がたったそうですが、)日本の場合は少数とはいえベルクマン機銃等の短機関銃を大戦以前から使用していたのにかかわらず、100式短機関銃に2脚や着剣装備を着けた事自体、その有効性に気づくのが遅かったと思います。
    黒騎士

  10.  100式短機関銃(前期型)の着剣管は、試作銃では伸縮式になっていました(ちなみに二脚架を付けていたのも試作銃です)。
     100式短機関銃用の銃剣としては、歩兵銃と同じ30年式銃剣が最初使われましたが、全長850mm(前期型)の100式短機関銃に全長530mmの30年式銃剣は長すぎてバランスが悪いため、後に全長321mmの2式銃剣(短剣)が制定されました。2式銃剣は某サバゲーで実物(刃を潰した合法品)を見たことがありますが、30年式銃剣と異なり、コンバット・ナイフ的なスタイルを持つ銃剣でした。
     重量600gちょっとの30年式銃剣がはたして100式の銃口の跳ね上がりの抑制に役立ったか? 個人的にはうーん(^^;と思います。
     ちなみに、100式は前期型・改ともに銃口にマズル・ブレーキを備えていました。
    ブラック・タロン


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