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ふと気になったのですが、刀剣類に「左利き用」はあるのでしょうか? 特に剣術が実用性を失って様式化する前、つまり戦国時代までの日本においては、「構え」の規格化がなされていなかったはずですので、無理な左利きの矯正は行われず、左利き剣士にも配慮がなされていたと思うのですが。 Schump |
盛りだくさんの質問で申し訳ありませんが、よろしくご教示願います。
Schump
「構え」の規格化はされていなくても、刀を腰にさす場合などに関わりますから。
それに、周りがほとんど右利きなのに一人だけ左利きだと、
「鬼の子」などと忌避される原因にもなりかねません。
故に、左利きの子供を持った両親は必死になって矯正したと推測します。
で、左利き用の武器ですが、
一年程前だったでしょうか、「開運なんでも鑑定団」で
左利き用火縄銃が出てました。
なんでも、藩主(細川家だったと思います)が左利きだったそうで。
……身分が高くなると、矯正する必要がないのですね。(^^;;
如水
taka
割は飛び道具によるものだというのが最近の歴史学の定説」とありますが、
まだ、多数の説のうちの一説であるのが事実です。普通、学会では学校の教
科書に書けるようになって初めて定説といいます。例の長篠の三段打ちでさ
えもまだ定説として生きています。また、私は鈴木眞哉さんの説に賛成です
が、著者の鈴木眞哉さんは専門の学者ではありませんし、残念ながら文献学
的な手続きが不完全です。それに学会誌に報告されていませんので歴史「学」
界では相手にされてないと思います。そんな意味で「定説」というと誤解を
招きます。良かれ悪しかれ学問の世界とはそんなものなのです。
tk
るん
派閥・学閥によっているくだらない方(?)もたくさんいらっしゃいます
が、ここで「定説」と言っているのは、本来は誰もが文句を言えないくらい
に立証され尽くされた説という意味です。(いわゆる「定説」がすべてそう
ではありません。)
学問の上では穴のない立証をすることは大変難しいのです。本来、歴史学
の論証手続きは大変厳密なものなので、それで、どうしても資料的に完備し
ていて欠点の少ない説の方が有利になります。新しい常識を作るときにはそ
れだけ丁寧な立証を要求されるのです。
ただ、日本では戦術眼・戦略眼を持った歴史家が非常に少ないのが残念で
す。本職である参謀本部の日本戦史でも?と思う部分がけっこうあります。
やはり、すべて自分たちの型で発想してしまうのでしょう。
日本では軍事学が普通の人の一般教養ではなく、マニアのものとされてい
るくらいですから、軍事史が史学の正当な一部分とされるのも難しいんでし
ょうね。
tk
MITTU
ささき
とらえられていたと何かで聞きました。
であれば、侍の子弟は箸、筆、刀は半ば強制的に治されたことは想像に難くありません。
それに鞘あたりを極端に嫌ったことから刀は左に差すものと決まっていたそうなので、刀は普段持ち歩き大衆の目に触れる侍の看板ですから、いざというときを踏まえてなお更右利きで剣の修行をしたと思われます。
但し飛び道具は戦時のものですので、結構融通が利いたのではないでしょうか?
但しこれは江戸時代のことで、それ以前は関係無かったかもしれません。
少なくとも私は左利き用の刀剣の拵えを見たことはありません。
MARO
ただし五輪書にも有りますように、「刀は左右の別無くこれを良く使い」と言うことで稽古でも正二刀、逆二刀と両方を稽古します。
刀自体には左右の別がありませんから、腰への差し方のみの違いでしょう。
立会いの場では差し方は既に問題ありませんから、腰の左右が関係してくるのは居合の場だけです。
これは訓練により矯正するより無いと思います。
Sq