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直接照準射撃と、間接照準射撃の厳密な区分点はどこににるのでしょうか。 はたの |
はたの
なっとー
なっとー
実射の試験(ベンチ射撃)では、砲内照準器を用いた直接照準方が採られるんですが。
そのときは照準者と砲操作者が別だったり。これは直接照準?間接照準?どっちになるんだろう?
sorya
sorya 様もご指摘のように、観測者と「自分」の関係できれいに割り切れるものてもないでしょう。「自分」とは誰なのか。直接装置に触れて撃発させる者でしょうか。銃ならそういえるでしょう。では、砲の場合は? 各砲担当者でしょうか、それとも、その戦術単位の指揮官でしょうか。また、たとえばグレネードランチャーを遮蔽内から撃つ場合、一瞬遮蔽から顔を出して敵位置を認識し、その後、遮蔽内から曲撃を行なう場合、観測者と「自分(「さっきの自分と今の自分は別人」といわない限り、どのような解釈でも)」は同じとなりますが、これも「直接射撃」なのでしょうか。一方、近代に限れば、艦砲の場合は「自分(砲塔要員でしょう)」と観測者は常に異なります。弾の落下補正を要しない近距離で撃つ場合も間接照準射撃になることになります。
知りたいのは、そうした中間的な諸例を含めてもきれいに判別できるメルクマーがあるのか、あるとしたら何か、
です。
以上、当初補足を再度補って、諸賢のお知恵を求めるところです。
はたの
要は、その火器が装備している「照準器」の中に目標を捉えて撃つのなら直接照準と言ってよいと思います。
艦砲の場合、軍艦はそれ自体ひとつの兵器として捉えられている面があります。
兵器「軍艦」の照準器は、射撃指揮所(測距儀と方位盤)でいいのです。
ですから、間に弾着観測機や陸上の観測所をはさまない限りは「直接照準」と言えます。
陸軍重砲の場合、砲側の照準器を使う機会はほとんどありませんが、その「砲」がひとつの兵器として捉えられていますから、観測班を介した「間接照準」がメインの火器であり、「直接照準」は緊急時に用いる、と、そういうところではないでしょうか。
それが曲射弾道であるかどうかは、あまり関係ないと思います。
「照準器」で覗いてみて、見えないところの目標に撃ちこむ(但し、あてずっぽうの弾幕射撃は除きますが)のが、間接照準射撃と理解しています。
まなかじ
とすると、まずは、「未来位置をきちんと予測しない弾幕射撃」はます、「直接/間接」のラインからはずす、と(フル・リード、ハーフ・リード等をきちんと予測する狙撃はまたべつだが)。
で、「砲/銃に組み込まれた照準システム」を使えば、(近似的)直線弾道であっても、曲線弾道であっても「直接射撃」。
「システム外」の情報をもとにするのが「間接照準射撃」。
で、しつこい再質問で申し訳ないのですが、以下の3例はどう解釈されますでしょうか。
1、はるか遠くの観測班と砲に情報リンクシステムがある場合。艦砲の砲と照準システムを陸に揚げて、物理的距離をうんと伸ばして、けれどシステムの一体性は確保できているような。。。。観測班が期待着弾位置を指示すれば「間接」、砲側に敵位置情報が伝えられ、それをもとに砲側の人間が砲身をそこに向けたら「直接」でいいのでしょうか。それとも、こうした情報連結が行われれている場合には、「直接/間接」の区分は意味を失っていくのでしょうか。
2、光学照準器を装備しない小銃などで、設計限度を超えた長距離射撃を試み、照門の調節範囲を超えて、ただし、弾幕射撃でなく(客観的にはマグレ狙いとなろうが、主観的には、弾道曲線を暗記しておりかつ正確な測距ができているとかで、きちんと「照準」しているつもり)のような場合。ちなみに、光学照準器非装備、としたのは、光学照準器の視野を外れたらどうにもならん、というぐらいの意味です。
3、1の言い換えみたいもんですが、たとえばもやがある場合、いやな位置に強い光源がある夜間などの場合に、小銃操作者と別地点の観測者・機器の情報をもとに、小銃に組み込まれたディスプレイ上に、あたかもその(小銃かがある)位置から見たかのような架空映像が表示され、小銃操作者が狙って射撃する場合。
直接/間接にメルクマールを置こうとするのが無理なのかもしれませんが。
はたの
なぜそうなのかは既に書かれている答えが本当に理解できていればわかるはずです。もう一度ここまでの回答をよく読み返して意味を充分に理解してください。
なっとー
情報送達の発達により、システムとしての「兵器」の輪郭がぼけるような場合にも、「間接」と「直接」を明確に分ける、いわば「定義」が成り立つのか、成り立つとしたら何によって線引きされるのか、を質問したもりでした。つまり、「観測者」と「照準者」あるいは「銃/砲身をコントロールする者」等が明確には区別できないよう状況でも、「間接」「直接」という区分はなお有効なのか、ということです。
ですので、なっとー様の最後のレスのように、「理由は自分で考えるように」と言われても困ります。演繹的に考えようとしているのに、帰納的なサゼスションですから。
ですので、また、表現にひつかかるところもありましたので、お寄せくださったコメントの内容については、謝意を述べることはできません。が、何の見返りもないのにコメントをお寄せくださったことそれ自体については、篤く御礼申し上げます。
あわせて、読むだけで危惧を感じられたかた、不快感を持たれたかたがたにも、説明不足をお詫び申し上げます。
はたの
ささき