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第二次大戦中ドイツはなぜ日本にパンツァーファウストとかの対戦車兵器を教えてくれなかったのですか? ヒノ木 |
そうならば昭和18年半ば頃にドイツから技術導入されています。
パンツァーファウストに似た試製五式四十五ミリ簡易無反動砲やバズーカに似た試製四式七センチ噴進砲などが試作されています。
光人社NF文庫「大砲入門」(佐山二郎著)に写真と説明が載っていますのでご一読をお勧めします。
yuji
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がベルリン郊外での試射に立ち会い、その後に現物は最初はドイツ商船で運ばれ(ただし失敗)、次にUボートで
運ばれてアフリカ東岸で日本のイ29と会合し日本側の供与物資(自動懸吊装置、特潜の設計図、酸素魚雷)と
交換で日本側に供給されました(元ネタは木俣滋郎著「幻の秘密兵器」)・・・・と言うわけで教えてはもらってます。
徳田八郎衛氏の「間に合わなかった兵器」(1.和製バズーカ、戦場に達せず)ではドイツ技術者も来日したらしい
のですけど、日本陸軍では彼等をあまり活用しなかった様に書かれています。
佐藤利行
『世界兵器図鑑<日本編>』では
駐独武官 落合武夫少佐(↑で佐藤さんが書かれている日本大使館の技術士官はこの方の様です。)からタ弾の贈与が伝えられました。昭和17年3月、ドイツを出発したドイツ国防省兵器局のパウル・ニーメラー大佐は貨物船タンネンベルグ号に乗船し北海→大西洋→インド洋経由で昭和17年5月、日本に到着しました。そして市ヶ谷の陸軍省で陸軍次官木村平太郎中将に持参した資料(タ弾の極めて簡単な図面と小銃用擲弾)を渡しました。この時の小銃用擲弾 Gewehr_Panzerghanate(G.P_2_gr)と発射器(シース・ベッヒャー型)は模倣され2式対戦車小銃擲弾となった、とのことです。
『大砲入門』では
昭和17年5月ドイツ陸軍省兵器局の弾薬班長ニーメラー大佐に携行させタ弾の模型と図面がもたらされた。ニーメラー大佐とその後別の船で到着したドイツ陸軍の技術大尉の二人から陸海軍一緒に指導を受けた、となっています。
『幻の秘密兵器』では
経緯は↑に書かれているとおりです。この本ではUボートとイ二九が会合したのは昭和18年4月となっていますが、同じ項の中でタ弾である2式(つまり昭和17年)対戦車小銃擲弾や2式40ミリ撒布弾についても書かれており内容に矛盾があります。
私は昭和17年5月伝来と思っていますが、他の説をご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
yuji
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