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Tシリーズのソ連戦車の番号に、規則性のようなものはあるのでしょうか? おそらくは制式化(西側で公式に確認された?)西暦の下二桁だとは思うのですが、34より35の方が早かったり、突然10に飛んだかと思うと54に増えたり、まるで法則性がないようにも見えますが。 竜田川 |
- 第二次大戦後の主力戦闘戦車(MBT)では、制式化された年代に近い数字をつけているものがあります(例えばT80)。しかし、T34など大戦中の戦車の数字はは制式化された年代とは一致しません。大体、1934年というとBT戦車もまだ出てなかったのでは。
ご質問のT35(1932年登場)ですが、労農赤軍機械化自動車化局の設定重量が35tであったことに由来するようです(実際は設定重量を大幅にオーバーする約45t)。中戦車のT34と異なり、重戦車に分類されるものです。
それからT10ですが、JS(ヨセフ・スターリン)重戦車の最終型に当たるものです。元々はJS−8とする予定だったのですが、丁度フルシチョフによるスターリン批判がありスターリンの名前を新戦車につけるわけにはいかなくなり、T−10と名称変更したわけでして。こちらも中戦車に分類されるT54とは異なるジャンルの戦車ということになります。
ついでに、大戦中の軽戦車でTが頭につくものを見ると、T37、38、40と行って、T40の発展型がT30というように、結構、番号の逆転が生じています。試作だけに終わったがT41はT37より前に出ていたりしますので、非常にややこしい。色々な事情があったのだろうけど。
アリエフ
- ソ連戦車の命名ルールは判りませんが、T-34についてはオスプレイ・ミニタリー・シリーズの「T-34/76中戦車1941-1945」に由来が書かれていたので、紹介します。
これによると、T-34の名称は、制式化された年ではありませんが、西暦の下二桁から来ている様です。
ちなみに1934年は、「ソ連戦車部隊の増強が布告された年」で、それを記念して命名されたと言うのが表向きの理由で、
他に、「セルゲイ・オルジョニキーゼが戦車生産計画の指導者になった年」や
「設計者のコーシキンが新型戦車のアイディアを最初に思い付いた年」でもある様です。
mikey
- >1について訂正、BT戦車は最初の量産型BT−2が1932年には量産されており、34年はBT−5が量産されていた頃です。
で、偵察用小型戦車のT37(軽戦車というよりガーデンロイドのタンケットの流れ、制式採用33年)ですが、これの開発・生産を主に担当したのが第37工場でして、この工場名に由来しているのではなかろうか?と考えてます。T37を手がけたアストロフ技師により、T37の発達型のT38(制式採用36年)、トーションバーの採用など新たな構想の偵察用軽戦車として登場したT40(制式採用40年だから、これは西暦と一致しているのだろうけど)、以後はT30、50、60、70、80、90と、試作だけに終わったものを含め、10増やしたり減らしたりする数字となっています。
国家統制が厳しかった当時のソ連ですが、戦車の番号に関しては他のものとダブったり誤解が生じるようなことがなければ、結構、柔軟に番号をつけていたのではないか、と思ってますが。
アリエフ