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今回は日本戦車のペリスコープについてご質問いたします。 1940年代に入って外国の戦車ではスリットに変わって主流となるペリスコープですが、日本の戦車では九七式中戦車に見られるものの以後の戦車にはそれらしいものが見当たりません。 装甲のスリットは防御上の不安もあるものと思いますが日本の戦車でペリスコープが定着しなかったのはなぜなのでしょうか? 八郎太 |
- 私も知りたいです。
技術的問題とコストが原因だったろう事は容易に想像できますが、日本の関係者はペリスコープについてどう考えていたのでしょう?
チハで不評だった(壊れやすいとか聞いたことがあります)とはいえ、ドイツ(本格的なものはパンター以降のようですが)の影響を受けやすかった陸軍で開発、採用を考えなかったのでしょうか?
Jabo
- 国産戦車用潜望鏡については、「機甲」に掲載された<戦車の視察装置>と云う文章で、<国産戦車用潜望鏡>と云う項を設けて、その発想の独自性を<偉大なる大発明>と云う言葉で表現されております。
その一方で、<映像の不明瞭 車内部分の形状の大、装置が車体に固定して俯仰の出来ない事及び震動の点>で実戦部隊の評判はあまり良くないとも述べられております。ただし、そう云う記事があるからと云って、以後の戦車に潜望鏡が採用されなかった、と云う結論を導くつもりはありません。
この記事の筆者は、将来透明な鉄が発明されぬ限り、完全無欠な視察装置は現れないので、使用者は我慢して装置を使いこなすよう努力せよ、と結んでおります。
(ちなみにこの記事には、九七式中戦車用潜望鏡の図版等、構造が伺えるものは、一切記載されておりません)
印度総督
- 「車内部分の形状の大」これは考えませんでした。なるほど、です。
これでは現代のように覘視孔に代わるものとして多数装備するわけには行きません。
「使用者は我慢して装置を使いこなすよう努力せよ」とあるところを見ると「使い物にならないからやめてしまえ」と言うことではないようですね。
車長用としてはある程度は有効性を認めているということでしょうか。
それから97式中戦車(戦車マガジン増刊)を見ると、操縦手用に潜望鏡(ちなみに展望塔のものはパノラマ眼鏡とあります)が装備されているそうですが、これはどのようなものでしょうか?
たしかに操縦手席の上部に小さなハッチがありますが、車長用のものとは明らかに形状がちがいます。
こちらの方が今のペリスコープに近いものではないでしょうか?
Jabo
- >3
チハの操縦手用潜望鏡ですが、私も気になっていていろいろ写真資料を見てみるのですが、装備している車輛を見たことがありません。後日装備予定だったのでしょうか?
ワレアオバ
- お答えありがとうございます。
>映像の不明瞭 車内部分の形状の大
キューポラのパノラマ鏡は潜望鏡のように覗き込むのでなく画像をキューポラ内に投射する仕掛けのようですので、車長の行動を制約しない代りに確かに画像のボケやキューポラ内が狭くなる欠点も有りそうですね。
>装備している車輛を見たことがありません
操縦手用ペリスコープは展望窓あるいはスリットを使う場合は取り外すようですので、戦闘時以外は外していてあまり写真に残っていないのかもしれません。勿論部品不足や車長等の判断で最初から搭載してない車両も有りそうですが。
八郎太
- 八郎太様、>装備している車輛を見たことがありませんの件ですが、米軍に撃破された車輛にも付いたものを見たことがありません。私の調査不足かも知れませんが、少なくとも一般的な装備ではなかったと考えております。
ワレアオバ