627 |
日中戦争に際し、独伊は中国に対する全面支援を行うことを表明し、独伊は戦車 を初めとする兵器援助等を行ったと言うのは、本当なのでしょうか。伊だけで戦車 100両以上を中国国民党軍に供与したと聞きましたが、これは、日独伊三国防共 協定の信義にもとるものだと思うのですが。 戦史・歴史コーナーで聞くべきとも思いましたが、伊の戦車の話題が出ていたの で、ここで質問しました。どうか、よろしくお願いします。 山家 |
- 小国軍ならこちら、のサイトです。
http://member.nifty.ne.jp/kaba-maru/afv/chi_lf.htm
ゼークトなどの顧問団も派遣していますが、仮想敵ソ連の三国「防共」協定だけに(締結は日中戦争勃発後の37年11月)あまり気にしなかったのではないでしょうか。日本も大いに兵器輸出していますし。
ただ、さすがに更に日独伊の関係が進展すると日本側の抗議で撤収しました。
バツ
- 上海事変から南京陥落までの頃の中国軍というのは、それはもうドイツ軍っぽいもので。
ヘルメットはいわゆる「ナチヘル」、小銃はモーゼルGew98にKar98k(こいつの7.92ミリに対抗するための九九式7.7ミリなのです)、当然あのサスペンダー風のアミュニションベルトもあり、手榴弾は柄付のポテトマッシャー、戦車隊には1号戦車(印度総督さんの「兵器生活」を見ましょう、本館からも真実一路からもリンクで飛べます)、砲兵には15センチsFH18榴弾砲(捕獲されてラ式十五榴となる)あり、対戦車砲は37ミリPAK35/36が主力(捕獲されてラ式速射砲となる)、高射砲には海軍砲のSKC35あり(九九式八高の元ネタとなる)…。
まなかじ
- まちがいた
九九式八高の元ネタの砲はSKL45ですな…
まなかじ
- さらに追加
これはもうSKC30仕様になってたのかな
まなかじ
- どうも、回答していただきありがとうございます。最初の書きこみに少しフォロ
ーさせていただくと、当時独伊はスペイン内戦でフランコを支援し、人民戦線を敵
視していたはずだし、防共協定も締結していたはず(1936年11月に締結され
た日独防共協定に伊も最初から参加していたと勘違いしていました)で、1936
年12月に西安事件で第二次国共合作も事実上成立しつつあったのに、共産党と手
を組んだ国民党政府を支援するとは信じられないと思い、質問しました。どうもあ
りがとうございました。
山家
- >ごみやけど
戦中の雑誌やけど、独逸のI号戦車やフィアットの軽戦車なんかが捕獲されて
写真が紹介されたりしてます
独逸軍戦車のことは特に生産国の名称は書かず支那軍の新戦車(但し国産に
あらずと注釈入り)として書かれてます
たぶん軍部も「盟邦のくせに」と苦々しかったと思います
でも不思議とフィアットは有名な戦車だったせいかイタリア製と書かれてます
古本屋主人
- 軟筋逆札で行程羽が小人にする何奴腎はそういう物の売り込みのために現地にいた死の商人ですよね(似非万葉○名失礼)。そりゃ自分のとこの商品が評判落ちるような事になったらだまされるわな(何奴語だか営誤だかでどなったら素直に言うこと聞くほど語学力有ると思います?)
フッ!
- 私の見た戦前の雑誌では、1号戦車はソ連製、アンサルド軽戦車はフランス製と紹介されております。が、ドイツ軍やイタリア軍の紹介記事があると、1号戦車やアンサルド軽戦車の写真が平然と掲載されていたりします(笑)。
ドイツの37ミリ対戦車砲、37ミリ高射機関砲の評価は高いようです。
印度総督