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90式戦車は雑誌で第2次全体試作車が発表されてから14年、私の知る限り74式戦車や61式戦車の場合のように開発過程をモックアップや部分試作を含む各段階の試作車の写真を載せて解説された資料を見たことがありません。それはなぜでしょうか?近藤清秀氏のような技術開発官による90式戦車の開発過程の発表を阻止しなければいけない特別な理由があるのでしょうか? 又、全部で6両造られたという90式戦車の試作車、特に日本製鋼所で開発した120mm砲を装備したといわれる第一次試作車2両はこれまでに公表されたことがないようですが、その第一次試作車は現在どこにあるのでしょうか?私の推理は、朝霞に来春オープンする展示館の90式戦車(車輌ナンバーは95-4683、以前日本原にあったもの)がその第一次試作車2両のうちのひとつだと思うのですがいかがでしょう? (因みにhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~TANK-GUY/R-Type90MBT.htmlやhttp://www.jda.go.jp/jgsdf/pr/prcenter-b.htmlにその車輌の写真があります) その根拠としては、第二次試作車や実用型では車輌の一番後ろの左右の隅にある(車輌吊り揚用の?)フックがこの車輌だけは内側に30cmほど入った位置についていることをはじめ、上部のエンジングリルの形状等の細部が第二次試作車として公表されている写真(阿蘇での第二次試作車4両全部が写った写真、例えばPANZER91年1月号P38〜39等)とはだいぶ違っているからです。 また、第二次試作車(4両製作)の現状についての、私の推理は以下の通りです; 土浦の武器学校に展示してある車輌(土浦での車輌ナンバーは95-2224但し現在は抹消)〜 第二次試作車1号車(通算3号車;試験中の車輌ナンバー99-0043)または第二次試作車3号車(通算5号車;試験中の車輌ナンバー99-0049?)または第二次試作車4号車(通算6号車;試験中の車輌ナンバー不明) 前川原の陸上自衛隊幹部候補生学校に展示してあるドーザ付きの車輌(車輌ナンバーは現在は抹消)〜 第二次試作車2号車(通算4号車;試験中の車輌ナンバーは99-0044で、その後富士学校での車輌ナンバーは95-2224) これらの推理が正しいかどうか、及びそれ以外の90式戦車の試作車の行方をご存知の方は教えてください。 試作車 |
- 確か2次試作の4両は、3号車が耐弾試験でくず鉄(もっともどこかに保管してあるかもしれませんが)4号車(ドーザ付き)が富士学校の片隅にシートかぶってたけど現在不明。5号車と6号車のいずれかが武器学校、残りの1両が新戦車用のTTB(タンクテストベッド)の母体となって走り回っていましたけど。
これから考えると日本原にあった試作車は1次試作の物と考えて良いようです。
実は、日本原で車体番号(刻印されているもの)を撮影した記憶があるんですが、1次試作車だ!と感激した撮影したような気もするんですが、記憶があやふや。写真どっかいっちゃった。ビデオも撮ったような気がする。探してみます。
ただ、砲身はラインメタルだし、砲塔は違うのかな?
あと、幹部学校のものは「1次試作だよ」と幹校に行った同僚が言っていたような気がする。
なおナンバーですが、試作車なので全て99−XXXXと言うのが正しいナンバーです。
95-XXXXと言うのは制式化され使用している戦車に着けるナンバーですので試作車や展示車には本来使用してはならない番号です。
日本原のものは61式戦車のナンバーが吹かれていたもので、一緒に展示してあった他の戦車や装甲車も皆同じ95-4683の番号が付いていました。
ちなみに95-4XXXは61式戦車、95-0XXX・1XXXが74式戦車、95-2XXX・3XXXが90式戦車、95-6XXXが74式戦車(改)の番号となります。最も74式戦車(改)は4両しかないけど。
はいどーも
- >資料を見たことがありません。
そら簡単で、モックアップ等を公開すると、装甲がどのような形状で、どのような
方式で取り付けられるかわかるから。
それにしても開発官にはそこまでの政治力はないよ。そての政治的なお話をしちゃ
うのは開発官ではなく、内局だと思ったほうが無難です。もっとも、個人的なライ
ンから内局に話を持ってきた可能性は否定できんけど。
>95-…
なんで知ってる?一応公開してないのに(笑)
それはそうと、少なくとも試作で作った車両のうち、4両はスクラップになったは
ず。各種耐弾試験で。
で、その行き先は各会社に売り払われたと記憶してるよ。
sorya
- >少なくとも試作で作った車両のうち、4両はスクラップ
でも同時期に富士学校の動く試作車、武器学校の展示車、幹部学校あるいは日本原の展示車(日本原のものは幹部学校から持ってきたという話も聞いたことあり。)TTBに使われた車体。の少なくとも4両は存在していましたから、4両スクラップになったんじゃなくて4両分(直して使って)だったのではないでしょうか。
最後のAPFSDSとHEAT撃ちこんだ後のものはスクラップにするしかない感じですけど、他の耐弾試験はそれほど損傷を与えないと思いますので。(スクラップになるほど損傷していたらその方が問題のような。)
そうじゃないと、試作車8両あったことになってしまうんですが。
はいどーも
- いろいろあって、試作車は結構な数を作りました:-)
いろいろなところから掻き集めたり、提供されたりして,数量を確保と。
それもあって、TKXの試作数は少なすぎて性能の確認できんのではないか?と思う次第だったりするんですが。
>損傷が問題…
そんな事はない。試験の目的は破壊だから。
第二次の耐弾性能確認試験のように、ふつうに試験してたらいつになったら穴が空
くのやら…という状態だと性能が確認(ある意味確認はされてるけど極限性能が確認
できん)できん。
だから、spec. が確認できたら、今度は参考データとしてultimateレベルの性能確
認を必ずやってるわけ。そんなことすると、当然再生できないレベルまで破壊して
しまいます。
sorya
- 「はいどーも」さん、「sorya」さん、ご回答ありがとうございます。いろいろと参考になりました。しかし、まだ幾つかの疑問がありますので教えてください。
>実は、日本原で車体番号(刻印されているもの)を撮影した記憶があるんですが、1次試作車だ!と感激した撮影したような気もするんですが・・・。
この「車体番号」とは、銘板に記入されている例の番号ですか?これは「車輌ナンバー」とは違って、生産順に番号がつけられていたでしょうか?是非その番号を見つけ出してください。
>ただ、砲身はラインメタルだし、砲塔は違うのかな?
なぜ其の砲身がラインメタル製と判ったのですか?砲身にはサーマルジャケットが被せてあり、砲塔内部の砲尾でも見ないと判らないのではないでしょうか?
>あと、幹部学校のものは「1次試作だよ」と幹校に行った同僚が言っていたような気がする。
今週、実は幹部候補生学校の90式戦車を見てきました。今あるのは初めの質問にも書きましたが、ドーザー付の第二次試作車です。この車輌は数年以上前からあるとのことです。しかし、日本原の車輌がそれ以前に幹部候補生学校にあった可能性も否定できません。
>なおナンバーですが、試作車なので全て99−XXXXと言うのが正しいナンバーです。95-XXXXと言うのは制式化され使用している戦車に着けるナンバーですので試作車や展示車には本来使用してはならない番号です。
私もそう思うのですが、一般公開時は確かに富士のドーザー付の試作車は95-2815、武器学校の試作車は95-2224のナンバーが付けられていました。強いて理由を考えるなら、「10両ほどつくって散々テストを続けてきた90式戦車の試作車両は、いったん三菱重工が引き取って解体してしまった。・・中略・・現在富士にあるドーザ付の一両は、そこでバラしたパーツの中から状態の良いものを選んで再合成したものだという。」(「戦車マガジン」91年8月号)という記事を信じるなら、一旦ばらしたので、もう試作車輌ではないことにして95-XXXXナンバーを付けたのかも知れません。その他にも95-2892という試作車の形をしたものの写真もあります。(PANZER91年1月号P-34)
>日本原のものは61式戦車のナンバーが吹かれていたもので、一緒に展示してあった他の戦車や装甲車も皆同じ95-4683の番号が付いていました。
貴重な情報ありがとうございます。この番号は架空のものですね。元のナンバーが気になります。
>そら簡単で、モックアップ等を公開すると、装甲がどのような形状で、どのような方式で取り付けられるかわかるから。
74式戦車に関しては、既に戦車マガジン及びPANZERの78年5月号にモックアップの写真、試作1号車(STB-1)から6号車(STB-6)までのすべての写真、足回りの試作車STTの写真、STTに部分試作砲塔を搭載した写真、SSTに105mm砲を低い位置に搭載した写真、更にはエンジン単体の試験写真等が掲載されています。未だ冷戦たけなわの頃にこれだけのものが早い時期に公表できるのに、90式戦車に関しては冷戦も終結し、制式化から11年経ってもなぜ公表できないのか不思議でなりません。
>いろいろあって、試作車は結構な数を作りました:-)
非常に注目すべき情報で、先ほど引用しました「戦車マガジン」91年8月号の「10両ほどつくって・・」と一致するものです。そうしますと、世間で言われている一次試作車2輌、二次試作車4輌というのは正しくないということでしょうか?それとも、いわゆる初期量産車輌を「試作車」の様に使い、やり残したテストをしたというだけなのでしょうか?いったい何輌が試作車なのでしょうか?
>いろいろなところから掻き集めたり、提供されたりして,数量を確保と。
この意味するところがよくわかりません。もう少し説明していただけませんでしょうか?
>それもあって、TKXの試作数は少なすぎて性能の確認できんのではないか?と思う次第だったりするんですが。
先ほどの「試作車は結構な数を作りました」という説明と整合しないような気がしますが・・・・。
試作車
- 便乗質問。
朝霞の陸自広報センター(来年オープン予定)に運び込まれた90式戦車試作車の素性は? どこから持ってきたんでしたっけ?
ブラック・タロン
- >制式化から11年経ってもなぜ公表できないのか不思議でなりません。
そんな不思議な事でもないんだけどね。74式と一緒くたにされても困るよ:)
90の場合、最初からモジュール装甲という概念で設計しているわけさ。で、モック
アップを公開してしまうとなれば、そのモジュールの大きさ、形状も露出してしま
う訳。
そらどんな材料を用いているかが分からなきゃその性能の絶対値の推測は不可能で
はあるんだけど、それにしたって日本の生産技術を分析すれば、ある程度推測可能
なわけで、真値にはならんとが思うけど、それに近い推測されたらたまんない。
まあ、そんな訳。
一部マニア氏のために国防を蔑ろにしてもええんやったらナンボでも公開するよ(笑)
ちなみに言うと、TKX の装甲は90の装甲技術の発展型なので、その雛型である90の
情報なんかまだまだ出てこないと思ったほうが良いね。
>掻き集め
掻き集めるっていうたら金目とか(笑)
ほかの研究室から研究費を吸い上げたり、一部アイテムの調達を先送りにしてみた
り、どこぞからモノ自体を供出して貰ったり:)
で、具体的な数字は言えず。っていうか、QCの観点から高い信頼性で性能の計測が
可能な最低限の数字を繰り返したって感じですね。
>TKX
90の後継の話なんですが(笑)
少なくともわしが関わっていたときは、試作費用が焼く500 億。ってことは4両以
上5両以下。そんなんで性能確認できるかい!というのが正直なところ。
sorya
- >sorya氏
なるほど裏には裏があるということですね。
>ブラックタロン氏
朝霞の90式戦車試作車は日本原にあったものです。
89式も一緒に持ってきたと思ったけど。
>試作車氏
ナンバーに関しては、本来であればナンバー無しが正規でありますが、広報上の観点から90式戦車用のナンバーを割当てられたか、勝手に付けたかしたものだと思います。
研究が終わった時点て、99−XXXXのナンバーが外され、その試作車は「雑品」扱いとなります。雑品には「装備品」に付けられる95-XXXXは本来付ける事は出来ません。
同じような理由で朝霞に搬入された軽装甲機動車の試作車もナンバーがついていません。
戦車などは車体に吹き付けなので書くのも消すのも簡単なんでやったんじゃないのかと推測しています。ただ、通達等でしばらくの期間、示された番号を付けるように指示されていた可能性はあります。
>幹部学校の試作車
富士学校にあったものですね。
はいどーも
- 昔、PANZER誌に、第二次試作車や量産車とは、多少砲塔形状の異なる車両の写真が掲載されたことがありましたが…
(N)
- >昔、PANZER誌に、第二次試作車や量産車とは、多少砲塔形状の異なる車両の写真が掲載されたことがありましたが…
間違えて新規質問欄に書き込んでしまいました。申し訳ありません。m(__)m
耳寄りな情報なので、是非何年何月号か教えて下さい。
試作車
- >10.
すみません、正確な年・号はわかりません。林磐男氏が連載していた戦後AFV開発史の中で、連載の最後のほうで掲載された物です。
目に付いた違いとしては、砲塔前面部分の高さが低い(防盾と段差がある)。砲手ハッチの後方に大型の光学サイト(?)があるといったところです。
(N)
- >10
96年12月号ですね
tackow
- >(N)さん、tackowさん
お二人からの情報で、古本屋のPANZER誌(96年11月号及び12月号の林磐男氏の「戦車技術者のノート」)を調べたところ、私の探していた90式戦車の「走行試験用車体」および「一次試作車」の写真をついに見ることができました。お二人には感謝、感謝。
その「一次試作車」は日本原⇒朝霞広報センターの車輌とは全然違います。朝霞のものは、足回りはどちらかというと、上記の「走行試験用車体」(1981年に「赤旗」がスクープした車輌とと同じもの;「丸」1981年6月号にその写真が載っています)に近く、砲塔はラインメタル砲搭載の二次試作型以降のものに近いようです。つまりsoryaさんの言われていた「どこぞからモノ自体を供出して貰ったり」して作った試作車か、PANZER誌の「一次試作車」は2号車で、朝霞のものは砲塔だけをラインメタル型にすげかえた「一次作車」の記念すべき1号車のどちらかだと思いますがどうでしょう?
皆様のおかげで、いろいろわかったのですが、一次二次合わせて6輌だと思っていた90式戦車の試作車の数がもっと多いということで、新たな謎もできてしまいました。
私は、戦車に興味を持ち始めてまだ日が浅いので、戦車についての調査は「PANZER」誌及び7年前に廃刊になった「戦車マガジン」誌しか知りません。最新の自衛隊の試作車の情報や技術開発官や内局が開発秘話のようなものを発表する媒体はどの雑誌あるいは専門誌でしょうか?
試作車
- >13
PANZER誌以外だと『軍事研究』誌辺りはどうでしょうか?
ブラック・タロン