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タイガーIを5台のFAMOで牽引している写真がありますが、戦車回収車で損傷戦車を回収するというのはワリに合うもんなんでしょうか。回収中に回収部隊がかえってやられちゃうという事もあるでしょうし。 たとえば1台の戦車を回収しに行く場合どのような編成で行くもんなんでしょう。また、例としてタイガーIとFAMOの値段はそれぞれいくらなんですか(当時の物価なども教えていただけるとうれしい)。 まつおか |
- http://iquebec.ifrance.com/2iemeguerre/blindes/sdkfz._9_famo.htm
これによると(フランス語なんで自信無し)どうも60,000RMぐらいらしいですね
同時期のパンターが117,000RM、概ね戦車の価格は時期や型式で異なりますが10〜12万RMぐらい
確かティーガーは20万だか25万だかしたような気がします
なおこれらに武器屋装備品の全ての価格が含まれるのかどうかは判りません
まあ、18tハーフトラックで重戦車を牽引する場合
3台以上が必要ですし、パンターでも2台では過負荷でしょうから
それを考えると回収戦車を使うのは理に叶っているのかもしれません
ちなみに
P08拳銃が32RM、Kar98K小銃が70RM、StGw44突撃銃が66RM、RPBz43パンツァーシュレックが70RM
MG34機関銃が350〜400RM、MG42は250RM
5cm迫撃砲GrW36は400RM、8cm迫撃砲は810RM、12cmは1200RM、各種大砲は1万〜4万
もちろん実際は導入時期とかでも価格は違うでしょうから単純比較は危険ですが、参考までに
戦前の大衆車用自動車で2000〜3000RM(勿論ワーゲンはもっと安いでしょう)
SUDO
- 戦車の組立開始から最前線配備までわずか3日位で済むならば(?)、損傷戦車の回収にそれほど熱心になる必要も無いでしょう。工場でできあがったばかりの戦車をそのまますぐ近くの前線に動かしていったという、41年冬のモスクワのソ連軍ならともかく、本国の工場から数百キロ離れた東部戦線にまで新品の戦車を輸送させるだけで、どのくらいの日数がかかると思いますか?
近くの基地に持ち帰ってパーツ交換・整備すればすぐ再使用できる戦車をそのまま戦場にほったらかし、何日も新型戦車が来るのを待っているようで戦闘に勝てるのでしょうか?
アリエフ
- (補足)エンジントラブルなどの故障だけでなく、砲塔が損傷受けても車体は無傷というような場合、周辺部隊の監視・援護により回収作戦の安全性が完全ではないもののある程度確保されているならば、その戦車を回収し後方に持ち帰って砲塔を交換し再投入した方が、費用及び時間の節約になります。
資源、資材不足に悩まされていたドイツにとっては一台でも多くの再使用可能な損傷戦車を回収したかったのだろうけど、回収作戦が困難だったり失敗したりして、結局、放置せざるを得なかったものも多数あると思います。
アリエフ
- >2
質問の主旨は損傷車両の回収の是非ではなくて
専用回収車両を使うのと汎用トラクタ数台使うのでどちらが良いのかを尋ねているのではないでしょうか?
余談ですが
回収作業は危険が高く、場合によっては戦車の援護を受けた一種の決死隊によって行われる場合も有ります
また反対に比較的安全な道端でエンコしたような場合は回収班がやってくるまでノンビリ待つ事も有ります
よって回収部隊の編制や構成は時と場合によって千差万別としか言い様が無いです
エンコした戦車を引っ張り出してる写真は幾つも存在しますが
人員の多くはその戦車の乗員や戦車部隊から出ていることも有ります
尚ドイツ軍の回収部隊ですが
とりあえずここらを参考にどうぞ
http://village.infoweb.ne.jp/%7Efwkh5241/San.html
意外と回収戦力が貧弱なのが目に付きます(;_;)
ここにも若干の事例が紹介されてますね
http://www.interq.or.jp/japan/maisov/oss/nokorizenbu.htm
また重戦車大隊等では重量にあわせて一層充実した回収戦力を持っています
一例として、クルスク戦北翼を初陣として苦闘しつづけた653重駆逐戦車大隊の編制
http://members.tripod.com/~Sturmvogel/653.html
SUDO
- ティーガーの価格、1943年10月11日の時点で火砲・弾薬・無線機・光学装置一切込みの軍納入価格が30万RMだったそうです(この価格に上乗せされて64万5千RMで日本に輸出されることになる)。また『ティーガーフィーベル』には80万RMとあり、これは「3万人の1週間分の報酬」にあたる。と書いています。パンターの価格は武装込みで15万RM程度の様子。
質問の趣旨、私には「回収の是非」のように思えるのでそれについて書くと、整備部隊とともに、回収部隊は死命を決する存在といえます。
第502重戦車大隊の1944年6月22日から8月21日までの回収小隊の牽引回収作業数実に144回、同じ時期ティーガーの保有数はソ連軍大攻勢の最中ということもあって56輌から27輌に減っていますが、仮に真ん中の定数45輌で考えてみると、1輌が2ヶ月間に3回の回収作業を受けている計算になります。もし回収を受けないとなると、1ヶ月で保有ゼロになってしまいます。
回収小隊の構成ですが、重戦車大隊内の戦車整備中隊(編成番号1187b)のタイプで18トンハーフトラック13台(うち10トンクレーン付き3台)、3トンクレーン付き4.5トントラック3台,他にキューベルワーゲン2台。これがエレファント部隊(編成番号1187c)になると18トンハーフトラックが(たぶんクレーン無しだけで)15台に増やされます。後期になると運がいいとベルゲパンターが2輌程度配備された様子。
バツ
- 質問の主旨は、回収作業の是非ということでよかったです。
タイガーIは当時の車の値段や給料から考えると数億円から十数億円ということになるでしょうか。
2ヶ月に3回回収作業が行なわれているというのは驚きです。戦車というのはすぐ壊れる機械とは聞いていましたが。
回収される戦車は、主に壊れて動かなくなっているがが直したら使えるものなんでしょうか。明らかに直らなそうなぐらい壊れちゃっている車両を資源として持ち帰るということはないんでしょうか。
まつおか
- >6
シュトゥルム&ドラングのパンターにはスクラップ同然のパンターが
後送中に空襲を受けた写真がありました
どの程度までが送られるのかわかりませんが、結構後送してたみたいです
野戦病院でもある整備部隊は送り込まれた中から早期復帰できそうな物から手を付けると思いますが
回収のほうはどうなんでしょうね、近くの物から回収するのか
直る可能性の高いものから回収するのか、その順位付けはどうだったのかはっきりとしません
直らなくても部品取りには使えるし、後送も出来ますし
そのときの状況でも変わるんでしょうね
なお、件の写真のパンターは履帯が全部外されてました、たぶん部品として確保されちゃったんだろうな(笑)
SUDO
- アメリカのTV番組で戦車回収隊に居たベテランのインタビューがありましたが、「徹甲弾の貫通した穴を塞ぎ、血肉や脳漿の飛び散った車内にペンキを塗ってまた前線に送り出した。気の滅入るような仕事だった」と語っておりました。物資なんて有り余っていそうな米軍でも、使えるものは片っ端から回収して再利用していたようです。
ささき
- タミヤニュース誌Vol388『モデラーのための戦史』によると42年のブラウ攻勢に際して、ドイツ軍は前線での修理困難な車輌は国内に点在する戦車装備補給処に集められ、ここから各メーカー・ウィーン陸軍工廠に送られ修理、再び戦車整備補給処で兵器・装備・弾薬を支給され前線に返されるシステムをつくっていたそうです。
42年秋、戦場の拡大によりこの体制では応えきれないになるとロシア国内の各軍集団の下に戦車修理車輌工場(ドイツ語を略してK工場とも呼ばれる、業務はMAN、ダイムラー・ベンツ、クルップなどの民間に委託)を設け、大破戦車でもここで修理できるようになり、以後この体制が続くことになります。
しかし他人のふんどしで相撲とりっぱなしも心苦しい…。
バツ