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すいません。連続質問で・・・ 連合国側は日本の新型戦車をどの程度警戒していたのでしょう? また、連合国側は日本の戦車開発についてどの程度の情報を掴んでいたのでしょう? 飛行機については、捕虜尋問などによってある程度の情報をつかんでいたとは聞きますが、 こと戦車については無知なせいで聞いた事がありません。 連合国の調査団が戦後になって4式中戦車を見た時、「これが早期に量産されていれば我が軍はさらに 苦戦を強いられていただろう」と語ったそうですが、このことからもあまり日本の新型戦車の情報 を掴んでいた、もしくは警戒していたとはおもえないのですが・・・ また、連合国側の警戒度については、シャーマンへ正面から有効な打撃を与えられる能力をもった 1式ホニ1・2や4式ホロが出現したフィリピン戦以前と以後についても聞きたいです。 P-kun |
BUN
近代的な重戦車を設計する能力がある。ただし、大量生産には障害があるので
は?という感じで書かれています。
捕獲した戦車や実際に戦場であいまみえた兵器に関しては詳しく掲載されて
いるのですが、試作あるいは計画中のものに関してはたいした情報を掴んでは
いなかった模様です。
我が軍の情報収集能力と大同小異でしょうかね。
tackow
「国民科学グラフ」と云う雑誌の第三巻第三号(昭和18年3月発行)では、「列強の戦車くらべ」と云うタイトルで、重戦車の話が出る(ただし図版はM2?軽戦車の図解のみ)。
フランスの3C戦車=機動性が悪くてドイツ軍には手も足も出ないと切り捨てられる
ソ連「50トン戦車」と云う名称で、KV−1、2。「中戦車を若干大きくした」重戦車としてT−34。T−34の砲塔は電気旋回式で注意を要すとあり。
英は「最新鋭を誇る」マチルダ2型。特長としてディーゼル機関装備と解説されている。あわせて重戦車としてヴィッカース32トン戦車(恐らくインデペンデント多砲塔戦車)、ただし装甲25ミリは心細いとされている。
米はM3中戦車。重量は28トンあるので「当然重戦車に属するもの」。
この記事は、荘司武夫陸軍少佐の署名があるが、これら重戦車は「防御的使用となる事は止むを得ない」が、こう云う考えの軍隊は敵に勝てるものではないとまずは一蹴している。しかし将来はエンジンの進歩により、戦車の重量は増え、武装も強力になり、攻撃に威力を発揮するであろうと結んでいる。
同じ雑誌の一年後、では、吉永義尊陸軍少佐が「最近の戦車の発達」と題して、もう少しまともな記事を書いている。紹介されている戦車(写真のあるもの)は、
ドイツ「虎」戦車(タイガー1型)、米M4「ゼネラル・シヤーマン」、ソ連KB重戦車(KV−2)、英「チャーチル」歩兵戦車、米M1重戦車「ドレッドノート」(試作車輌のようです)
記事内容は、戦車の発達史から始まるもので、「スペイン内乱に於て小型戦車の無価値が認められた」「今日主力戦車の武装は75粍以上でなけれぱ人並ではない」装甲についても「シャーマンも85粍以上の厚さを有し」速度は「「虎」戦車が時速45粁以上の快速」で「鈍重兵の名の如きチャーチルも26粁は走る」と、前年の記事に比べて冷静に現状を述べている。
当然米英を小馬鹿にした記述もなければ、日本戦車の現状も今後の展望も無いと云う、戦争末期の軍事雑誌にみられる内容になっております。
「主力戦車の武装は75粍以上でなけれぱ人並ではない」と云う記述の背景には三、四、五式中戦車の存在があると推察されますが、戦地の事を思うと納得できかねますね。(長文でスミマセン)
印度総督
国民レベルはそのように敵国戦車に対して深い知識を得ていたのでしょうが、日本戦車界の重鎮、原乙未生中将は「T34は多砲塔戦車だ」と信じていたようで、学生から「それは後ろの戦車の砲塔が写真に写り込んでいるだけだ」と指摘されても「第二砲塔だ」と譲らなかったと「原乙未生追悼集」にあります。
BUN