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九八式、二式軽戦車の実戦での写真を全く見たことがありませんが、この両者どの程度部隊配備されていたのでしょうか。 Sampon |
二式軽戦車の生産数についての正確な数字を自分は知りませんが、生産開始が1944年と二式砲戦車・三式砲戦車と同時期なので、おそらく両者と同じくごく少ない生産数のためにほとんど部隊には配備されなかったのではないでしょうか。
二式砲戦車
BUN
ク−7やキ−105の開発が始まる前に九八式軽戦車の開発は終わっているはずですので、その改良型の二式軽戦車が空挺用に開発されたとは思えません。むしろ、搭載する軽戦車の目安を九八式として先の2機種を開発したのではないでしょうか?
あと、今のところ、挺身戦車隊(←空挺戦車隊)が九八式軽戦車を19両装備していたことが確認できます。記述では二式も配備されていたようです。
tomo
BUN
しかし、私は円筒形の砲塔を持つ戦車が九八式だと思います。tomoさんが九八式と思われている車両は恐らく「九八式軽戦車」ではないと思いますよ。
BUN
新砲塔ケニは、47粍砲を搭載したもので別に存在します。
よって、ケトはケニの改良型ではあるが、ケニ改ではありません。
>円筒形の砲塔を持つ戦車が九八式だと思います。
円筒形の方がケト(二式軽)です。
これは、tomoさんのご意見の方が正しいと思います。
ケニには、クリスティー方式を実験試作したケニBが存在しますが
これの砲塔も円筒形ではありません。
そもそも、ケトの砲塔がケニに比べ大きいのは
より火力の大きい搭載火砲のため砲塔を大きくしたのだと考えます。
また、砲塔乗員1人のハ号と違い、ケニとケトは砲塔乗員2人になっていますが
ケニは、車体全体がハ号よりコンパンクトになってます。
ですから、砲塔2人になっているのにそれほど砲塔大きくしなかったため
運用上不便であるということで、
改良型のケトになってから、拡大したとも考えられます。
あきんど
BUN
円錐型砲塔の写真は武装のないケニBの写真と砲身にカバーを掛けたケニ(生産型)の写真があります。(というか、他に知らんのですが……。)改めて見比べたのですが、車体側面の傾斜と砲塔側面の角度がほぼ一緒でラインが直線に見えます。円筒型砲塔だと、車体側面と砲塔側面の角度が異なり、したがってラインが鈍角になってます。また、主砲取り付け部分の砲塔との角度、砲塔後部の角度が円筒型に較べて急です。
>九八式軽戦車改(新砲塔ケニ)
あきんどさんの仰った戦車、確認しました。試作軽戦車で九八式軽戦車改という頭でっかちのものものですね。
追加情報 九八式の生産開始が昭和17年。ク−7の開発開始が同年末です。
tomo
BUN
また、挺身戦車隊への九八式の装備については「日本の戦車」を参考にされたのだと思いますが、あそこの数字は自ら一部が不正確と注記しているように、部隊により相当な間違いがあります。終戦時に参謀本部が纏めたある資料を基礎に情報を加えて作成したものと思えますが、信頼度60%といったところでしょう。確認、とはいかないのが残念な所です。
で、その原中将の下にあった四研の歴史をまとめた手書き、ガリ版の「四研史」には二式は生産していない、とあり、この「四研史」の発行者代表は他ならぬ原中将です。また原中将自身の回想を読む限りでは、原中将は補助戦車にはあまり関心が無かったようにも読めます。要は原乙未生の名前が冠してあっても内容は様々といった所でしょう。今日、見返した資料はそれだけです。あとは後程。
BUN
そのことは、PANZER臨時増刊を見たときに
自分も考えました。確かに、その可能性はありますね
>部隊配備後の写真が数枚公開されている円筒形砲塔のあの戦車が九八式ではないでしょうか。
部隊配備されている写真を見てみました
明瞭じゃないのではっきりしたことはいえないですが
ケニといわれているものとケトといわれているものの砲塔は同じ見たいですね
ということは、一般にケトといわれているものは、
全て本当は量産型ケニであるということなのでしょうか?
あきんど
九八式(ケニ)は単なる試作車であって
実際に完成し、量産が始まったのが17年ということで
量産型を二式(ケト)と呼んだのでしょうか
つまり
ケニ(試作車)=ケト(量産型)ということなのでしょうか?
あきんど
解決はしていないけれど、九八式と二式の間に何か事情があるのはほぼ確実でしょう。
BUN
ただ、空挺用の改良というのがどうも納得できません。今のところ私の思いつく説明は、搭載航空機に余裕が見込めたので、重量増加(150kg)をあるて程度許容して砲塔を改良したという位なのですが、いまいち説得力に欠けます。何かご存じありませんか?
>「四研史」
参考資料一覧のなかで名前くらいは見たことがあったのですが。暇ができたら探そうと思います。所蔵しているのは恵比寿でしょうか?
それにしても、そんなに貴重な証言がガリ版印刷とは……。惜しい。
tomo
まず、
ケニの開発は13年にスタートしています。
そして、開発後、新砲塔チハ同様、
試作車輛は量産されずに放置されていたようです。
ようやく量産が始まったのは、17年になってからで
その後、18年まで百十三輌が生産されています。
そして、19年から改良型のケトに切り替わり
29輌生産されている。
とすれば
試作型新砲塔チハも量産型新砲塔チハとが若干異なっていたことを考えると
ケニも、試作型と量産型が形状が違うのではないかと推測します。
また、部隊配備の写真の中に
円錐形の砲塔の車輛による写真が見つからず
全て円筒形の砲塔であることから
量産型の砲塔は円筒形であって
円錐形の車輛は、ケニの試作型であると推測できるのではと考えます。
更に
ケトの写真も円筒形であることから
ケニの火力増強型であるケトも円筒形の車輛であると考えます。
あきんど