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>22 また、私は>17において帝国陸軍が間違っていると主張しているわけではなく、「太平洋の島々でも戦車は役立たずではない」「大隊・中隊レベルの戦闘への火力支援には歩兵に随伴する戦車が最も適していた」ということを、もし帝国陸軍がまったく認識していなかったなら、「情報を歪曲して解釈していたとしか思えない」と論じたまでです。実際の所は、バンカーバスターまたは移動トーチカとしてのM4の有用性は(車外通話装置などを有するM4は歩兵支援戦車の傑作です)、帝国陸軍とて実戦の結果から身に染みて認識しており、まったく眼中になかったわけではないのだと考えます。 sharman |
sharman
島嶼攻略で日本軍の陣地つぶしM4(他の戦車でもいいですけど)が有効であると認識することと、
日本軍が防御戦術を組み立てるにあたって(地形による運用のしやすさに関係なく)戦車を補助的な防御兵力
として用いて、火砲を主軸に防御を行った方が効率的であるとするということとなんら矛盾はないと思うのですが。
なにも島嶼などの防御戦闘で好きこのんで(防御側が)戦車による対戦車戦闘をしかける必要性があるのでしょうか?
日本軍が攻撃側というのなら話は全然別になると思いますが・・・。
(インパールのケースは日本軍は攻撃側?でしょうか。)
トラFD
また「M4など眼中に無い」のは日本の機甲科の中枢が戦車開発において、対抗するべき敵戦車としてM4を中途半端な戦車と捉えていると言っているのです。よく読んで戴きたいところです。
日本軍がM4との戦闘について意識し始めたのは先に書いた通り19年半ば頃のことで、当時の対戦車教範にはM4の各部の装甲、効果のある射撃法、各種火砲の有効距離等が詳しく述べられています。ここにはM4戦車は大きなイラスト付きで、攻撃対象となる部位を細かく指定されて描かれており、非常に実用的な内容なのですが、旧型戦車の戦車砲がM4に対して有効でないということもまたデータとして示されています。これは逆に言えば、小口径砲搭載の戦車が対M4戦車戦任務を積極的に担っていないという一つの証拠とも読めますね。
また、M4は良い戦車なのでしょうが、生きている特火点の前に踊り出るような戦車はいません。各国の教範類でも戒められている不注意な使用をされた戦車は災難でしょう。沖縄の掃討戦での「馬乗り攻撃」等のイメージからの誤解なのではありませんか?
必要とされるのは縦深のある陣地と火砲なのですから、機甲科が島嶼戦においてM4戦車の存在を軽視しても、情報の歪曲などではありません。
また、「大隊、中隊レベルの戦闘への火力支援には歩兵に随伴する戦車が最も適していた」とは何に書いてある誰の文章なのでしょうか。大隊規模の大戦闘と中隊規模の戦闘とは現実に起こりうる戦車を伴った戦闘の上限と下限位の差がありませんか?軍人の発言とはとても思えないのですが・・・。
BUN
インパールの十四連隊も山道で戦車と戦った訳では無く、平地で戦闘しています。
BUN
島嶼配備の戦車隊に関しては、機動反撃で上陸部隊を海に追い落とせるという幻想があったのでしょう。さすがに後期になると地中に埋めてトーチカとして使用する例もあったようです。ただ、M4と撃ち合うのは無理としても、LVT水陸両用戦車に対してはかなりの戦闘力を発揮することができますから、期間限定の機動反撃用ということなのではないでしょうか。
>3
確かに、敵のバンカーの前に無策で出ていったら撃たれるだけだと思います。しかし、バンカーを攻撃しないのだとすると、105mm砲・火炎放射器装備のM4は何を相手にするべく配備されていたのでしょうか?
大隊中隊云々は私見ですが、間違っているでしょうか? 海兵隊大隊や中隊に対して直接照準で火力支援を行える部隊、歩兵に随伴できる機動力と堅固な目標を破壊できる火力を有する戦車以外の兵器が存在していたのでしょうか。確かに、75mm砲搭載ハーフトラックやM8自走砲のような兵器も火力支援で活躍していたでしょうから、唯一とは言いませんけれど。
>4
フィリピンでそんな話があったと聞いた気が…………でも、もしかして講談の世界?だったのかもしれません(笑)。
ところで、機甲科が対抗すべき敵戦車として眼中にあったのはソ連軍のT-34/85やJS-2、あるいはSU-100やJSU-152ということになると思いますが、現実的にはいかなる方策があったのでしょうか。
sharman