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ソ連は第二次大戦でM4シャーマンと並ぶ最良戦車T−34を作ってたね。 なのに何で戦後は自動車産業が育たんかったのかねえ。トラバントなんて使って。 それといまのロシア製戦車の性能っていいのかな、わるいのかな。 モンゴリアンチョップ |
BUN
前者なら少なくとも1960年代前半まで技術的には同等といってよかったようですね(手許に「自動車の輸入自由化を見据えて世界の自動車工業の力を分析云々」というあおり文句の「世界の自動車」なる古書が…なぜあるんだ?)。
しかし、(統制経済の硬直性という要因はもちろんのこと)廃墟の復興+広大な未開地・苛烈な気候というハンデを負った国がモータリゼーションに乗り遅れたのは当然のことで、需要のない技術が発展しなかった(あと見逃せないのはロシア革命以来の頭脳流出)ということでしょう。かなり大雑把ですが。同じ廃墟からの復興でもドイツのように戦前からの文化的・技術的(+実は経済的)蓄積があれば別の結果が出たでしょうが。
Schump
ロシア革命は第一次大戦中です
紅葉饅頭
ホンダ、トヨタなど見違えるように発展しましたね。(メッチャ嬉しい)
はにまる
BUN
「頭脳流出」というコトバから、最近の核技術者の流出など思い浮かべられたことでしょうが、ロシア革命時にも相当の頭脳流出が起こっています。有名どころではイゴール=シコルスキーとか。
>4
日本の場合、「実は独ソほど廃墟になっていない」「冷戦対応の経済負担が比較的少ない(それどころか朝鮮特需)等、経済復興がしやすかった」「戦前、自家用車こそ少ないがバス・トラックの生産・運行にそれなりの蓄積はあった」といった要因がありますね。ただし、「国内の」モータリゼーションという点では遅れていたのは周知のとおり。
Schump
で浴びるほどの援助を受けたはずのヨーロッパ諸国はもちろん、蒋介石の中華民国も李承晩の韓国も南ベトナムもフィリピンも、戦後日本と同じ条件だ。
ロシアは共産主義やめて西側の援助を受けるようになってもう十年も経ってる。
そろそろロシア製の自動車が世界に出始めてもおかしくないと思うんだけど。
毛沢豚
その疑問に対する答えは、上記回答の中に既出と思いますが?
(N)
NX(ジムニー乗り)
ピカチュウ
一方、兵器のモデルチェンジは他国の同種兵器に対する優勢を確保することを求めているわけですから、どうしても性能、機能の革新・向上が必要となる。しかし、戦闘能力や生存性に関係ない部分には付加価値をつける必要はなく、カーステレオなんて戦車には不要。ただ、乗員への人間工学的配慮は西側に比べ落ちるというのが、旧ソ連時代からの特徴です。
ところで、政府高官用の高級車(恐らく特注品)は西側に比べ遜色ない性能、装備だったそうですが、どうなんでしょう?
アリエフ
発見するために、エンジンから発生する電波(雑音)
を米軍が利用したことがあったそうです。
その昔、日本でも自動車のエンジンから発生する電波
のためにTVなどの映像が乱れるなどの問題が発生した
ことがありましたが、「そのような問題にすぐ対処し、
モデルチェンジを行う西側車両と違い、いつまでも
改良を行わない東側主両の特質に目を付けた」
探知方法だったそうです。
軍用車両でさえこのような状態ですから、アリエフさんが
言われるような理由で民間車両の改良なんてのは非常に
優先度が低かったのでしょう。
その昔、某共産国で「切れないハサミ」を大量生産して
「生産量ノルマ達成」と大喜びしてたしうです。
当時の某国では、「ハサミの品質」は評価にならず、
逆に品質改良のために工場の生産ラインをいじることは
「生産量ノルマ達成」を阻害するとして嫌われたそうです。
RM
チャッピー
「『中国はNOと言える』の読み方」(高木桂蔵 ごま書房)P100、101より
一部の経済学者に言わせると、この文革が中国社会にもたらした経済的な
被害は、中国の発展を以後二〇年遅らせてしまったという。このとき毛沢東は
「自力更生」を旗印に、中国全土の人民公社に土着的な技術によるタタラによる
製鉄所を建設させたが、そのすべてはまったくムダな努力であった。毛沢東ご自慢
の自力更生の「製鉄所」はまともな銑鉄の一トンも生産できなかった。炉から出て
きたものは、まったく使いものにならない鉄クズであった。当時の北京は対ソ関係
が緊張の極にあり、この自力更生路線の製鉄所は、来るべき対ソ持久戦を
想定したものであったが、結局はただの資源、資材、労力の膨大な浪費
に終わったのである。
毛沢豚
aaa