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326 第二次大戦で戦車を人・荷物運びの牽引車代わりに使う事はあったんでしょうか。
ピカチュウ

  1. レイテ島で九五式軽戦車が十五榴を牽引していた話を聞いたことがあります.
    my

  2. 初めまして
    牽引車のような使い方ではないですが・・・・・
    旧陸軍の八九式軽戦車及び八九式中戦車は車体の尾部に「尾橇」という超壕装置を装備していました。実施部隊では本来の使い方ではないのですが、荷物置き場とした例が多かったそうです。大きさや場所も「荷台」とするのに丁度よかったようです。本来は塹壕線を突破するとき等に車体の安定を図る目的で装備したのです。
    MXY7

  3.  マレー戦の頃だったと思いますが、補給を後方の段列に任せるのは手間がかかってしまうんで、鹵獲したトラックの荷台か何かを利用してトレーラーもどきを作り、それに燃料弾薬を積んで戦車で牽引して行軍したそうです。一発でも喰らえば「どっかーん」ですので、戦闘前に切り離したのでしょうけど。
     あと、ソ連が戦車の背に歩兵を載っけて進撃する写真は有名ですね。もっとも、戦車には敵弾が集中しやすいので、直接弾が当たったり、跳弾が当たったりで歩兵がやられてしまう可能性が高く、他の国ではこんな事はしなかったそうです。
    tomo

  4. >2 これをやると、戦車の重量バランスが狂い、後部のバネの負担が大きくなって、へたり易くなります。もともと重心が車体中央になるようにきちんと考慮して設計すれば尾橇がなくともきちんと超壕でき(理論上、全長の1/2の超壕が可能だそうな。)、それができていなかったから尾橇でバランスを調整したそうです。
     この事が当初解らなかったのは日本の用兵側で、97式戦車の競作の際、軽量な第2案(チニ)には尾体(尾橇のこと)を付けることが要求されています。これに機嫌を悪くしたのがチニの設計責任者、大坂工廠の猪間駿二氏。(当時の階級は不明。最終階級は陸軍技術少佐)再三説明してもこの要求を取り下げてくれなかったので、尾体をできる限り小さくして、しかもその上には工具箱を載せるようにして他の荷物が載せられないようにしたそうな。もちろん、工具箱も含めた状態で重心の計算をしてます。
    tomo

  5. 旧陸軍の牽引車は高トルク低回転連続運転という過酷な条件を満たすため
    水冷ディーゼルに統一してギア比も最高速が25km・時と遅くして
    あります。日本の非力な戦車を牽引車代わりにしたらオーバーヒートするか
    1速ギアがあっという間に摩耗してしまいませんか?
    Navy

  6.  う〜ん、その辺はあまり知らんのですが……。ドイツの例ですが、6号戦車はその重量故、故障したら回収するのは同じ6同戦車でないといけないという記述を読んだことがあります。他の牽引車や工作用車輌の記述と併せて考えると、基本的に自重が同じくらいの物までなら牽引できるのではないでしょうか。非力な日本の戦車でも登坂能力は長斜面で2/3ありますから、それなりの余力はあると思います。また、牽引するの荷が車輪付きなら、ある程度平坦なところでなら結構楽に牽引できるはずです。多分、大丈夫ではないでしょうか。
    tomo

  7. 日本の戦車はカタログ性能で見れば確かに貧弱そのものでしたが、
    機械の信頼性はカナリ良好だったそうです。あまり語られてないのですが、
    1944年の「大陸打通作戦」は日本陸軍の快進撃だったのです。
    ここでは97式どころか89式などそれより古いものも多く使われてました。
    あの広い中国大陸をあんな短期間で攻略してしまったのは、兵士の勇敢さだけ
    では説明できないと思います。また故障はしても修理は容易でした。
    ノモンハンでも故障・損傷した戦車をすぐに修理して前線に出してたそうです。

    ぞうさん


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