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第二次大戦で戦車を人・荷物運びの牽引車代わりに使う事はあったんでしょうか。 ピカチュウ |
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牽引車のような使い方ではないですが・・・・・
旧陸軍の八九式軽戦車及び八九式中戦車は車体の尾部に「尾橇」という超壕装置を装備していました。実施部隊では本来の使い方ではないのですが、荷物置き場とした例が多かったそうです。大きさや場所も「荷台」とするのに丁度よかったようです。本来は塹壕線を突破するとき等に車体の安定を図る目的で装備したのです。
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あと、ソ連が戦車の背に歩兵を載っけて進撃する写真は有名ですね。もっとも、戦車には敵弾が集中しやすいので、直接弾が当たったり、跳弾が当たったりで歩兵がやられてしまう可能性が高く、他の国ではこんな事はしなかったそうです。
tomo
この事が当初解らなかったのは日本の用兵側で、97式戦車の競作の際、軽量な第2案(チニ)には尾体(尾橇のこと)を付けることが要求されています。これに機嫌を悪くしたのがチニの設計責任者、大坂工廠の猪間駿二氏。(当時の階級は不明。最終階級は陸軍技術少佐)再三説明してもこの要求を取り下げてくれなかったので、尾体をできる限り小さくして、しかもその上には工具箱を載せるようにして他の荷物が載せられないようにしたそうな。もちろん、工具箱も含めた状態で重心の計算をしてます。
tomo
水冷ディーゼルに統一してギア比も最高速が25km・時と遅くして
あります。日本の非力な戦車を牽引車代わりにしたらオーバーヒートするか
1速ギアがあっという間に摩耗してしまいませんか?
Navy
tomo
機械の信頼性はカナリ良好だったそうです。あまり語られてないのですが、
1944年の「大陸打通作戦」は日本陸軍の快進撃だったのです。
ここでは97式どころか89式などそれより古いものも多く使われてました。
あの広い中国大陸をあんな短期間で攻略してしまったのは、兵士の勇敢さだけ
では説明できないと思います。また故障はしても修理は容易でした。
ノモンハンでも故障・損傷した戦車をすぐに修理して前線に出してたそうです。
ぞうさん