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309 旧ソ連軍が自動装填装置付きの戦車を好んだのはなぜでしょう?
矮鶏

  1. 簡単に考えれば、砲塔を小型化できるし、装填手をなくせるからじゃないですか。
    T−62なんて、狭い砲塔内に3人もいるんですから。
    あとは、皆さんに任せます。
    ベルゼバブ

  2. T64以降の戦車では、西側の120mm砲クラスの戦車に比べて小型(T80の場合41トン)の車両に125mm砲を搭載して火力の向上を図る反面、砲塔内に砲弾を置くスペースが十分取れないため、戦闘室の床に回転式の弾庫を設け、自動装填装置で装填する方式を取っています。
    ソ連の戦車設計方針により、車高を低くするため砲塔を大きくできなかったこと、車体も大型化できなかったこと(十分な性能の高出力エンジンが開発できなかったためとも言われているが)により、戦闘室内に多くの砲弾を置かざるを得ず、125mm砲弾を人力で床から持ち上げ装填するのは並大抵なことではありません(揺れるバスの車内で床から重い荷物を持ち上げるのがどんなに大変か、考えてほしい)。しかるに自動装填装置を用いざるを得ず、装填手の要らなくなった分のスペースを装甲などに回しているものと見られています。
    同じ自動装填式でも日本の90式やフランスのルクレールなどとは、装填機構が完全に異なります。ロシアの最新の戦車(車体はT80ベースのようだが)は、砲塔が最近の西側戦車に似た形状になっており、砲塔後部は砲弾庫になっているとみられますが。
    アリエフ

  3. JS-7は浮動式砲塔の採用上、半自動装填装置が必要であることが原因といわれ、T-64の完全自動装填装置はミサイル万能論者フルシチョフ書記長が戦車廃絶を決めるおそれがあることから、自動装填が不可欠のミサイル・ロケット弾発射能力も持つ戦車砲の開発(フルシチョフの失脚と技術的な問題から中止)が必要になったので装置の開発をしました。
    このように好んで自動装填装置に取り組んだと言えないのかもしれませんが、第二次世界大戦からT-72の開発あたりまでは旧ソ連の開発力が世界をリードするレベルであった事と、旧西側では平時での耐久性や即応性といった信頼性に問題ありとして採用されなくても旧ソ連では信頼性は二の次だから良しとする運用思想があったから好んで採用されたとも言えます。
    ふじい

  4. 乗員室の床に砲弾がゴロゴロ転がっているソ連式自走装填装置は被弾に弱く生存性が低いことが指摘されています。湾岸戦争ではフセイン大統領御自慢の戦車隊が片っ端から砲塔を吹っ飛ばして炎上し、イラク戦車兵は多国籍軍の戦闘ヘリや攻撃機が接近すると戦車を捨てて我先に逃げ出したと言われています。
    ささき

  5. 旧ソ連て、戦車師団が50とかそれくらいの数があったと聞きました。
    人数が少なくてすむというのもあったのでしょうか。
    たけぽん?

  6. T-64以降で言えば旧ソ連が戦車を含む車輌を多く保有したのはOMGを行う上で突破力と機動力が必要という戦術上の要因が直接の理由です。しかし戦車運用数を増加させる上で発生する人的資源不足の解消に有利に働いたので間接的要因であったことは確かでしょう。
    ソ連が相対的に数が多い要因としては軍事的にも東側の盟主、軍事費の割合が大きい、人口資源が豊富、長大な地続きの国境、トハチェフスキー元帥以来の伝統などがあげられます。
    ふじい

  7. ↑の修正:OMGを行う→OMGを中核に侵攻作戦を行う
    ふじい


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