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292 ある戦争漫画を載せた本に載ってたドイツの機甲師団の編成表の戦車の定数について疑問に思ったので質問します。
1939年頃の編成では、戦車の定数は様々な戦車が混じっていたけれども一応300両くらいだったのが、1944年頃の編成では、戦車の定数がIV号戦車とV号パンターの大隊が一つずつの合わせて100両くらいに減っているように思いますが、これは私の気のせいでしょうか?
一応定数なので生産が追いつかなかったり消耗が激しく、実際には定数どうり配備されなかったと書いてはありましたが。

  1.  当初編成された機甲師団がそれぞれ戦車を二個連隊を持っていたのに対して、その後に編成された機甲師団では一個連隊になり、年を追う毎に編成が縮小され、連隊内の大隊も二個大隊から一個大隊に減少しています。また、末端の編制単位である小隊を構成する車両数も同じく減少している為に後期の編制ほど戦車の装備数が少なくなる傾向にあります(これらの編制モデルを通称で何年型機甲師団、等と呼ぶことがあります)。
     基本的には戦車数の減少は戦力の低下をあらわしてしるのですが、初期の編制に比べて後期の編制の方が一つの諸兵科連合の戦闘集団としてバランスが良いような印象もありますね。
    BUN

  2. 戦闘を重ね試行錯誤の結果、戦車の比率を調整していったわけですか、戦車だけでなく駆逐戦車やロケット砲装備の部隊、対空車両などが追加され様々な形態の戦闘に対応できるようになっていったわけですね。
    BUNさん解答ありがとうございます。


  3. 機甲師団の装備に混在することもありますが、駆逐戦車の一般的な配備先は機甲師団より歩兵師団ですね。ヘッツァーなどの行き先が良い例です。
    BUN

  4. 漫画の影響で駆逐戦車は戦車狩りをするイメージがありまして・・・・本来なら歩兵師団ですか勉強不足でした(勉強してませんが)。
    BUNさんこれからもわからないことがあったら教えてください。


  5. 一般的な歩兵師団は
    歩兵連隊複数、砲兵連隊、そして各種支援部隊を抱えています
    この各種支援部隊の中に対戦車砲大隊が存在します

    歩兵連隊を多少減らして戦車大隊や連隊を加え
    歩兵部隊にトラックた輸送車を与えたものが自動車化歩兵師団や機甲師団です

    さて、対戦車砲部隊の主用装備は長らく37mm対戦車砲でした
    対戦車兵器として有力な50mmや75mm対戦車砲は生産が中々進まず
    また、その重量サイズが大きいこともあって扱いが大変な部分がありました
    何しろドイツ軍の歩兵部隊は未だに徒歩と馬車主体だったんです
    そして歩兵師団の数は大変に多く、とても行き渡らなかったのです

    機甲師団は43年に自前の対戦車砲大隊を自走砲であるマルダーに置き換え始めます
    (クルスク戦の準備の一環だったようです)
    マルダー装備部隊はそれだけで恵まれていますから、以降の改変は後回しになります
    一部の歩兵師団もマルダーや突撃砲を対戦車砲の代わりとして配備された例があるようです

    44年になるとヘッツァーが各歩兵師団の対戦車砲部隊に配備されるようになります
    これは歩兵師団に配備したというよりも
    既に機甲師団はマルダーを持っていたから後回しにされたと見るほうが自然かもしれません
    未だに37mm対戦車砲が数の上では主力であり
    75mm砲は半ダースも無いような(しかも定数で)
    普通の歩兵師団の対戦車砲大隊の装備改善が優先されたのでしょう

    SUDO

  6. どうも、我がドイツ陸軍機甲師団のWW2の末期の惨めな状態についてですが、
    現在、日本語で読める本では

    1)歴史群像 欧州戦史シリーズ ドイツ機甲部隊全史1-3 学研(今雷電で有名です)
    2)激闘 西部戦線 ドイツ本土防衛線 グランドパワー1月別冊  デルタ出版
        (断末魔の1945年3月15日の東部西部両戦線の各師団の保有戦車
                         の種類と数が書かれています。)
    3)バルジの戦い 上巻 大日本絵画
          (2にはデータの無いヘッツアーですが、BUNさんがおっしゃるとうり        各歩兵師団に1個中隊ずつ配備されているのがわかります。)

    なんて資料があります。一度本屋さんで立ち読みしてみましょう。
    また、気に入ったら私のように購入してみましょう。
    バウアー中尉

  7. 1)歴史群像 欧州戦史シリーズ ドイツ機甲部隊全史の2と3は書店にありました
    今度買って読んでみます。



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