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いわゆる”騎兵隊”が20世紀半ばまで残されたのはなぜでしょう?何か使い道があったのでしょうか? 矮鶏 |
これらが取り敢えず20世紀の騎兵隊に求められた任務です。
また一口に日本語で“騎兵”といっても、
それらは本来「軽騎兵、驃騎兵、重騎兵・胸甲騎兵、槍騎兵、龍騎兵、猟騎兵等」の
まったく別個の用途と進化を遂げた多岐に渡る体系です。
我々が考える以上に軍に必要とされていた“感”があります。
(勿論、半分以上が自己目的化されている感が否めませんが・・・。)
というより(質問の言わんとすることは判りますが)何故使い道が「ない」とされるかを示して下さいますと
軍事史の話として話し易くなります。(これは意地悪ではありませんが)
ちなみに日本での“常識”とは異なり、欧米(における軍事学の)「常識」では
鉄砲の登場により“騎兵隊”が「誕生」した、ということになっております。
このことを踏まえて回答を寄せたいと考えております。
かっぱ
装備をつけたまま馬と一緒に川を泳いで渡るのは難しいんだと良く言っていましたがそんな川が日本にあるとは思えず、訓練用プールかなんかあったのでしょうか。
もう少し詳しい話を聞いておけば良かったとおもいます。
SHI
矮鶏
ささき
当時の社会において非常に一般的(ポピュラー)であったという事実が大きいです。
20世紀半ばまで馬以外の代替手段が存在していないため、
これに単に依存していたという点が非常に大きいですね。
(ですから代替の手段、自動車の台頭と共にアッという間にとってかわられた)
軍内でも騎兵(科)学校は兎も角も、獣医はまだまだ需要が多かったのです。
また一次大戦において自動車の優位、馬匹の限界が露呈したにもかかわらず
馬匹の存在が軍内に20世紀半ばまで残されてしまったのは、
軍事費、軍隊の経済事情・体質に拠るところも大きいのです。
即ち馬匹は維持費の延長で整備が出来て予算化されていたにもかかわらず、
自動車は工業製品故に新たに購入して整備せねばならず、
(自動車が2両あっても3両目は生まれない)
このため一時金(立ち上げコスト)が纏まった金額で必要で、
部隊単位での装備は一次大戦後の軍縮の時代に新たな装備費が捻出できず、
なかなかこれに踏み切れない、結果転換が進まないのでした。
これは常備軍が大規模な列強諸国共通の悩みで、
馬との決別、いわゆる「機械化」が、兵站の面や戦略的に有利であり
改編が中長期的には避けられないことが判っていたにもかかわらず
総力戦をもう一度闘う過程でこれが成し遂げられたのです。
参考までに第二次世界大戦期の軍隊の移動・輸送の方法を見たとき、
鉄道と馬が陸上輸送機関の根幹を為していました。
意外なところでは内水水運が非常に発達していて多用されています。
かっぱ