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259 なぜ、ティーガーIの防盾は鋳造で造られていたのでしょうか?
避弾経始を考慮しているとも、それほど複雑な形状が必要であるとも思えませんので、
防弾能力を考えるなら均質圧延鋼板を加工して造ったほうが良いように思えるのですが。
OR 

  1. ティーガーの防盾は鋳鉄ではなく鋳鋼ですが、熱処理によっては十分に耐弾性を持たせることが可能だったでしょう。それよりもあの形状をよく観察すれば、あんなに大きく重い防盾が、それなりに軽量化を考えた形に作られていることがわかります。こういう場合には鋳鋼は極めて有利なのです。もし、あの形状を厚板からフライス加工で削り出した場合、ティーガーの生産数量は更に何割か減っていたことでしょう。また、当時の機械加工一般の生産性が今の数分の一(即ちコストが数倍)であったことも忘れてはいけない点でしょう。
    BUN

  2. BUNさん、回答ありがとうございました。
    鋳鋼板では圧延鋼板に比較すると防弾能力に劣る、と聞いておりましたが、熱処理で何とかなるのですね。それならば鋳造により防盾に圧延鋼板とほぼ同等の防弾能力を持たせながら軽量化が可能で、かつ工程が少なく利点が多いことは納得できます。
    しかし今までは独は戦車は生産性よりも性能優先、だから鋳造は用いず圧延鋼板の溶接構造を用いる、という私の中の認識がひっくり返ってしまい、疑問がわいてきました。
    なぜ、独は圧延鋼板とほぼ同等の防弾能力を持たせながら軽量化が可能で、かつ工程の少ない鋳鋼板を積極的に戦車に用いなかったのでしょうか?
    仏の施設も使えそうですし、NbFzでは鋳造製砲塔を搭載したこともあったのに鋳造が用いられることが少なかったのは不思議です。
    便乗質問になりますが、この疑問に答えて頂けないでしょうか?


    OR

  3. 私はティーガーも含めた独戦車の原型が薄い浸炭装甲を主体とした箱型車体から発達した為だと思っています。鋳鋼は防盾等、立体的な形状の部品に関しては積極的に使用されていますが、薄い装甲で軽量の車体を製作するには不向きなのでしょう。
    BUN

  4. なるほど、どの戦車の鋳鋼板の装甲厚も40mm以上あり、当初装甲厚30mm以下である1〜4号戦車ついては説明がつきます。
    では、当初から40mm以上の装甲厚であるパンターなどの戦車についてはどう思われますか?特にパンターなどは当初からT-34の影響を大きく受けておりますし、T-34を元としたとしか思えないVK3002(DB)さえ鋳鋼を防盾以外用いてないことから、鋳鋼をあまり用いないのは原型の影響だけとは思えません。
    OR

  5. パンターがT34の大きく影響を受けているとは私には思えませんが、それはさておき、平面で構成される車体を鋳鋼で製作する必要はありません。それについてはT−34も同様でしょう。パンターが恐らくT−34よりもコストを重視して製作されたことから説明できるのではないでしょうか。
    BUN

  6. >4&5
    パンターがT−34の影響を受けなかったとは思いませんが
    BUNさんが言うように「大きな」影響を受けていたのかどうかは
    色々意見があるかと思います

    さて、T-34の車体は圧延鋼の溶接ですし
    もしパンターがその影響を強く受けていたとしても
    参考になったのは1940年式か41年式でしょう
    そして、この年式は「圧延鋼板溶接で造られた砲塔」もあります

    つまり、T-34の影響があろうが無かろうが
    パンターを手馴れた方式で製造するのは当然の事だったのではないでしょうか

    SUDO

  7. >5. 平面・曲面に限らず鋳造のほうが生産性が良いのではありませんか?T-34やKV-1などでは平面で構成された鋳造砲塔が造られましたし、こちらのほうが生産性も良いそうです。ならばたとえ平面で構成されていても、砲塔や車体を鋳鋼で造る必要性はあるのではないでしょうか?
    調べているうちに私には砲塔や車体のような大型鋳造部品を製作できる施設が限られていたためではないか、とも思えてきました。実際米でもそのためにM3A1・M4A1中戦車の生産量は同系列の他のものより少なかったようですし。
    それから、パンターがT-34よりもコストを重視して製作された、というのは初耳なのですが、根拠はなんでしょうか?私は逆だと思っていました。

    >6. 確かに時間的な問題もありますし、保守的になったというのもうなずけます。でも防盾は「手馴れてない」鋳造製なんですよね。最も被弾しやすい重要な部分なのに。
    OR

  8.  大型の鋳造部品の製造は困難で、必ずしも生産性が良好ではないのは当然のことです。これは戦史関連の本を読まなくてもわかります(あるいは読んでいるとわかりません)が、鋳鋼という装甲素材は、まさにパンターの車体のような大きな薄い壁を作ることには向いていないのです。
     (私はM−48やPz−61といった最近の新しい戦車のことはよく知らないのですけれども、これらの車両が鋳造の車体を持っていることは伝え聞いており、大変感心しております。実に大したものです。)
     また、パンターはコスト低減の為に多大な努力を払った戦車で、重戦車の武装を四号戦車並の価格で実現した点がパンターの最大の功績なのです。T−34の影響という言葉のみ独り歩きしていますが、エンジン、武装、足回り、乗員配置等、独戦車の伝統を受け継いではいてもT−34の影響と言い切れる部分は見当たらない、と言っても良い程です。傾斜装甲をT−34の影響とするかどうかも、ちょっと怪しい材料もありますが、果たしてパンターとT−34とはその他に、いったい何処が似ているのでしょう?

    BUN

  9. BUNさんはなぜ砲塔について一言も触れられないのでしょうか?例えばT-34の砲塔は平面で構成され、パンターとさほど変わらない面積で側面の装甲厚もほぼ同等ですが鋳造です。このことは薄くて平面構成→圧延鋼板ということとは矛盾しませんか?またティーガーの砲塔では曲面を取り入れ、分厚い装甲であるのに圧延鋼板を曲げて製造しています。この場合では鋳造で製造したほうが生産性が良いのではないですか?私はその理由として独では砲塔のような大型部品には鋳造を使えないため圧延鋼板しか選択肢がなかったためではないかと考えたわけです。薄物、大型部品が鋳造に向いてないことはわかりますが、40mmは薄いのでしょうか?具体例が出てこないと納得しにくいのですが。
    またこれらのことから独戦車が平面構成だから圧延鋼板なのではなく、圧延鋼板だから平面構成となった、と考えるのは飛躍しすぎでしょうか?
    ただおっしゃるとおりパンターは傾斜装甲も含め、T-34を元にしたということは無いようですね。あとパンターが独軍では比較的安価である、とは知っておりましたが、「T-34よりもコストを重視」とはT-34よりも安価で生産性が高い、と受け取ったのですがそのような意味ではないのですか?
    OR

  10.  もう少し、論旨を明確にしてから出直しては如何でしょうか?
     T−34とパンターの関係については文脈上読み取れる通りです。誤解の余地は無いと思いますが。
     また、40mmが厚いか、薄いかは当然のことながら鋳造する物の形状、大きさによって変わります。また、大型の鋳造部品が生産性が良いかというと、必ずしもそうとは限りませんので、それも要注意です。
     そして、パンターの砲塔はORさんの考えと異なり、鋳鋼を十分に利用した砲塔です。その防御力の大半を大型の鋳鋼製防盾によっており、その後方は出来る限り容積を大きく取る為に箱型の鋼板溶接構造となっています。T−34の砲塔とはコンセプトそのものが異なるのです。これは三面図を少し検討すればすぐに判ることだと思います。何を以って同じといい、何を以って異なるというのか、その辺をよく整理して戴きたく思います。
    BUN

  11. 10.のご回答を読みましてようやくおおよそ理解できました。私の未熟な発言に最後までご回答頂きありがとうございました。そして、私の理解力がないことと論旨の整理が足りなかったことによりお手数をおかけ致しまして、申し訳ありませんでした。次回からはきちんと論旨を整理してから発言致します。
    OR

  12. >鋳造
    ちょっと話はそれるけど、現在のT系列の砲塔とか74式の世代のMBTの砲塔って
    エレクトロスラグ法で精鋼および鋳造を一気に行えることが可能だったから、
    材質の機械的特性が多少悪くても生産性の向上ひいてはコスト的に安くあがる
    という理由の他、その工程上鋳込むような作業がない分、大きな製品も作りや
    すいという理由で採用されてたんじゃないだろうかね。
    ってことはその前はとなると…。

    sorya


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